
医療の発展に貢献した久原家(二階町)

皆戦場〔合戦場〕(草加部)

行啓道路(津山市山下)

能万寺古墳群(きつね塚遺跡)(津山市押入)

「おのつから あゆみもおそくなりにけり さくら花さく のべのかよひち」 直 頼高
美作三歌人の一人とされる頼高(安政6年~大正8年)は上之町、大隅神社の神主として梅の木に囲まれた「梅の下舎」で美作歌壇を指導、歌誌「水甕」主宰、尾上柴舟に歌の手ほどきをした。秋久家に老梅が残る「梅の下舎」跡がある。
薬研濠北
(文:『津山市文化協会創立60周年記念誌 津山文化』より)(2015年4月3日・10月25日撮影)