![皆戦場〔合戦場〕(草加部)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/03/kaisen1-thumb-120x120-91010.jpg)
皆戦場〔合戦場〕(草加部)
![津山の今昔を辿ってみました。(1)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/01/miyagawa-thumb-120x120-91196.jpg)
津山の今昔を辿ってみました。(1)
![鶴亀神社(津山市久米)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2014/11/tsurukame-thumb-120x120-91447.jpg)
鶴亀神社(津山市久米)
![アルネが出来る前の吹屋町界隈の写真](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2017/03/800px3177-thumb-120x120-162131.jpg)
アルネが出来る前の吹屋町界隈の写真
![明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/01/1-thumb-120x120-91748.jpg)
津山市下紺屋町にある真言宗醍醐派 瑠山 醫王寺(いおうじ)が、前から気になっていましたので、ご近所の方にお聞きしました。「昔は商店街の皆さんで寄付を募り、祇園様などのお祭りも賑やかでした。今は商店街も段々と廃れてきてしまいお祭りもしていませんが、また、年に一度くらいは堂内で会議も出来たらいいと思います。そうしたら、また皆でお掃除でもできるのですが・・・。それに、松平家も平沼家も寄付者になっておられるので何か由緒もあるのでは。」と語っておられました。また、泉水寺の住職にお聞きすると、「先代から引き継をしていなかったので詳しい事は解らないが祇園信仰(牛頭天王・スサノオに対する神仏習合の信仰である。明治の神仏分離以降は、スサノオを祭神とする神道の信仰となっている。京都の八坂神社もしくは兵庫県の広峯神社を総本社とする。)の流れで建立されたのではないか。」とのことでした。(2017年8月23・25日撮影)
醫王寺(いおうじ)入り口
出窓?
南側から本堂を撮影 裏側
本堂の様子
長岡霊場第8番札所
松平家も平沼家も寄付をしておられます。
屋根の鬼瓦
本堂の賽銭箱
檜皮葺きです。
唐破風は檜皮葺きで立派で目立っています。
長岡霊場第七番の石柱が立っていました。 末社神