「平井眞沙江 油絵展」
2023年9月22日~25日まで、津山市沼にあるくらやアートホールにて「平井眞沙江 油絵展」がありました。
平井さんは、建築士、インテリアコーディネータ―として、ビルダーの命がけで働く姿に感動し、応援を込めて描いて来られたそうです。平井さんが描いた数々のビルダーさんの作品の前に来ると、まるで建築現場にいるような臨場感に溢れていました。また、市内を描いた風景画やお花、美味しそうに熟したざくろなど、見ていて大いに楽しめました。
2023年9月22日~25日まで、津山市沼にあるくらやアートホールにて「平井眞沙江 油絵展」がありました。
平井さんは、建築士、インテリアコーディネータ―として、ビルダーの命がけで働く姿に感動し、応援を込めて描いて来られたそうです。平井さんが描いた数々のビルダーさんの作品の前に来ると、まるで建築現場にいるような臨場感に溢れていました。また、市内を描いた風景画やお花、美味しそうに熟したざくろなど、見ていて大いに楽しめました。
津山市沼の「津山弥生の里文化財センター」内の民俗資料収蔵庫でミニ企画展「昔の勉強道具」が2023年11月30日まで開催されています。本当に小さな展示場ですが中身が濃い展示です。中でも、国の名前や植民地で色分けされた戦前の世界地図を観ていると、世の中様変わりした世界が見えてきてきます。大人になってから見ると更に興味深い。
民俗資料収蔵庫:ここは、明治・大正・昭和半ば頃まで実際に使われていたこの地方の民俗資料をおよそ3,200点収蔵しています。収蔵品には、農具・養蚕・鍛冶などの仕事道具から、家庭で使う日用品や蓄音機などの娯楽用品などもあります。道具から昔の生活を想像してみると、また新しい発見があるかもしれません。(文:津山弥生の里文化財センター案内より転載)(2023年8月29日撮影)
津山郷土博物館 ミニ企画展 「彫無季ー彫書とその世界ー」令和5年8月5日(土)~9月18日(月)
津山市出身の彫無季(本名河野省三)は、独学で中国の拓本などから書を学び書と彫刻とが一体となった「彫書」という独特な芸術を創造しました。後進の指導をしながら多くの作品を残され、本市に百点もの作品を寄贈されています。これまでに本館においても展覧会においてご紹介しておりますが、彼が残した彫書や書などの素晴らしさを再認識していただいて、古典的でなおかつ前衛的な彫書の世界をご堪能していただければ幸いです。(文:津山郷土博物館)(2023年8月20日撮影)
2023年4月4日・22日の沼の住居跡群周辺のつつじとさつきが美しく咲いていました。
今年はすぐ下の道路が工事中なので、木が伐採されて見渡しが良くなっておりました。この沼の弥生住居跡群の周辺では春になるとつつじやさつきが美しく咲き、秋には見事な紅葉を見ることができます。また、住居址のすぐ傍にある「弥生の里文化財センター」では、沼遺跡の発掘調査によって出土した遺物をはじめとする弥生時代の生活を考えることのできる展示がされています。
2023年4月22日、津山市沼のくらやで「押し花作品展 2023」(工房 咲季主催)が開催され沢山の人が来られていて賑やかでした。コロナ禍もあり3年半ぶりに再開されたそうです。
会場内では沢山の押し花の作品がありました。野の中でひっそりと咲く花、また、華麗なボタンの花、中には珍しい花の押し花もあり大いに楽しめました。
出雲街道 宿場名の語源由来を四日市観光ボランティアガイドの村田三郎様から頂きましたのでご紹介させていただきます。(上の写真は津山ボランティアガイドの末澤敏夫さんと所有の出雲街道絵地図)
出雲街道 宿場名の語源由来 2023.02.12 村田三郎
1.序
出雲街道は、播磨国姫路(兵庫県姫路市)を始点として、中国山地を横断し、出雲国松江(島根県松江市)に至る街道のことを指す。古代は都(大和)と出雲とを結ぶ最短距離の官道で、国司が中央とを往復する道であった。江戸時代は、参勤交代の道として、津山、勝山、広瀬、松江などの各藩主が利用し、出雲(松江)の藩主・松平侯(越前松平家)が参勤交代で通ったことから「出雲街道」と呼ばれるようになった。姫路から松江までは、53里208km、25か所の宿場があった。出雲街道の特徴というべきは、出雲大社(祭神大国主大神)・美保神社(祭神事代主神、三穂津姫命)を祀る「参詣・信仰の道」であり、また、たたら製鉄製品の全国流通を支えた「鉄の道」でもあった。
津山市沼の「旬菓匠くらや」さんで、2023年2月3日~6日の間、「輝け命 第二回青柳紀子写真展」がありました。青柳紀子さんは、鏡野町円宗寺のアマチュア写真家で、昨年お亡くなりになられました。
昨年奈義山麓山の駅であった写真展にも伺わせていただきましたが、青柳さんの撮られた写真は、お花がいっぱいで、お人柄が忍ばれるやさしい写真ばかりでした。特に私が印象に残った作品はさくらですが、うまく撮れないですみません。(2023年2月5日撮影)
津山郷土博物館ミニ企画展 茅葺き職人山本進さんの仕事
山本進(やまもとすすむ)さんは、津山市出身の茅葺き職人で、少なくなった茅葺き屋根の伝統技術を継承した県内でも数少ない茅葺き職人のお一人でした。津山市の沼弥生住居址群復元竪穴住居や高床倉庫の茅葺き屋根製作を担当し、県内外をはじめ、米国ロサンゼルスの日本庭園の茶室の屋根も担当するなど国内外で活躍されていましたが、令和3年にお亡くなりになられました。また、茅葺きの伝統を伝えるため、各地に行って茅葺きの建物を見学し、そのミニチュア模型も多数作成されており、日々研究されていました。本展示では、作業風景や各地のミニチュア模型などを通して、茅葺き職人山本進さんが携われた仕事について、少しでもご紹介できればと思います。
展示品:茅葺き道具 茅葺きミニチュア模型(岐阜県白川郷合掌造ほか) 作業風景の写真パネルなど
(文:津山郷土博物館より)(2023年1月22日撮影)
平成10年10月に国の登録有形文化財となった「知新館」は、岡山県北の城下町津山市の南新座に伝わる武家屋敷で、第35代内閣総理大臣平沼騏一郎(1867~1952)の別邸として建てられたものです。
土蔵は木造二階建桟瓦葺、塀は土塀桟瓦葺、また表門は腕木門桟瓦葺であり、中級武士住宅の典型的な形態をとった建物です。
その中の土蔵の基礎が古くなり、土蔵自体が傾いてしまったので修復をすることになりました。修復の方法は家曳き移動です。建物を基礎から切り離し、その下にレールとなる鋼材を敷きこんで、その上をゆっくりと移動させ、その後、再度基礎の上に家を据える方法です。
(2022年1月28日・4月4日撮影)
皮袋形瓶
今回は市内高尾の「桑山南4号墳」から出土した珍しい須恵器を紹介します。
今からおよそ1600年前の古墳時代、朝鮮半島から須恵器と呼ばれる焼き物が伝わりました。この焼き物は、集落跡だけではなく、墓からも出てきます。
墓には、亡くなった人のため、特殊な形の須恵器を納めることがありました。桑山南4号墳では、坏(つき)(飲食物を盛る器)や壺など一般的な須恵器のほか、「皮袋形瓶」と呼ばれる須恵器が出土しました。革をとじ合わせて作られた袋をまねたのではないかと考えられているため、このような名前が付いています。
把手(とって)など一部が欠けているものの、ほぼ完全な形です。高さ33センチ、幅25.5センチと非常に大きく、全体に模様が施されていて大変華やかな印象を受けます。
実は、桑山南4号墳から出土したものは、皮袋形瓶の中でも全国的に珍しい形をしています。
11月30日(金)まで、津山市弥生の里文化センター(沼)で展示しているので、「どこが珍しいの?」「ほかにはどんな皮袋形瓶があるの?」など、疑問に感じた人は、ぜひお越しください。