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取材記事内を検索ワード「沼」で検索した結果,98件の記事が見つかりました。

燃えるような沼の住居跡地のモミジ

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 2020年11月6日に沼の住居跡地に紅葉を求めて行ってきました。
毎年、ここのモミジは燃えるようで、とても美しく魅了されてしまいます。そんなに多くのモミジの木があるわけではないのですが、美しいのです。復元されている沼の住居跡周辺のモミジはこれから紅葉が始まり、長くモミジの紅葉を見ることができます。

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くらやさん経由でイナバ化粧品店へプチGo toトラベル。

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 とても気持ちの良い日になった2020年10月24日津山市沼にある「くらや」さんの駐車場であった「くらや工場祭」で、みたらし団子を買おうと急いでいたら、「〇〇さ~~~ん!」と大きな声がしたので振り返るとありゃママではありませんか。おなじみのB'zファンの皆さんもいて「こっちがええかな、いや、あっちかな!」と言いながら一緒に記念撮影してきました。その後、イナバ化粧品店に伺い、あまりにも良いお天気なので川崎八幡様へ車でお参りをしようとスタッフに道を尋ねたら「道が狭いで!」と言われどうしようかと迷っていたら「私が教えてあげる!さぁ~いこうや!」とママ。無事に到着しお参りを済ませ、境内で大きな深呼吸を始めたママ、よぼど気持ちが良かったのね!

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南朝作州七忠臣竝忠死者二十人総忠魂碑(久米南町)

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 2020年9月13日・14日と浄土宗開祖・法然上人生誕地である栃社山 誕生寺(岡山県久米郡久米南町里方808)の駐車場に建てられている記念碑を訪ねてきました。
 正面「南朝作州七忠臣竝忠死者二十人総忠魂碑」、側面左「樞密院副議長從位勲一等男爵平沼騏一郎謹題」、側面右「民部介菅原尚忠竝室法然上人叔母君秦氏彰徳」が、誕生寺境内に昭和9年4月3日に建立され、その後、平成7年に第二駐車場に移設されたそうです。若い住職にお伺いすると「詳しくは存じ上げませんけれど、碑文を保存しております。」と碑文の写しをくださいました。

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弥生住居跡から見た夕焼け(沼)

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 津山市沼の弥生住居跡から見た夕焼け(2020年8月13日撮影)
お盆のお墓参りから帰る途中の津山市田熊で見た落日がとても美しく感動しました。そこで、写真を撮りながら自宅まで帰ろうと思い、落日に向かいながら車を走らせました。丁度、沼の弥生住居跡地に差し掛かった時が一番きれいだったので、そこで暫く夕日を眺め自宅へ帰りました。
 自然というものは本当に美しくもあり、雄大で人の心まで癒してくれますね。

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的場公園(沼第四公園)

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 津山市沼にある的場公園で、高専橋から柳通りから1本東の道を北に向かっていくとほどなく公園が見えてきます。住宅街の中にあるので静かです。春にはさくらが咲いて奇麗な公園です。公園の周りには可愛いお花が植えられていて思わずほっこりしました。(2020年3月23日撮影)

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沼第二公園(沼)

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 2020年3月23日の沼の住宅街にある沼第二公園です。
静かな住宅街にあり、西側は宮川が流れています。グラウンドは広くて野球などが出来そうです。
また、グラウンドより少し高台にトイレとか藤棚があっり、遊具はそんなに多くありませんが、ブランコや砂場があります。

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沼第五公園(昭和公園)

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 沼第五公園(昭和公園)(津山市山北765)は、宮川沿いにあり、中央児童館が隣接されています。周りには住宅街や近くには美作大学があります。まだ肌寒い日でしたが、滑り台の周辺で子供たちが元気に走り回っていました。(2020年3月23日撮影)

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美作の大庄屋「田中家」(英田郡海内)

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田中家 田中久太夫 英田郡海内村 森藩 沼田藩
大庄屋まで
 田中氏は、三星城主後藤勝基の家臣田中信濃守が祖先であるという。その子次郎兵衛が海内村に帰農し、その子久太夫が森藩の大庄屋に任命された。享保15年(1730)英田郡など3郡1万4000石が上野沼田藩士岐領になると、再び、大庄屋に任命され、代々長兵衛を名乗った。
大庄屋として
 沼田藩は、海内村に陣屋を置いた。田中長兵衛は士分にとりたてられ、年貢の徴収・輸送にあたった。中庄屋として協力した山外野村の黒田家は薬草園経営のも関わっていたという。
 慶応2年(1866)改政一揆が起きると、沼田藩は、鯰村の隋縁寺など領内4ヶ寺に一揆との交渉を依頼、金4000両と米1500俵を一揆勢に渡すことで願書を撤回させた。とくに隋縁寺の僧侶日正上人の活躍があった。上人の墓は妙法寺(津山市西寺町)にある。大庄屋の田中長兵衛も一揆の鎮静化に尽力した。

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作州忍者「鶴山隊」(つるやまたい)

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 津山城に忍者、・・・・・・・と思いし行動開始したのが平成最後の年、31年2月22日(ニン・ニンじゃ) 津山城にて5名の有志によりスタートし、隊員同士の活動も徐々に組織的行動に移ることが出来、昨年4月8日津山城本丸にて忍者迷路中心に姫路、徳島、香川拠点に活動する忍者会の協力もえて公開演技、エフエム津山での生放送などの他県南テレビ局の取材なども頂き、広く作州忍者鶴山隊を紹介の機会も効して津山城観光の一助となったことに自信を頂きました。
 又、忍者は「学び」から原点に おくにじまん研究会長 藤木靖史さんによる津山城の魅力発見学習をはじめ、6月15日郷土史家 山田美那子先生の学習会を皮切りに元郷博物館館長 尾島 治さま講師による学習会を毎月行ってきました。
 基本は森家に繋がりのある点では、津山城内、衆楽園、本源寺、徳守神社等の現地学習はじめ西、東公民館を使用しての学習会、そして外部活動としてはお隣の「勝央金時まつり」等地域活動の一環として紹介、展示ブースを設けるとともに手裏剣体験コーナーを設けるとともに「くノ一」による「チャンバラごっこ」は子供たちに隊人気でとても好評でした。
作州忍者の広報活動としての一環として「ダンスチームベリーズ」オリジナル忍者ダンスも鶴山での初ステージに始まり勝北ふるさとまつり先般のB1グルメ明石大会等に出演し作州忍者鶴山隊の盛り上げに努めて頂いています。
 今後は、令和2年2月22日作州忍者 鶴山隊創設一周年事業に向けて具体的な行動計画を皆様とご一緒に立てながら広く市民にも親しまれる作州忍者鶴山隊としての活動に皆様と共に邁進させて頂きたいと思いますので各皆様方の一層のご尽力賜れますようお願い致します。             
                        令和2年1月吉日 作州忍者鶴山隊隊長 克丸

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