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津山城跡で行われた博覧会

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姫新線全通記念・産業振興大博覧会が津山市主催で昭和11年3月26日~5月5日の期間に行われた時の記念写真です。この写真は第一会場の写真と書いてあります。(上記写真の提供は保田扶佐子さん)


 津山城は明治維新後の廃城令により建物は取り壊されてしまいました。しかし、その後の保存運動により城跡は「鶴山公園」として整備され、また、福井純一氏などの尽力により、桜の名所としても有名になり、津山のランドマークになっています。
 現在でも桜の季節には「津山さくらまつり」が開催され、また、その他にも数多くのイベントの会場として使用されていますが、過去には、津山で3回行われた博覧会の会場にもなっていました。巾でも昭和11年(1936)に行われたものでは、元々の形とは全く違うとはいえ目玉として天守閣が再建されています。その天守閣の写真などが様々な機会などで紹介されており、ご存じの方も多いと思いますが、博覧会の様子を知る方は少なくなっています。
 そこで、ここでは当時の古写真や記録を基に、再建天守閣以外の博覧会の様子についてご紹介します。(文:津博No.84より抜粋)

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金峯山修験本宗 長命山 多寶寺(旧勝北町)

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 新野村史によれば、往昔の吉備中山は和歌題詠の名勝であった。その中山の麓山形の地に、長命山 多宝院とと唱へる修験道場があり、慶長年中津山の城主森美作守忠政が、津山城 艮の鬼門除祈願所として、陣具を奉納せられたとの傳があり、現在津山市大谷の石山摩利支天も此時に祀られたとのことである。昭和年中より文化年代に渉って の住職、七代目大僧都宗春、八代目権大僧都宗栄の二代は、相続いて苦行を修し、厄難除けと併せて、女人安産に霊験顕著であった。(2016年8月2日撮影)(前回の取材2012.10.27)

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愛染寺にて「子育て水子地蔵万灯会」がありました。

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2016年8月24日午後7時から、津山市西寺町にある愛染寺にて「子育て水子地蔵万灯会」がありました。当日の夕焼けはとても美しく思わず写真に収められずにはいられないほどでした。また、毎年子ども達が描いた灯ろうに火をともし、檀家の皆さんが多数来られて供養が厳かに行われました。
 愛染寺は、鐘楼門及び仁王堂は、岡山県指定文化財建造物に指定されています。また、大師堂裏に「秋月妙清信女」の墓があります。この墓は神崎与五郎則休の生母の墓で、元禄3年に死没し、与五郎がここに葬りました。与五郎は寛文6年津山 で生まれ、のちに赤穂藩浅野家に出仕、赤穂義士として元禄16年江戸城水野邸で自裁、泉岳寺に眠っています。(2009年9月撮影時の様子)(ぼたん祭りの様子

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一刀一絵・・・浮世絵師・立原位貫 追悼展

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 8/12(金)より9/4(日)まで後期展「1991~2015 立原位貫へ」がありました。
今回はNHKのテレビとラジオ(岡山県)でもこの作品展が紹介されました。
オリジナル作品を中心に制作していた1990年代から再び浮世絵の復刻のプロジェクトに取り組んだ2015年3月の最後のオリジナル作品と、一昨年立原さんの手許に戻ってきた25歳のときに初めて彫った浮世絵作品など18点が展示されました。(2016年8月19日撮影)

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清應山 高福寺の百日紅

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2016年8月14日・21日の百日紅の花です。(2012年の取材)(2014年の取材)


 開基は不詳であるが、以前は今の東津山駅西方200mの所に位置していたが、貞享年開国主森氏の命により現在の地津山市林田六六七番地に移轉し、安永初め本堂が建立され現在に至っている。
本堂は総て欅材により作られており、特に格天井は狩野如林乗信の作で草花の絵132枚から成っており秘められた寺宝として保存されている。

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本光禅寺の銀モクセイ

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 本光寺の銀モクセイ 市指定天然記念物
 中山神社の西南約1㎞の小さな谷間に黄檗宗瑠璃山本光寺がある。緩やかに伸びる参道を歩いて左右の放生池の間を過ぎて山門に向かう。山門をくぐり境内に入ると通路の直ぐ両側に、空を覆うようなモクセイの巨樹が立つ。両方の株の間隔は7mで、それぞれ高さ0.9mの方形の盛り土の上に立つ。ともに根元から多数の枝を林立させて、枝張りは四方へ5~6mも伸びている。
 両樹の寸法は、右株が根元周囲約4.2m、樹高約15mで、左株が根元周囲約3.4m、樹高約13mである。いずれも樹齢は300年を越えると推定されている。
 (2016年8月15日撮影)

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武家屋敷めぐり(逸見家・椿高下)

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武家屋敷めぐり(逸見家・津山市椿高下)
逸見(へんみけ)のルーツは、約400年前(慶長8年)に森蘭丸の弟、森忠政の津山入封に随身した村山家です。村山家は、江戸末期に久原家から束(津山藩の弓術師範を務めた)を養子として迎えます。束には男子が三人おり、三男の寅雄が逸見家初代となりました。二代目が広司、三代目が現当主の章となります(敬称略)。

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「一刀一絵・・・浮世絵師・立原位貫 追悼展」(M&Y記念館)

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「一刀一絵・・・浮世絵師・立原位貫 追悼展」
当館には立原位貫ファンがたくさんいます。これは毎年、立原位貫作品展を実施してきたことで、数多くの作品を何度も見てファンが増えていっているのだと思います。
今回の展示では、作品の素晴らしさを紹介するというよりは、それぞれの作品がどのような思いで生み出されたのかを知ってもらうことに重点を置きました。
それでも前半(7/16~8/8)「1976-1988勝原伸也の時代」では、半数の10作品が初展示の作品となっています。ぜひ、ご覧になってみてください。
写真は、2009年5月に当館で摺りの実演をしていただいた時のものです。(文:棟方志功・柳井道弘記念館)【2008年11月2009年5月・2009年5月ギャラリートーク2010年12月2011年7月2011年8月2013年3月2014年2月2015年6月

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中山神社の夏越祭がありました。

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2016年7月17日に一宮にある中山神社で恒例の夏越祭がありました。

民間では、毎年の犯した罪や穢れを除き去るための除災行事として定着した。6月のものを「夏越の祓」、「名越の祓」(なごしのはらえ)または「夏祓」「夏越神事」「六月祓」などとも呼ばれ、12月のものを「年越の祓」と呼んでいる[9]。拾遺和歌集に「題しらず」「よみ人知らず」として、「水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶというふなり」という歌にも見える。

夏に挙行される意味として、衣服を毎日洗濯する習慣や自由に使える水が少なかった時代、半年に一度、雑菌の繁殖し易い夏を前に新しい物に替える事で、残りの半年を疫病を予防して健康に過ごすようにする意味があったのではと考えられている。またこの時期は多くの地域で梅雨の時期にあたり、祭礼が終わると梅雨明けから猛暑と旱(ひでり)を迎えることになるが、この過酷な時期を乗り越えるための戒めでもあった。(文:ウィキペディアより抜粋)

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美作国万灯会ー333年ぶりに甦るー 翔鶴・悠久・宴・深山

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「美作国万灯会(みまさかのくにまんとうえ)ー333年ぶりに甦るー 翔鶴・悠久・宴・深山 監修 山形楽」が、2016年7月2日(土)午後6時~9時(※雨天順延)が臨済宗妙心寺派 東海山本源寺に於いて執り行われました。
 「万灯会」とは、夕方から夜にかけて、数多くの灯明をともして、仏様や御先祖様を祀り、御供養する仏教法要の一つです。今からおよそ1270年前の奈良時代744年(天平16年)に、東大寺の前身の金鐘寺(こんしゅじ)というお寺で、万灯を灯したのが、日本に於ける万灯会の始まりとされています。
  津山に於いては、本源寺が森忠政公によって現在の場所に建立された年の慶長12(1607)年、5月3日に忠政公の奥方、お岩の方が亡くなり、本源寺にお祀りされました。
その年のお岩の方の初盆、旧暦の7月14日・15日に、桶屋町・吹屋町から本源寺のお岩の方の墓所まで、万灯が灯されました。そしてその翌年には、吉井川の川向うから墓所まで、津山の町中に灯明が灯されました。現代のように電気のない時代ですから、さぞ美しかった事と思います。

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