取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「門」で検索した結果,784件の記事が見つかりました。

武蔵の記念館・武道館

musashi18.jpg

 剣聖宮本武蔵は、この地岡山県美作市宮本において、父・平田無二斎と、主家新免家の妹お政の次男として天正12年3月(1854年)に生まれました。
 武蔵の生家は、北を宮川で南を小童谷川で守り、30間(約60m)四方の強固な堀めぐらしていた、宮本の溝と呼ばれていました。山柴水明の山の丸い武蔵の里の構えは、地理的には山陽と山陰の重要な連絡路であった因播州街道に沿ってあり歴史的には中世、特に戦国時代には山陽と山陰の両勢力による略奪の地がこの旧大原町でありました。
 武蔵の家系は代々十手術を伝えてきたので、当然武蔵も平和な今日では考えられない厳しい剣の教育を受けたものと思われ、幼少の頃から武術にたけており、13歳の時播州平福で新当流有馬喜兵衛に勝ってからそれ以降、剣の道一筋に練磨し、その間京都の一乗寺下り松での吉岡一門との戦いを始め、29歳で九州舟島において、佐々木小次郎に勝つまで生涯60余度の勝負に一度も負けたことがありません。

武蔵の記念館・武道館の続きを読む

賀茂競馬(特別扱いの倭文庄馬)

kurabe4.jpg

 倭文歴史と文化を語る会"ふるさとの歴史再発見の旅"(平成30年5月5日)日帰りで京都市上賀茂神社競馬神事と三十三間堂の旅に参加して来ました。この旅は倭文地区の歴史を子ども達に伝えたいと企画されたのだそうです。子ども達も実際に自分たちの目で競馬を見て何かを感じてくれたことでしょう。


競馬(くらべうま)
 馬は神聖な動物とされ、五穀豊穣・天下安隠を祈って、神馬(しんめ)として奉納された。上賀茂神社の競馬、下鴨神社の流鏑馬(やぶさめ)など、馬が登場する神事は多い。上賀茂神社の競馬は、1093年(寛治7)に、宮中の菖蒲の根合わせで勝った女房たちが、そのお礼に奉納したのが起りとされる。病気平癒祈願に、十列(とおつら)走馬の奉納という盛大なものもあった。(文:倭文地区歴史と文化を語る会)

賀茂競馬(特別扱いの倭文庄馬)の続きを読む

平成28年度 津山郷土博物館特別展「江戸での火消行列図」

edohikashi.jpg

平成28年度特別展「行列を組む武士たちー津山藩松平家の行列図よりー」H28.10.8~11.20
大名火消と松平家
はじめに
 「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど、江戸の町では火災が多く発生し、時には江戸城を含む広範囲を焼失する大火になることもありました。そのため、当初は消防組織のなかった江戸の町に、やがて階層ごとに編成された消防組織が置かれるようになります。町人は町火消、旗本は定火消、大名は大名火消という具合ですが、大名火消は所々火消と方角火消、各自火消に区別できます。前の二つは決められた場所の消火に当たるもので、後の一つは藩邸近隣の消火に出動するものを指します。ここでは、主に前の二つについて、松平家の事例を紹介します。

平成28年度 津山郷土博物館特別展「江戸での火消行列図」の続きを読む

【津山人】彫書家 彫無季

muki-2.jpg

 彫無季(本名河野省三・1904~1992)は明治37年岡山県苫田郡津山町三丁目(現津山市本町三丁目)に生まれました。大正9年(1920)岡山県立津山中学校を中途退学し、2年余り中国上海に遊学しました。同13年(1924)帰国ののち上京し、翌年東京蔵前工業専門学校に入学しましたが、2年後に中退しました。
 その後、叔父の経営する工場の仕事を手伝いながら、独学で中国の拓本などを学習しつつ、自らの書の工芸を模索しつづけました。そして、ついに書と彫刻が一体となった彫書という新しい芸術を創造しました。
 昭和29年(1954)初の「彫書」個展を開催、以後個展の開催や各種揮毫、著書の出版など縦横無尽に活躍しました。また、昭和41年(1966)には淳和会を発足させ、後進の指導にも努めました。平成4年東京で没。享年87(文:平成18年3月18日津山市教育委員会「彫無季の芸術」より)(写真:津山郷土博物館特別展図録『彫無季の芸術』より転載)

【津山人】彫書家 彫無季の続きを読む

西東三鬼の句碑

sanki-2017-8-20.jpg

(2017年8月20日撮影/津山駅前国道53号線沿い)
西東三鬼
明治33年(1900年)、津山市生。昭和37年(1962年)没。
新興俳句の旗手として活動の先頭に立つ。山口誓子を擁し「天狼」を創刊し、初代編集長を務める。自らも「激浪」「断崖」を主宰した。毎年4月1日には墓碑のある成道寺で、門下生や由縁の人々によって三鬼忌が行われている。また、津山郷土博物館には彼の遺品や遺墨などが集められ公開されている。

西東三鬼の句碑の続きを読む

与謝野晶子 文学碑(美作高校)

mimasaka7.JPG

「うつくしき五郡の山に護られて 学ぶ少女はいみじかりけれ」
 明治2年、大阪府生。昭和17年没。明治・大正のロマン主義歌人。歌集「みだれ髪」を出して有名になった。「明星」の主宰者、与謝野鉄幹と結婚。人間解放の歌風で明星派の代表歌人。昭和8年に「美作学園」で講演した。(文:城下町津山文学碑めぐり資料より)(2018年5月16日撮影)

与謝野晶子 文学碑(美作高校)の続きを読む

多門櫓(津山城)概要

4-2tamon27.jpg

 多門櫓は、天守台の南西側、西側、北西側を取り囲むように存在した櫓です。絵図からは、西面は長さ二十四間、幅三間の細長い平櫓で、南北端に三間×四間の二階部分が置かれていることが分かります。南面は長さ八間半、幅三間の平櫓、北面は長さ五間半、幅二間の平櫓となっており、北面の櫓は七番門に接続しています。
 整備工事では、建物の輪郭を御影石で表し、内部は自然石の樹脂舗装を施しています。また、二階建て部分と平屋部分との違いが分かるように色を変えて表示しています。(薄い灰色が二階建ての隅櫓部分)。北西の隅櫓から東へ続く櫓は、天端面を土系舗装とし、石垣内部へ雨水が入らないようにしています。
 地下には裏込めの栗石が石垣の表面から奥行き6m(約三間)もの範囲に充たされていたことが、発掘調査によって分かりました。(文:現地案内版より)(2015年4月・2017年6月・2018年4月撮影)

多門櫓(津山城)概要の続きを読む

あけぼの旅館(文化庁 登録有形文化財)

akebono001.jpg

 あけぼの旅館は、津山城下町のほぼ中央部の津山市戸川町31番地に所在する。津山城下町の建設は、津山城の築城とともに、慶長9年(1604)から初代津山藩主森忠政によって開始され、およそ寛永年間(1624~44)頃には完成したとされている。
 城下町時代の戸川町は職人町で、慶長年間末以前は「富川」、以後は「戸川」の文字が用いられている。津山城下町を東西に走る出雲街道は戸川町の1本北側の本町2丁目と3丁目の通りにあたる。
 これまで、旅館名の表記は、あけぼの楼、阿けぼの、阿希ぼ乃、曙などとされてきたが、現在は「あけぼの」に統一されている。

あけぼの旅館(文化庁 登録有形文化財)の続きを読む

日本庭園「由志園」の3万輪の牡丹の花

IMG_7975.JPG

2018年5月4日、日本一の牡丹苗産地で有名な大根島(島根県松江市)にある「由志園」に出かけました。4月下旬~5月上旬には3万輪の池泉牡丹が庭園内を彩ります。5月6日には一日限定で黄色の牡丹の花で埋め尽くされたそうです。
 江戸時代から続く雲州人参の産地。茶人大名として有名な松江藩七代藩主・松平治郷(不昧公)が財政を再建するため始めた高麗人参の栽培は世界の一級品として高く評価されています。

日本庭園「由志園」の3万輪の牡丹の花の続きを読む