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新善光寺のミニ四国靈場、明星の井戸

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四国靈場八十八ヶ所の開基
 当時の四国霊場八十八ヶ所の勧請は、時の住職英傅和上により天保2年より7年がかりの天保9年(1839)正月に開基されたもので、一番札所寺阿波の靈山寺より八十八番札所寺讃岐の大窪寺に至る各札所寺の夫々の本尊像を現地の四国に於て石像に刻み当時寺まで運んだと言う誠に大掛かりな大事業であった。この勧請に参じた施主は、檀家を中心に近郷の篤信者を加え、各寺毎の施主名は石佛台に刻記されて、本堂前より金森山、城山の外周を巡り約1.5粁に渡って配置されている。この外に番外の堂宇が加わり一百余堂となり、今回の記念事業の一環として再整備されたものである。(文:現地案内板より)(撮影:2017年7月15日・8月12日)

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新善光寺の山門         境内

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四国靈場八十八ヶ所の開基

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本堂                      鐘楼

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一遍上人伝承の地に建つ新善光寺境内の大師堂裏手に南北に並んで2本あります。

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八十八ヶ所ミニ霊場

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金森山の由来
人皇五十三代淳和天皇の御代弘法大師全国巡鍚の途路此の地に来り一つの荒堂の森あり此の森より金色の光りを放ち給ふ故に金森山と号すと云々 後に新善光寺の山号となる  昭和五十三年 竹内生二 建之(文:現地案内板より)

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境内に咲くハスの花はとても大きいです。

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明星の井戸
弘法大師が明星を発見された場所とされ、ここはそれに因んで明星水と呼ばれれる水の湧き出た井戸の遺跡で、この水は医療の乏しかった時代新善光寺独自の靈薬として世評の高いもので、津山城藩主森忠政も慶長16年(1611)京都で重病に臥した時、新善光寺の本尊阿弥陀如来が夢に現われ、この明星水を與えられた事がきっかけとなり平癒したと署縁起にある。

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明星の井戸が新しく整備されていました。(2009.4.12取材)

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新善光寺のハスの花(2017年7月15日撮影)

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(2016年8月23日の取材)

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新善光寺のハスの花(2017年7月15日撮影)

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(2017年7月15日撮影)