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「童謡の日」コンサートで野口雨情のお孫さんと共に歌う。

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2012年7月1日(日)野口雨情生誕130年とプレママ赤ちゃん&みんなの童謡教室30回を記念して、音楽文化ホール・ベルフォーレ津山で、童謡ひろば~うたわらべ「童謡の日コンサート」がありました。
 うたとお話は大島良子さん(ソプラノ)、ピアノは先本潤子さん、スペシャルゲストは野口雨情のお孫さんで、野口不二子さん(野口雨情生家・資料館代表)でした。
 オープニングの青い目の人形をはじめ、「シャボン玉」、「赤い靴」、「雨降りお月・雲の陰」、「あの町この町」、「十五夜お月さん」、「七つの子」などなどが披露されました。
 また親子でいっしょに!では「俵はごろごろ」、「証城寺の狸ばやし」等を親子で熱唱。


野口雨情<1882年(明治15年)5月29日~1945年(昭和20年)1月27日>日本を代表する詩人、童謡・民謡作詞家。多くの名作を残し、北原白秋、西条八十とともに、童謡界の三大詩人ともうたわれている。


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両山寺五瀧の一つ「小滝」

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2012年7月16日(火)小瀧(こたき)倭文東村大字福田上
小瀧は八社川上流にあり、小滝(高さ約20m)付近はよく整備されている。
両山寺五瀧の一つ、高さ10間、幅4間、傍らに大師堂がある。榜示が乢へ上る道路も左側にあって通行する旅人の足を止めしめる。瀧は小さいが雅致がある。(久米郡誌より)
 野山が紅葉と変わり清々しき心地に秋風がやって来る頃、又春の陽に麦穂の美しく伸びゆく時、御大師巡りに足を八社の地に運ふ折道行く人々に疲れの足を停めさす小瀧、秋の陽ざしに岩の白く輝き清流に流るゝ汗を拭ひ取り水の面に我が身を写せる小瀧の水の清らかさ先づ何と云っても秋の八社の代表的景勝地で有らう瀧の上に堂ありて、御大師様、御薬師様等祭礼するは是又面白き姿である。久米郡誌に「両山寺五瀧の一つ高さ10間、幅4間傍に大師堂がある榜示が乢へ上る道路の左側にあって通行する足を止めしめる瀧は小さいが雅致がある」と述せる如く総て小瀧の地は風雅なり。(昭和27年9月1日発刊 倭文志稿より抜粋)2009年取材の様子はこちら

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河面 農耕と深く関わる二つの地神様

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▲花屋・高畑の田んぼの中の地神様
 河面の上原集落に上がる三叉路の所に、コンクリートで固められた台座の基に、むすび型の石碑で地神様が祀られている。 
 「地神」と大きく刻まれて、川石の裏面に「大正5年4月建 上原講組」と建立した年代を明記してある。(大正5年=1916年)
 また、河面には今一つ、小字の花屋・高畑の田んぼの中で、かつて広山八幡宮の御神輿が立ち寄り神事が行われていたと言われ、いまでも幟が立てられる旧神事場に、ほぼ同じ大きさの地神様が祀られている。
 「地神」と刻まれた丸い川石の裏面に、これまた、「大正4年9月 高畑花屋」と明記されており、これら二つの地神塔が、ほぼ同時期にできたことが分かる。
 この地神様は、百姓の神様として広く各地で祀られている。
 ルーツは、平安以後広まった地蔵信仰の一形態であり、「地蔵菩薩本願経」の内の「地神護法品11」に「堅牢地神の守護を受けて地蔵菩薩を供養すれば土地が豊かになり、家が永く安らかになるなどの御利益を受ける」と説かれていることなどに由来している。たびたび凶作飢饉にみまわれた江戸時代半ばころから流行しだし、明治~大正ころ急速に建立が流行したようである。河面の二つの地神塔ができた背景には、大正3年(1914年)の干害や、4年の暴風などによる凶作が考えられる。地神信仰は、構造改善を終えた現在においても建立されており、農村地域に根強い信仰が続いている。
 地神様の祭りは、本来、春秋の彼岸の中日に最も近い戊の日に当たる社日に行われていた。この日は、地神講、社日祭と呼んで、田畑に入らない、土をいじらない日として農作業を休み、部落の当番が世話をして地神様の祭りを営む。地神塔には、注連縄を張り、酒や米をお供えをし、お祈りの後には、各戸から集まった皆で、簡単な飲食をする習わしであった。
 農作業の形態が大きく変わった現在、上原地区の事例で言うならば、彼岸前後の休日の日、道直しや溝掃除の共同作業の後、地神様をお祭りしている。疲れなおしをかねて、その広場で簡単な会食をしている様子となっている。
 なお、花屋の地神様のある旧神事場の二つの小祠は、部落・株などを守護し火伏の役を果す三宝荒神様と、地鎮の神様を八幡祭礼日に合わせてお祭りしている。(文:広野の歴史散歩:宮澤靖彦 編著より)2012年5月31日取材

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曹洞宗 成興寺(じょうこうじ)

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曹洞宗 成興寺
 沿革
 そもそもの成興寺開基は、夢窓国師(京都天竜寺開山)と伝えられ、JR因美線美作河井駅から登る矢筈山上にありました。久しく廃絶していた寺を天文年中(1532~54)に、草苅加賀守衡継が矢筈山頂に居城を築く際、菩提寺として再興しました。(成興寺丸跡あり)
 天正12年(1584)草苅氏退城後、寺も廃址に帰しましたが、文禄3年(1594)に草苅氏の家臣で、小中原の土豪中西孫左衛門が、現在地に再興しました。元禄2年(1689)津山西寺町長安寺三世白善嶺雲和尚が曹洞宗に改めて開山となりました。現住職小倉玄照和尚は、第十三世。(2012年4月21日撮影)文:曹洞宗 成興寺(津山市加茂町小中原41)

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県立森林公園で命の洗濯をしてきました。

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森林公園のあらまし(2012年5月6日)
 岡山県立森林公園は、岡山県が「明治百年記念事業」の一環として購入した県有林のうち、県北の鏡野町奥津地域と同町上斎原地域にまたがる森林を整備し、"岡山県立森林公園"として昭和50年7月開園しました。
 この公園は鳥取県との県境に位置し、面積334ヘクタール、標高840~1,100mの中国脊梁山地にあり、気候は日本海側気候に属しています。
 森林の大部分は、ブナ、ミズナラ、マルバマンサク、ツノハシバミなどの落葉広葉樹と群生したネマガリダケが主体ですが、一部には県内でも珍しいカラマツ林があるほか、スギ天然林、スギ、ヒノキの人工林もあります。
 尾根筋には、ブナ、ミズナラの大木が茂り、山麓の一部にはマユミの大木が秋見事な赤い実をつけ、また清らかな渓流沿の湿地では、バイケイソウ、ザゼンソウ、オタカラコウなどの湿原植物が季節を追って出現するなど、四季を通じて変化するすばらしい自然景観と眺望はこの公園の特徴です。
開園機関:4月雪解けから11月末日・新緑見ごろ:5月上・中・紅葉みごろ:10月中・下旬(パンフレットより)

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津山城(鶴山公園)のつつじと藤の花

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2012年5月6日の津山城(鶴山公園)のつつじです。今年は花のつきがいま少しといったところです。でも色とりどりのつつじが綺麗でした。藤の花はさっぱり咲いていませんでした。少しがっかり!この日はお天気も良くてゆっくりベンチで友人と語り合いました。緑が一杯の津山城(鶴山公園)本丸から見る津山市内はまたいいものです。みなさんもいかがですか?(過去の取材

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衆楽園のつつじの花とスイレンの花

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(2012年5月7日の衆楽園)衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。元禄11年(1698)に松平家が藩主となって以後幕末までは、家臣や他藩・他家からの使者を謁見するための「御対面所」、または藩主の隠居所の庭園として使われ、明治3年(1870)に「衆楽園」として命名されました。
  衆楽園は津山城の北側(津山市山北)に位置しており、庭園は南北に長い敷地で、大半を池が占めています。別邸跡の古い建物群は現存せず、それらを再現した建物(余芳閣・迎賓館・風月軒ほか)が建っています。(津山城より
春夏秋冬いつ来ても見ごたえあります。(過去の取材

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全国土雛展-秋田・山形・兵庫・鹿児島-

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3/31(土)~04/8(日) 全国土雛展-秋田・山形・兵庫・鹿児島-

とても面白いお雛様です。男性がなで肩、女性がいかり肩で首が太いのが特徴です。愛嬌があって好きなお雛様です。みなさん、鶴山公園を廻った後、ぶらりと城東地区を廻ってみてくださいね。
時間:10時30分から18時(最終日は17時) 場所:うき草や ※4月4日(水)は休業問い合わせ:0868-22-8845(うき草や)

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「棟方志功・まぼろしの初期作品集展」M&Y記念館

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2F展示室 特別企画展 「棟方志功・まぼろしの初期作品集展」
3月31日(土)~9月30日(日)
 今回の企画展では、処女版画集である『星座の花嫁』をはじめ、初の裸婦作品集となった『ヴェニュス生誕』、今回発見され、「開運!なんでも鑑定団」にも登場した幻の作品集『季節の花籠(草稿)』など、初期の貴重な棟方志功の版画作品集を一同に展示しています。


 「季節の花籠」は、不動明王に始まり、不動明王で終わる作品集で、河井寛次郎に学ぶ以前の志功の仏教観をはじめとする様々な心象、題材、表現手法が各作品にテーマとして現われており、将来の棟方作品を見事に予感させてくれます。
 昭和初期、棟方志功が、貧困の中で試行錯誤しながら版画に取り組み、自身の作風を確立して行くまでの過程が良くわかる作品展です。入場料:500円(1F企画展もご覧になれます。)
文:棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館)提供

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旧広野村戦没兵士の慰霊塔

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旧広野村戦没兵士の慰霊塔 
 広野小に隣接する小村池の東南隅に当たる山麓に、市道曲がり角に面して、広野地域の慰霊塔が祀られている。
 各地域に見られる忠魂碑に相当するもので、いわゆる御国のために、戦争で犠牲になった広野村当時の出征した兵士の御霊を祀っている石塔である。
 この慰霊塔には、日本の近代化のなかで惹き起こした戦争のために、広野村から出征し、戦死・戦病死した兵士113柱の慰霊が納められている。戦没者の内訳は、日清戦争(1894~95年)2名、日露戦争(1904~05年)6名、満州事変(1931年~)日華事変日中戦争(1937年~)太平洋戦争(1941~45年)という15年戦争の105名である。
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