大崎の荒神様
国道179号線沿いにあります。ご近所の方にお聞きしても詳しいことがわかりません。『大崎の歴史と文化 神社編』の中にその他の神社として荒神社の写真のみが掲載されております。179号線沿いからの参道はありません。(撮影:2014年11月13日)
国道179号線沿いにあります。ご近所の方にお聞きしても詳しいことがわかりません。『大崎の歴史と文化 神社編』の中にその他の神社として荒神社の写真のみが掲載されております。179号線沿いからの参道はありません。(撮影:2014年11月13日)
ここは「元屋敷」と云う地名で町内で最も大きい茅葺きの家である。
慶長5年(1600年)、武蔵が武者修行に出立した時、家の道具家の系図、十手(三つ)、すやりを姉おぎん夫婦に渡した。その後、元和9年(1623年)、おぎんの二男九郎兵衛景貞がここに居住し、武蔵家を相続した。
庭の池水はその時作られた。辺には樹齢400年のタラヨウと樹齢300年のウツギの古木と屋敷の入口の樹齢300年の栗の巨木とがあり、さすがに武蔵にゆかりの深い平尾家らしい趣がある。
(文:美作市看板より)
2018年7月23日に徳守神社の夏越祭の神事が行われます。また、宵にあたる22日には長年途絶えていた宵祭が復活されてから3回目の万燈籠の神賑い行事が行われます。今年はNPO法人楽アートプロジェクトさんとのコラボで更にパワーアップした宵祭となりそうですね。また、23日の本祭りには、きもだめしがあったり、奉納演芸があったりと境内はにぎわいそうです。
※神賑いとは、「今」人々が楽しんでいる事や文化を神さまと共に共有し、共に楽しむ古来からの神事だそうです。(2016年夏越祭の様子)
武蔵神社
武蔵生誕地碑前から因幡街道を200㍍上った右側、字天王山にある。 郷土の生んだ剣聖「宮本武蔵」」を祀る神社として、昭和46年(1971)4月、武蔵奉賛会の趣意に賛同した全国1300余名の人たちからの浄財530万円をもって建立した。
拝殿の正面上部の「武蔵神社」の額は、彫書芸術の創始者である彫無季謹作書のものである。また、社頭には、武蔵が好んだ唐の詩人白楽天の詩の一節「寒流帯月澄如鏡」を刻んだ「戦気の碑」が建てられている。
2018年7月10日のイナバ化粧品店です。この日は日本列島未曾有の災害があり、倉敷・総社をはじめ広島など大変な水害が起こった後でした。お店に立ち寄るとママが「今、全国からのお見舞いのメールに返事を書いていたとこなんよ。」とのことでした。全国の心配くださっている皆様に挨拶がしたいとのことで、津山瓦版のFBに動画メッセージを入れさせて頂きました。その後、少し外に出ようという事になり、鏡野町方面にドライブしてきました。このバッグはともちゃん(お兄さんのお嫁さん)の手作りだそうです。「ええじゃろ~。」と自慢。
由緒・沿革
八幡神社の創立
旧高取五ヶ村の氏神「八幡神社の由緒書きによると、貞観2年(860年)に美作の国、勝田郡の人で大宅鷹守の子鷹取が備中権守に任命された時、貰った神功皇后のお腹帯と忍態皇子(応神天皇の第3皇子)の衣の袖を父の鷹取に贈ったところ、この親子が備中美作と、遠くは離れて住んでいるにもかかわらず、毎晩同じように八幡大神の夢を見るので「不思議なこともあるものだ、これはきっと神のお告げに違いない」と信じて宇佐八幡の神を黒坂の水清川の源である清野山(場所不明)に祀ったのが八幡神社の起源であるということです。(湯谷八幡神社)
その後、天徳2年(958年)に再建され、永承3年(1048年)に源実朝が美作権守になって赴任した時、当時の神主である大杉次郎太夫が古殿を改築し、神楽殿を建立しました。
美作大崎駅(みまさかおおさきえき)は、岡山県津山市福力にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)姫新線の駅である。なお、駅名の由来となっている旧勝田郡大崎村は「おおざき」と濁るのが正しい。
津山方面に向かって左側に単式ホーム1面1線を持つ地上駅(停留所)である。棒線駅のため、津山方面行きと佐用方面行きの双方が同一のホームより発車する。
津山駅管理の無人駅で、駅舎と呼べるものはなく、直接ホームに入る形になっている。自動券売機も設置されていない。
倭文歴史と文化を語る会"ふるさとの歴史再発見の旅"(平成30年5月5日)日帰りで京都市上賀茂神社競馬神事と三十三間堂の旅に参加して来ました。この旅は倭文地区の歴史を子ども達に伝えたいと企画されたのだそうです。子ども達も実際に自分たちの目で競馬を見て何かを感じてくれたことでしょう。
競馬(くらべうま)
馬は神聖な動物とされ、五穀豊穣・天下安隠を祈って、神馬(しんめ)として奉納された。上賀茂神社の競馬、下鴨神社の流鏑馬(やぶさめ)など、馬が登場する神事は多い。上賀茂神社の競馬は、1093年(寛治7)に、宮中の菖蒲の根合わせで勝った女房たちが、そのお礼に奉納したのが起りとされる。病気平癒祈願に、十列(とおつら)走馬の奉納という盛大なものもあった。(文:倭文地区歴史と文化を語る会)
白石齊さんが津山朝日新聞に「城下の仕事場」をテーマにしたエッセイを連載されていましたところ、多くの方々から「是非、まとめて出版してほしい」との反響があり、それを受けて、今般、津山朝日新聞社のご協力をいただき『町中が仕事場だった』を上梓されました。そこで、白石さんを囲んで「津山を元気にしよう」をテーマにして津山弁で気軽に語り合う会を開催することになりました。(文:津山おくにじまん研究会 藤木靖史さん)(撮影:平成30年6月9日、津山鶴山ホテル)
2018年3月10日の晴れた日に、津山郷土博物館主催の第114回文化財めぐり(近長~杉宮周辺を歩く)に参加して来ました。八幡神社から続いて向かったのは、西賀茂神社(杉さま古墳群・ナナミノ木)→苫勝霊場78番と石造物群→成名公民館駐車場までです。