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取材記事内を検索ワード「はな」で検索した結果,465件の記事が見つかりました。

2017年1月1日の岡山城

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宇喜多秀家が岡山城の象徴に建築した三層六階建ての望楼形天守閣で、城郭建築物に天守閣が出現して発展し始めた時期の構造的特徴を伝えていました。城主の権威を象徴する書院造りの居間(城主の間)が設けてあり、初期の天守閣の性格を物語っています。昭和20年の空襲で焼失しましたが、昭和41年に再建され、城主の間も復元されています。

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中山神社の御神鏡の拓本と大正3年の写真

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2017年2月7日に中山神社の近くに住む森玄保さんに中山神社にまつわる貴重なお話を伺って来ました。上記の写真は大正3年に建てられたもので、当時の中山神社の拝殿には壁がなかったそうです。それから徐々に現在のような姿になってきたそうです。(大正3年の写真には拝殿の壁がない。)

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「つやま和牛」生産農家大﨏毅さんの牛舎

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2017年2月7日に「つやま和牛」を肥育していらっしゃる久米川南の大﨏毅さんの牛舎をお尋ねしてきました。
 「和牛の歴史:昔はトラクターの代わりに牛を飼っていました。当時の牛の良し悪しは、草などを背中に乗せるのにどんな形の牛が良いかが審査されていました。現在は、形も大切だが、その上に肉質が一番重要視されています。また、和牛は岡山県が発祥の地です。当時は牛は農耕のトラクターのような存在だったが、トラクターが出てきて牛をどうするか?と言うことで昭和40年に岡山で全国和牛能力共進会の第1回が行われました。当時のキャッチフレーズは「家畜が肉牛として使える。」だったように記憶しています。以後5年に1回開催されていて今年が第11回目です。」

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津山城完成四百年記念講演会「石の声を聴く」

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2016年11月16日、津山国際ホテルにて、公益社団法人 津山市観光協会の主催で、津山お城まつり協賛「石の声を聴く」ー石積みの第一人者が語る津山城と石垣ーと題して津山城完成四百年記念講演会がありました。
 講師は穴太衆積十四代目 粟田純司氏で、安土城、彦根城、高知城、竹田城など多くの史跡の石垣修復にあたられ、平成24年文部科学大臣より「選定保存技術保持者」に認定されておられます。(上記写真:挨拶は竹内佑宜津山市観光協会長)

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「津山商人の歴史と文化」を語る森本信一氏

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2016年11月13日(日)津山土岐家財団記念館で津山土岐家財団主催の第6回講演会があり、森本 信一 氏(津山社会教育文化財団代表理事)を講師でお迎えして行われました。演題は「津山商人の歴史と文化」-津山・森藩・松平藩の代表的な豪商「錦屋」(森本家)にまつわる興味深い商家の歴史や文化について語る-で、満席の中で興味深いお話を聞かせて頂きました。(2016年11月13日撮影)

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修倫館道場趾と四季

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消えた武道場
昭和28年に全日本剣道連盟が組織され、武徳会が新しい姿となったが、剣道は終戦で一時ストップした。進駐軍が来るというので剣道用具をかくしたりしたこともある。しかし、別に禁止されたわけでもなく、学校が中止していたまでだが、一般の愛好者は鶴山公園で練習を続けていた。
 それが自治体警察の発足によって表面的にとりあげられるようになり、津山にも募金で鶴山武道場が建設された。ここで柔剣道が復活したのは28年であった。ところが、市役所税務課の火災により、武道場が仮庁舎になったまま忘れられ、津山の剣道界では、これほど盛んになっている剣道への理解がないと大いに不満をもらしている。ムリもないことで、一般の武道場はない。柔道の貝田道場、剣道の修倫館は共に個人の建設になるものである。しかし、学校では体育館を活用、少年剣道教室も毎日曜日にひらかれたり、中学校では教科に入ってスポーツの一角に日本の伝統を生かしている。

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三穂神社(奈義町)

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念願を自から果たした神 (「さんぶたろう」伝説発祥の地)
こうべさま由来
 この神域は正貴山と呼ぶ古来の原生林にして1名のこうべ様の名によって往古から美作東北部より因幡路にまたがり広くの民衆の信仰を集めて著名である。 
 別の名を三穂神社と称えるがその三穂の語源ならびに読みにつき諸説さまざまにして詳らかなる定説がない。
 この宮の主神は出雲神族の大国主之命の御子事代主之命であり併せて菅原道真の裔三穂太郎満祐の頭部を後に合祀されている。 (2015年11月20日撮影)

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保田×多胡談話(宇宙人はいる?いない?)

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 2015年8月11日に、スペインから一時帰国されていた保田扶佐子さんと、多胡昭彦さんをお尋ねして来ました。
多胡さんは保田さんのお姉さまと同級生でお二人とも以前からお知り合いと言うことで、お話もざっくばらんでとても面白く夢のある対談でした。
 多胡さんと言えば、10数個の彗星や新星の発見者でもあり、小惑星(7830)Akihikotagoに命名されているアマチュア天文家で有名です。また、保田さんは、バルセロナと日本を往復しながら、絵画、版画のほか、多くのアーティストブックで画家、詩人、作曲家たちと共同制作しておられます。
 多胡さん曰く、子ども達にガリバーの話をすると、眠たそうな子でも目が輝いてくるそうです。

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三橋神社(船頭町)

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船頭町の三橋神社と小性町の同名神社は夫婦神社で、元々一つの神社ではないかといわれているが定かではない。
船頭町の三橋神社は寛文3年(1633)勧請され文政年聞になって表門が設けられた。
船頭町の由来は、森氏がこの町の人に年貢米や諸物資の運搬の任にあたらせたのが、町名の由来である。
高瀬舟は、津山舟54隻、長岡舟(八出~柵原)116隻、備前田原舟(和気町)16隻の計186隻が出入りしていた。
橋の上手(東方)には、番所、制札場、高灯龍があった。今津屋橋を架設した今津屋平蔵は、明和元年(1764)に蔵元になったと伝えられている。明治になり交通や営業に制限がなくなり高瀬舟は増加し、船の数は209隻を数えた。しかし、明治31年(1898)に中国鉄道が津山(現津山口)~岡山が開通。以後、高瀬舟は急速に衰退していった。

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旅するアート2016 オープニングイベント取材

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2016年11月12日(土) 津山城跡(鶴山公園) 13:00 ~14:00 旅するアート2016 オープニングイベントに参加してきました。当日はお天気も良く、帽子が必要なくらいの日差しの中での創作落語でした。話が進むにつれて、やたらと津山の芸術文化に詳しい方だと思ったら、それもそのはず、高橋 直裕氏は元世田谷美術館学芸員でした。
 鍬形蕙斎の「江戸一目図」を前に話に興ずる長屋のご隠居と八五郎。描かれた風景や人物を流暢に講釈するご隠居に八五郎は舌を巻くが・・・。津山の絵師、飯塚竹斎。無名だった竹斎が晴れて津山城の襖絵を描くに至ったその訳とは・・・。津山ゆかりの絵師二人の物語。等々とても興味深く聞かせて頂きました。

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