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取材記事内を検索ワード「お城」で検索した結果,46件の記事が見つかりました。

真経に住んだ津山藩主の一族(鏡野町)

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 真経部落の北端、山を背にして南西に開けた小高い丘に「屋敷の段」という地名がある。その昔、慶長八年(1603)美作の領主となった森忠政公の第二子重政君が若き生涯を終えた屋敷跡である。
 その南方約二百米ほどの所に「春谷口」という地名がある。この東の山腹三十米ほど上がった地点に御墓所(町指定史跡昭和五十四年四月一日付)があり、御墓畝と呼ばれている。重政君を火葬に付した場所であるともいわれる。
 森家先代実録によると、
「重政君御名大膳亮(だいぜんのすけ)、文禄ニ癸巳年四月二十三日濃州金山に生まれ給う。元和四戌午年六月五日作州苫南郡真経村にて御年二十六歳にして卒し給う。同所槇尾畝に葬る。墓印に柊の木一株あり。その後久米郡南里方村栃社山誕生寺に改装す。-瑞応院殿光禄桂林俊芳大禅定門

 重政君の御母堂は山内源左衛門の養女にて香々美という。川中島より引越し作州かが美の溝尾に居住す。故に皆人呼んで香々美という家女なり。万治三庚子年五月二十五日作州にて死す。八十九歳。同所法源山宗永寺に葬す。―清泰院栄厳寿永大姉
 清泰山栄厳寺にも位牌があり。清泰山松寿院に墓碑あり。分骨して寺内に納む。
 重政君御子御女子一人あり。御名於捨。慶長十六辛亥年苫南郡真経村にて生まれ給う。妙願寺二代目浄公室にならせられる。延宝二甲寅年十月一日卒。御年六十四歳。津山神王山渓花院に葬す。
―清光院殿慈沢性潤大師 影像を妙願寺後堂に安置す。」という。

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お城で作る in 夏休み「体験教室」

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 2021年8月8日に津山城(鶴山公園)内「鶴山館」でお城で作る in 夏休みの体験教室がありました。家紋トートーバッグ、家紋スツールの2種類の体験が選べ、どちらも森家や松平家の家紋やログなどステンシルシールを使い転写できるものです。この日は天気も良く、牛尾さんと娘さん、お孫さんが賑やかに挑戦しておられました。椅子は丁度よい高さに出来、便利良く使えそうでした。また、みなさんそれぞれ工夫を凝らした作品が出来上がり満足そうでした。(※電話にて事前予約が必要です。TEL.0868-22-4572)

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「作州忍者鶴山(つるやま)隊」が津山城で大活躍中!

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 津山さくら祭りを盛り上げるため作州忍者鶴山隊(つるやまたい)が総力を挙げて取り組んできた一夜城が完成。イベントを盛り上げるために、甲賀忍者の皆さんが応援に駆けつけてくださいました。それに、「奥播磨かかしの里」からお越しくださった助っ人さんが会場でお待ちしております。
 お城の前では忍者検定があったり、また、忍者迷路では随所に忍者修行が出来る仕掛けがあり、子ども達もお父さん、お母さんと大いに楽しんでいました。
 4月3日・4日かぎりですので本丸まで是非、お出かけください。岡山戦国武将隊、隊可愛いくノ一もお城でお待ちしております。(2021年4月2日撮影)

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「お城のマルシェ」オープン1周年記念イベント!

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 昨年の10月7日山下の津山観光センター内に農産物直売コーナー「お城のマルシェ」が開設されました。地元の皆さんにも親しまれる観光センターに成れるようにと開設されたこの「お城のマルシェ」ですが、2019年10月13日・14日と一周年記念のイベントが開催されています。
新鮮なお野菜100円均一(農産物100円均一祭り)をはじめ、グルメテント!ガラポン抽選会、津山のお酒などなどが出店されていました。また、1000円以上お買い上げの方に先着50名に13日は津山産コシヒカリの新米、14日はたまごプレゼント!があります。

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会所 山田家(一方)

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 山田家は通称を会所(かいしょ)と呼ばれているそうです。お殿様がお城を出て村人の意見を聞きに庄屋の植月家に来られた時に、村人はここで衣服を整えて向かいの庄屋の家に出向いていたそうです。山田家によれば、山田盛勝が福島正則に仕えていたが福島没収後、一方村に住居し百姓となる。後、山田紋次郎が森公より町年貢取り立て役を仰せつかっている。その末裔、山田虎吉は佐良山村会議員をつとめ、明治22年には嵯峨井堰組合より頌徳状を受けている。(2019年8月18日・24日撮影)
※会所(かいしょ)
集会や事務の行われる場所。平安時代以後、貴人の邸の客殿をこう呼んだが、江戸時代には、幕府・諸藩の行政、財政上の役所、町役人、村役人の事務所、商取引、金融関係の事務所に、この名がつけられた。

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NishiIma25 1周年記念「竹斎フィーバー」

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 NishiIma25 1周年記念企画「竹斎フィーバー」(企画:桜井由子さん)が4月7日(日)にあり行って来ました。飯塚竹斎の描いた襖絵を背に創作落語「飯塚竹斎」を披露する遊興亭福し満さんです。
 創作落語「飯塚竹斎」は思わず前のめりしてしまう程魅了させてくれ大満足でした。この創作落語の話が本当だったらいいのになぁ~と思ったお話でした。会場のNishiIma25(片山邸)には、江戸末期から残る貴重な飯塚竹斎の襖絵が8枚残っています。遊興亭福し満さんと桜井由子さんの縁は、2016年のお城山で演じた竹斎を聞き、2019年の11月に衆楽園で開催された「あ~とふぇす in つやま ~衆楽園を遊ぼう~」で一緒にお仕事をした際NishiIma25 の竹斎の襖絵を見に来られた事がきっかけだったそうです。

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「お城のマルシェ」がオープンしました。

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 2018年10月7日山下の津山観光センター内に農産物直売コーナー「お城のマルシェ」が開設されました。地元の皆さんにも親しまれる観光センターに成れるようにと開設されたこの「お城のマルシェ」は、岡山県内の生産者が出荷したお野菜や果物がずらりと並んでいました。どなたでも立ち寄って買えるリーズナブルなお値段です。私もお得な気分で沢山買って帰りました。(2018年10月8日撮影)

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オオカミ様の話『山西の民話』

ookami.jpg山西の入口に石の燈籠がたっている。その裏側に明治32年巳亥年8月建立と書いてある。この燈籠は明治末期から大正8年迄、毎夜村人の手によってともされたものであった。
一方では村の道しるべでもあり、他方では神様に対する信仰心から献灯でもあった。
当時、信仰のあつかったのは、お伊勢様、金刀比羅様、小豆島、宮島とオオカミ様であった。


昔、山西から津山のお城下に出る主要道路は、西の道ー越木峠ー春長を通り、松葉峠から野介代を経て、八出の船着場に出て行く道筋が主だった。だから、今でも越木峠の向うに逆迎場(酒迎場)という所があり、小さい社(荒神様)が勧請してある。村(部落)の代表のものが宮詣(お伊勢様にまいり、宮島にまいり、小豆島を巡礼し、金刀比羅まいりをし、近くはオオカミ様に参拝する)のをここまで見送りに来て、平穏無事を祈って酒もりをしたり、又、何事もなく無事に帰って来た代表のものをよろこび迎え、その労を犒う酒もりの場でもあった。新道が山西の東-鹿の子から飯綱坂につづく様に出来たので、新道に展望のきく山西の入口に、明治の人々(明治32年)に建立した信仰と文化の標識でした。

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谷崎潤一郎文学碑(小田中)

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「疎開日記」碑 谷崎潤一郎
「池に落つる雨の音侘し。因に云ふ。この御殿は明治初年にお城より此処に移し建てしものの由にて、愛山宕々庵と号す。床の間に松平康倫公の書『愛山』の軸をかけ、その上に鶴堂公書『宕々庵』の額あり。6畳の間に慎由公夫人静儀の和歌『山は今朝霞のきぬにつつまれて千代の色そふ松の対立』の額あり。」
文豪、谷崎は終戦間際の昭和20年津山に疎開。宕々庵で「細雪」を書き継いだ。八子・愛山

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2018 津山さくらまつり4月8日の様子です。

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 2018年4月8日の津山城(鶴山公園)の様子です。さくらの花は散っていましたが、お馴染みの「さら山時代行列」の皆さんと遭遇しました。やはり、時代行列は、お城の石垣にぴったりとはまりますね~。いつもいてくれると観光客さんが喜びそうですね。「津山さくらまつり」ですが、この日も海外の方を多く見かけました。また、本丸では津山城鉄砲隊の皆さんの迫力のある鉄砲の音が園内にこだましました。

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