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取材記事内を検索ワード「伝承」で検索した結果,66件の記事が見つかりました。

百済市良右衛門 -作州鋳物の伝統五百七十年ー

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 司馬遼太郎の「街道をゆく」の第7巻は、古代の鉄生産をたずねて山陰路を歩いた記事をのせている。その帰途に四十曲峠を越えて作州に入り、苫田郡加茂町の黒木あたりのタタラ跡を見て回った。そこから岡山へ出る道、五十三号線の佐良山地区内のドライブ・インに立ち寄った。同行の鄭詔文さんがいつものくせで電話帳を借りて来てめくっているうち、津山市内に「百済姓」が四軒もあるのを発見、すぐ電話連絡をしたら、百済康氏の家だった。寄って欲しいと言われ、吹屋町に引き返して系図をみせてもらった。「いかにも風趣あり」鋳物伝来の暗示をしているようで、みごとな感じをうけた。と司馬遼太郎は書いている。このみごとな感じとは、渡来者の家系を誇りとしていることを指すと思う。いうまでもないが、新しい文化を日本にもたらしたのは多くの渡来者であった。

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土人形展 (M&Y記念館)

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2017年6月9日に棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館)へ出かけて来ました。全国郷土玩具土人形を収集(約2000点)しておられる杉本耕司さんの集められた人形の一部です。現在杉本さんは、津山郷土玩具愛好会を主催されています。次第に作られなくなった(失われていく)物を土俗文化と位置づけて研究されています。城東むかし町家(旧梶村邸)でも展示されています。(年に数回の入れ替え)


曽我五郎・舞鶴
先年市川海老蔵・坂東玉三郎に依り京都・南座にて公演されました。
江戸末期より長野のリンゴ農家の副業として代々製作せれて来ました。
立ヶ花土人形

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出雲街道を歩こう会「新庄宿」(レポートその2)

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2016年10月22日(土)第7回出雲街道を歩こう会(主催:出雲街道新庄宿町づくりの会・出雲街道勝山宿の会)があり参加して来ました。レポートその2は、嵐ヶ乢~新庄宿までです。秋の日、暑くもなし寒くもなしのハイキング日和で、ワイワイガヤガヤ賑やかに歩いてきました。後鳥羽上皇旧跡では、地元の方が甘酒を用意して待っていてくださり感激でした。また、しだれ栗の木にはビックリでした。

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三穂神社(奈義町)

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念願を自から果たした神 (「さんぶたろう」伝説発祥の地)
こうべさま由来
 この神域は正貴山と呼ぶ古来の原生林にして1名のこうべ様の名によって往古から美作東北部より因幡路にまたがり広くの民衆の信仰を集めて著名である。 
 別の名を三穂神社と称えるがその三穂の語源ならびに読みにつき諸説さまざまにして詳らかなる定説がない。
 この宮の主神は出雲神族の大国主之命の御子事代主之命であり併せて菅原道真の裔三穂太郎満祐の頭部を後に合祀されている。 (2015年11月20日撮影)

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御先神社(田町)

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城下町津山に残る多くの小社の中で、風格ある社建築を持つこの御先明神も古い歴史を持っている。
森家の家臣吉田作左衛門が、二宮高野神社境内にある御先神社を寛永年間にこの地に勧請した。
吉田邸は刃傷沙汰の伝承のある侍屋敷。その話に絡んで稲荷神の「うかのみたま」のお使いである狐を屋敷神として杷ったもの。現在の社は明治時代の建造である。
所在:津山市田町 祭神:お稲荷様=倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 創建:寛永年閣(1624~1643) 以降
祭礼:夏祭7/28 秋祭10/28 初午祭2/28(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)

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新善光寺の百日紅(サルスベリ)

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百日紅の木 津山市指定記念物(天然記念物)

 一遍上人伝承の地に建つ新善光寺境内の大師堂裏手に南北に並んで2本あります。

北株は根元周囲1.65m、樹高10mで、推定樹齢は130年です。南株は根元2.1m、樹高10mで、同じく推定樹齢130年です。(一遍上人巡錫の地2009.4.12取材

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諏訪神社(勝田郡勝央町河原)

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当社の創建年月は不詳であるが、河原鏡山に古吉野庄の総社として創建されたと伝われている。
 天平5年(733)9月20日庄内の住民が集合して大祈祷を行って以来、この日を大祭日定めたとされ、当日は縫い物、畑仕事を禁じられた。
 長久3年(1042)古吉野庄の氏子の総意により、信州諏訪大社の御分霊(建御名方命)を勧請し、合祀した。
 安元2年(1176)広戸風の大烈風で本社が大破したので、移転地を信州諏訪に似たところとして、風害の少ない現在地に再建した。(御祭神 建御名方命 速秋津姫神 素盞嗚命 譽田別命 大國主命
倭建命 大己貴命)
 神社の境内にある神木(びゃくしん・いぶき)は本社移転時に諏訪豊前守藤原安盛宮司が手植えされたと伝えられ、樹齢800年の神秘な樹姿を見せる。また、十郎、徳丸(村人)の蛮勇で河原田圃開発の祈祷に使った伝承を持つ「雨乞い石」がある。(文:岡山県神社庁HPより)

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神崎屋敷跡(神崎与五郎則安の両親の墓)

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 神崎家は備前和気郡の出身。浦上家の同族と伝承される。祖父三郎兵衛茂範が森藩の値段奉行となり津山南新座に移る。
 神崎与五郎則安 赤穂浪士四十七士の一人(竹平と号す)
 父 又市光則(後半右衛門と改名)値段奉行十三石三人扶持
   元禄3年(1690)ごろ浪人し黒土に移住、寺子屋を開く
 母 先妻死後、勝間田下山六郎兵衛の娘
   寛文6年(1666)津山で生まれ津山藩に仕え父と共に藩を辞し黒土に移る。年代は不詳であるが五   両三人扶持五石(役料)
 父墓碑 本然院理空猶水居士
     享保2年(1717)8月2日 光則・光隆建之 
 母墓碑 悟心妙徹信尼
     享保15年(1730)9月8日 妻76才 光隆建之 
「光隆」については諸説あるが与五郎の弟と推定される。
昭和61年3月 勝央町文化財保護委員会・勝央ライオンズクラブ(文:案内板より)(2016年2月3日撮影)

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八出天満宮のとんど焼き

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2016年1月11日、八出天満宮のとんど焼きに行って来ました。

「とんど焼き」とは小正月の行事で、正月の松飾り・しめなわ・書き初めなどを各家から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすという、日本全国に伝わるお正月の火祭り行事です。
 境内で、正月飾りなど燃やし、残り火で、柳の木や細い竹にさした団子、あるいは餅を焼 いて食べるという内容で1月15日前後に各地で行われます。
 どんど焼きの火にあたったり、焼いた団子を食べれば、その1年間健康でいられるなどの言い伝えもあり、無病息災・五穀豊穣を祈る民間伝承行事です。(文参考:どんど焼き)

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アルネが出来る前の五番街附近

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五番街附近でアルネが出来る前の写真をお借りしました。
 五番街の名前の由来は、なんと、高橋真理子が歌った「五番街のマリー」から名づけられたのだそうです。なんで二番街、三番街、四番街がないのか?といつも不思議に思っていた謎が解決しました。
(写真提供:中山須美子さん)

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