会所 山田家(一方)
山田家は通称を会所(かいしょ)と呼ばれているそうです。お殿様がお城を出て村人の意見を聞きに庄屋の植月家に来られた時に、村人はここで衣服を整えて向かいの庄屋の家に出向いていたそうです。山田家によれば、山田盛勝が福島正則に仕えていたが福島没収後、一方村に住居し百姓となる。後、山田紋次郎が森公より町年貢取り立て役を仰せつかっている。その末裔、山田虎吉は佐良山村会議員をつとめ、明治22年には嵯峨井堰組合より頌徳状を受けている。(2019年8月18日・24日撮影)
※会所(かいしょ)
集会や事務の行われる場所。平安時代以後、貴人の邸の客殿をこう呼んだが、江戸時代には、幕府・諸藩の行政、財政上の役所、町役人、村役人の事務所、商取引、金融関係の事務所に、この名がつけられた。
右が山田家です。 表門
前庭です。
秋になれば借景が美しいそうです。
釘隠しでしょうか? 障子
欄間が豪華 梁も太い
山田家を裏から撮影する。 蔵が2棟現存しています。
山田家の裏には通り門があり、この左手には侍女が住み込んでいたそうです。
通り門
ここに侍女が2人住み込んでいたそうです。
現在の蔵です。
蔵が4棟あったそうです。
家の周りはお堀だったそうです。
家の周りのお堀跡です。
古井戸がありました。