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秋の津山城ご当地グルメフェスティバル

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秋の津山城ご当地グルメフェスティバルが2011年11月19日(土)・20日(日)行われました。

19日はドシャブリの雨でしたが、サクラブさんが津山ロールの宣伝をしておられました。会議所女性会のメンバーも張り切ってお茶やコーヒー・津山ロールセットでお接待。また「つやま地域産品まつり」も同時開催され大勢のお客様で賑わいました。

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箕作家の墓所

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箕作家の墓所

 箕作家の墓は、もと市内上之町の浄円寺内にあったが、阮甫が江戸に定住したあとここに移された。阮甫以降の省吾、麟祥など幕臣箕作家の墓所は、初め東京小石川の白山浄土寺にあったが、今は多磨霊園に移されている。秋坪・佳吉など津山箕作家の墓所や、奎吾・元八ら江戸箕作家の墓所ならびに大麓以降の菊池家の墓所は、ともに東京谷中墓地にある。

 箕作家旧宅が国の史跡に指定された昭和50年、宇田川・箕作顕彰会と津山市教育委員会により、解説板と標柱が設置された。しかし、歳月を経てそれらの傷みが激しいため、箕作阮甫の生誕二百周年にあたり、津山洋学資料館友の会が、広く市民の協力をえて整備したものである。(案内板より)
平成11年11月7日

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2011年11月19日・20日秋の津山城ご当地グルメフェスティバル

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2011年11月19日・20日「秋の津山城2011ご当地グルメフェスティバル」

津山のご当地グルメ「津山そずり鍋」「津山塊肉(ソウルフード)」や「日生カキオコ」や「ひるぜん焼きそば」も出店され、19日は雨降りの寒い中を多くの皆様が並んでおられました。また「つやま地域産品まつり」も同時開催され2日間で約1万人の入場者があったそうです。

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中山神社の秋祭り、だんじりの取材報告

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中山神社の秋祭りが11月3日にありました。2011.11.3

中山神社は、慶雲4年(707)の創建と伝えられる美作国の一宮で、永禄2年(1559)に再建された本殿は国指定重要文化財です。中山神社の御輿は格式高くしずしずと進むみます。その姿は中山神社ならではのものだと思いました。また、だんじりは新しく造られたものだそうです。春季大祭「お田植祭り」(4月29日)にもだんじりは出ていましたよ。

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因幡往来に隣接 山王権現を祀る日吉神社

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日吉神社は聞き伝えによると、滋賀県の日吉大社から持って帰ったと言われています。大国主命の弟をお祀りしているとのことでした。太田町内会の宮総代の下山清さんは「昔は廻り舞台もあったが、終戦後に壊したのではないかと思います。そして、参道脇にはワラ家があって賑やかでした。また、日吉神社はすもうの神様なので境内には土俵があり、よく相撲をしていました。」とお話くださいました。日吉神社には記録も紛失して残っておらず、しかも荒れ放題だったのを下山さん達皆で立て直されたそうです。日吉神社は、川崎太田、玉琳、飯綱、東野介代、野介代東分の各町内会が氏子だそうです。毎年7月13日には「お湯立て」があるそうです。2011年10月16日取材

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2011年徳守神社の秋祭りの様子です。

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徳守神社は聖武天皇の御代天平5年(733)の創祀と伝えられている。当初現在の津山市小田中の地にあったが天文8年(1539)火災に遭い焼失。慶長8年(1603)美作の国18万6500石の国守大名として入封した森忠政(森蘭丸の弟)が津山城を築くにあたり現在地に移して津山城下の総鎮守とした。

氏子は津山市の中心部56町内にわたり作州第1の大社である。神輿は縦横1,7メートル 高さ8メートルで
その重さは約1トンにも及ぶために交代要員も含め担ぎ手は170人を必要としその規模の大きさから日本三大神輿の1つといわれている。(徳守神社HPより)2011年10月23日

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津山徳守神社秋祭りに出動しただんじり16基

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津山だんじりの歴史/総鎮守徳守神社の祭礼は、初代藩主森忠政が慶長9年(1604)に社殿を増宮した際に氏子達が練り物を出したことに始まる。【現在、県の重要有形民俗文化財に指定されている津山だんじりは28臺(徳守神社20臺、大隅神社7臺、総社宮1臺)】
津山だんじりの個性/松平宣富をはじめ、松平歴代藩主やその家族も度々津山城の一角の「赤座屋敷」から祭りを見物した。第5代藩主康哉は宮川門を開け町民を城内に引き入れ、第8代藩主斉民は城内で祭りに加わる。天保13年(1842)、祭りに出動するだんじり数に制限が設けられ、徳守神社が6基、大隈神社が2基との藩命が下された。この時の制限が、隔年、3年ごとなどの出動間隔として残っている。現在は各町内会が出動の有無や間隔を自由に決めているが、結果的に各町内が経済的にも無理をせず、だんじりの伝統が長く受け継いできていることに大きな役割を果たしている。

子供を大切にする津山だんじり/簾珠臺(宮脇町)をはじめ全てのだんじりに、宵、本祭りとも子供が乗る。これは地域の将来を担う子供たちを大切にする津山の200年ほど前から続く伝統である。(津山市HPより抜粋pdf

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川崎八幡神社秋の大祭

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2011年10月16日(日)川崎八幡神社の秋祭りがありました。川崎八幡様はイナバ化粧品店の前に鳥居があり、稲葉さんの寄付した証の石柱があります。川崎の町内は年々お御輿を担ぐ若者が減ってきて、今ではお御輿様も車に乗られて町内を回っておられました。ほのぼのとした巡回に神様も微笑んでおられたことでしょうね。※前回の取材はこちら

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