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取材記事内を検索ワード「秋」で検索した結果,506件の記事が見つかりました。

曹洞宗 成興寺(じょうこうじ)

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曹洞宗 成興寺
 沿革
 そもそもの成興寺開基は、夢窓国師(京都天竜寺開山)と伝えられ、JR因美線美作河井駅から登る矢筈山上にありました。久しく廃絶していた寺を天文年中(1532~54)に、草苅加賀守衡継が矢筈山頂に居城を築く際、菩提寺として再興しました。(成興寺丸跡あり)
 天正12年(1584)草苅氏退城後、寺も廃址に帰しましたが、文禄3年(1594)に草苅氏の家臣で、小中原の土豪中西孫左衛門が、現在地に再興しました。元禄2年(1689)津山西寺町長安寺三世白善嶺雲和尚が曹洞宗に改めて開山となりました。現住職小倉玄照和尚は、第十三世。(2012年4月21日撮影)文:曹洞宗 成興寺(津山市加茂町小中原41)

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県立森林公園で命の洗濯をしてきました。

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森林公園のあらまし(2012年5月6日)
 岡山県立森林公園は、岡山県が「明治百年記念事業」の一環として購入した県有林のうち、県北の鏡野町奥津地域と同町上斎原地域にまたがる森林を整備し、"岡山県立森林公園"として昭和50年7月開園しました。
 この公園は鳥取県との県境に位置し、面積334ヘクタール、標高840~1,100mの中国脊梁山地にあり、気候は日本海側気候に属しています。
 森林の大部分は、ブナ、ミズナラ、マルバマンサク、ツノハシバミなどの落葉広葉樹と群生したネマガリダケが主体ですが、一部には県内でも珍しいカラマツ林があるほか、スギ天然林、スギ、ヒノキの人工林もあります。
 尾根筋には、ブナ、ミズナラの大木が茂り、山麓の一部にはマユミの大木が秋見事な赤い実をつけ、また清らかな渓流沿の湿地では、バイケイソウ、ザゼンソウ、オタカラコウなどの湿原植物が季節を追って出現するなど、四季を通じて変化するすばらしい自然景観と眺望はこの公園の特徴です。
開園機関:4月雪解けから11月末日・新緑見ごろ:5月上・中・紅葉みごろ:10月中・下旬(パンフレットより)

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津山城(鶴山公園)のつつじと藤の花

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2012年5月6日の津山城(鶴山公園)のつつじです。今年は花のつきがいま少しといったところです。でも色とりどりのつつじが綺麗でした。藤の花はさっぱり咲いていませんでした。少しがっかり!この日はお天気も良くてゆっくりベンチで友人と語り合いました。緑が一杯の津山城(鶴山公園)本丸から見る津山市内はまたいいものです。みなさんもいかがですか?(過去の取材

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衆楽園のつつじの花とスイレンの花

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(2012年5月7日の衆楽園)衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。元禄11年(1698)に松平家が藩主となって以後幕末までは、家臣や他藩・他家からの使者を謁見するための「御対面所」、または藩主の隠居所の庭園として使われ、明治3年(1870)に「衆楽園」として命名されました。
  衆楽園は津山城の北側(津山市山北)に位置しており、庭園は南北に長い敷地で、大半を池が占めています。別邸跡の古い建物群は現存せず、それらを再現した建物(余芳閣・迎賓館・風月軒ほか)が建っています。(津山城より
春夏秋冬いつ来ても見ごたえあります。(過去の取材

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全国土雛展-秋田・山形・兵庫・鹿児島-

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3/31(土)~04/8(日) 全国土雛展-秋田・山形・兵庫・鹿児島-

とても面白いお雛様です。男性がなで肩、女性がいかり肩で首が太いのが特徴です。愛嬌があって好きなお雛様です。みなさん、鶴山公園を廻った後、ぶらりと城東地区を廻ってみてくださいね。
時間:10時30分から18時(最終日は17時) 場所:うき草や ※4月4日(水)は休業問い合わせ:0868-22-8845(うき草や)

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「棟方志功・まぼろしの初期作品集展」M&Y記念館

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2F展示室 特別企画展 「棟方志功・まぼろしの初期作品集展」
3月31日(土)~9月30日(日)
 今回の企画展では、処女版画集である『星座の花嫁』をはじめ、初の裸婦作品集となった『ヴェニュス生誕』、今回発見され、「開運!なんでも鑑定団」にも登場した幻の作品集『季節の花籠(草稿)』など、初期の貴重な棟方志功の版画作品集を一同に展示しています。


 「季節の花籠」は、不動明王に始まり、不動明王で終わる作品集で、河井寛次郎に学ぶ以前の志功の仏教観をはじめとする様々な心象、題材、表現手法が各作品にテーマとして現われており、将来の棟方作品を見事に予感させてくれます。
 昭和初期、棟方志功が、貧困の中で試行錯誤しながら版画に取り組み、自身の作風を確立して行くまでの過程が良くわかる作品展です。入場料:500円(1F企画展もご覧になれます。)
文:棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館)提供

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旧広野村戦没兵士の慰霊塔

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旧広野村戦没兵士の慰霊塔 
 広野小に隣接する小村池の東南隅に当たる山麓に、市道曲がり角に面して、広野地域の慰霊塔が祀られている。
 各地域に見られる忠魂碑に相当するもので、いわゆる御国のために、戦争で犠牲になった広野村当時の出征した兵士の御霊を祀っている石塔である。
 この慰霊塔には、日本の近代化のなかで惹き起こした戦争のために、広野村から出征し、戦死・戦病死した兵士113柱の慰霊が納められている。戦没者の内訳は、日清戦争(1894~95年)2名、日露戦争(1904~05年)6名、満州事変(1931年~)日華事変日中戦争(1937年~)太平洋戦争(1941~45年)という15年戦争の105名である。
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福井 古い伝承のある福井八幡宮

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福井 古い伝承のある福井八幡宮1(2012年2月12日取材)
 福井八幡宮は、自然の豊かな林に囲まれ、幅広い長い参道やよく整った境内、古い本殿や相応の拝殿の建物を有し、いかにも鎮守の森を思わせる神社である。しかしながら、道路から見えにくい離れた山中にあるため、地域の人以外は、その所在が知られていない。片山・桑田集落の南に広戸川が流れ、対岸に西から東へ川に沿ってなだらかな丘陵をなした山がある。その木立でおおわれている山の中腹に八幡様がある。
 四つ立橋を渡り、福井大崎線から勝間田方面に抜ける道(工門勝央線)に入ると、直ぐに参道の入口があり、尾根つたいに3~400m参道を上ると、神社境内に達する。この道が単に参道ばかりでなく、田熊方面に抜ける山道であったことを物語る道標が、入口に半ば埋もれ今も残されている。
 福井八幡宮の創設は古く、一説に平安時代、広山・田熊八幡と同様に、福井八幡宮は、清瀧寺本尊に対する南部の守護神として創設されたとも言われている。しかし、平安末期、新宮山に位置する新宮城とのかかわりのなかで、創設されたとの説が具体的で実証的である。

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広野 田熊八幡宮秋祭り(2011年)

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若くて溌溂とした担ぎてにおもわず拍手喝采!(2011年11月3日)
 2011年11月3日に田熊八幡宮の秋祭りが執り行われました。
ドドーンドン・・・今年も宵祭りの太鼓の音が響く。町内の当番に当っている役員や若者が夜を通して太鼓を叩き、かがり火を焚く。午前2時頃になるとかなり冷えこみ、たき火で暖をとる。夜が明け朝7時頃から町内の人々が集まり始める。
 午前9時、田熊八幡神社で祭礼をすますと、豆しぼり姿の若者たちは約400 kgのお神輿をかつぎ上げ、境内をねり歩く。その後お神輿は、傾斜約30度の坂道へと進む。最初の階段は、傾きが40度くらいはあろうか・・・。 ここが最初の難門。若者たちも、一歩一歩慎重にお神輿を前に進める。以下津山瓦版特集へとつづく 【田熊八幡宮の取材記事はこちら

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河面 清瀧寺関わりの広山八幡宮

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河面 清瀧寺関わりの広山八幡宮(1)
 清瀧寺の西側に隣接して、丘陵性の山地があり、その山頂の河面の八幡様がある。地名にちなんで広山八幡宮と言われており、清瀧寺の開基と同時に清瀧寺の鎮守として奉仕建立された伝承のある古い神社である。
 清瀧寺仁王門より100m余下った河面の旧道の麓から、山手へのほぼ真っすぐな急な石段が、神社への参道である。その上がり口に、岡山県のかかげた古い制札がある。風化して文字が読みにくくなっているが、敢えて判読すると、
定 1.車馬便乗 2.鳥獣拿捕 3.竹木伐載
右之條々御定通り 禁之者也 昭和12年7月12日 岡山県
とある。神社のある山の木や竹を伐採してはならない等の禁制の標札であるが、単に聖域を保護するのみならず、神社の造営補修の費用を賄うための大切な意味があった。このような禁制は、歴史的にも次のようにかなりな重みをもって記述されている。
 「清瀧寺修補記によれば  寛文12年(1672年) 宮山地内伐木赦免の事あり その後郡代長沼字右衛門尉禁伐の制礼を建つと云う その文に日く清瀧寺並に八幡宮宮山山林竹木伐採申間敷事云々 寛文13年(1673年)  森家の臣原十兵衛一春  天和3年(1683年) 原十兵衛一益等累代崇敬の為社殿を造営す此れより後 社寺分離宮山竹木一社勝手に造修用に伐採を許される」(「美作国神社資料」による。)2012年1月取材

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