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【津山人】駒井匏軒翁碑(鶴山公園内)

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 駒井匏軒は幹夫津山候に仕へて先手弓頭となり祿五十石を食み、學問所教授を兼ぬ。兵學に通じ詩歌に巧に又書を善くす最も明楽に精通し特に横笛の妙手たり。晩年惟を垂れ名けて啓蒙學舎と曰ひ廣く青年子弟を数ふ。明治十二年七月歿す。歳五十六。匏軒文稿同詩稿の著あり家に藏す。(文:苫田郡誌より)(2017年6月14日撮影)

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君諱貞享字吉夫駒井氏匏軒其號幼名鐸次郎後改幹夫津山藩士
生于江戸藩邸内實栗原信満子出為茂右衛門君嗣歴仕文定愼由
二公從小從人擢使番兼御船宗旨鉄砲三奉行進先手弓頭賜禄五
十石蒹學問所教授文久三年徙津山君幼勉励文武之藝通兵法善
詩文倭歌及書又精通明楽巧横笛其在江戸藩邸文定公數臨聞之
甞賜古銅聖像君大榮之匾其居日賜聖嘉永七年米艦之來相模浦
賀也以鉄砲頭受命出次高輪泉岳寺慶應二年征長之役亦以其職
従軍共有勤勞云明治元年十一月以病致仕開啓蒙學舎于椿高下
之私邸教授子弟執贄者常百數十人十二年七月病歿得年五十六
葬西寺町泰安寺境内有一男一女男曰虎雄承後女適同藩士渡邊
怒一未幾虎雄病歿絶嗣者数十年頃者以恕一之孫女續家系茲以
當其歿後五十年及門諸士相謀欲建碑頌其徳嘱文於予乃依状叙
之係以銘日
學藝之美 君恩甞沐 誘掖之勞
英才多育 勒文負石 永傅芳馥
上原基篆額并撰文
勲七等功七級牧愼平書
昭和三年五月
(写真:苫田郡誌より)

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いつも何気なく見ていた碑ですが、碑文を写して来ました。