津山城(鶴山公園)のライトアップ(石垣編)
2015年11月22日の津山城(鶴山公園)のライトアップ石垣編です。本丸の石垣に映し出されたイチョウとモミジの木のコントラストがいいなぁ~と思いました。この石垣は津山城(鶴山公園)の中では一番古い石垣だったと思います。自然の石垣マッピングにとてもロマンを感じてしまいました。
2015年11月22日の津山城(鶴山公園)のライトアップ石垣編です。本丸の石垣に映し出されたイチョウとモミジの木のコントラストがいいなぁ~と思いました。この石垣は津山城(鶴山公園)の中では一番古い石垣だったと思います。自然の石垣マッピングにとてもロマンを感じてしまいました。
宮川沿いから見る津山城(鶴山公園)の夜景です。すごく綺麗だったので、思わず撮ってしまいました。昼間のモミジも綺麗ですが、夜ライトアップされたモミジもまたいいもんですね。まるで天空の城です。(2015年11月20日撮影)
田邊城について(2015年5月5日取材)
田邊城は今からおよそ430年前に建てられた標高約230メートルにある山城です。
山中には本丸、堀切、土塁、馬場などの跡が残っています。敵の侵入を防ぎ、見張りの役目を果たしたと考えられています。
所有者の田邊久吾さんによると、この城は田邊さんの先祖が城主をつとめていたそうです。
十数年前、田邊さんは城跡に戦死者の碑を建立し、桜の木を植樹されました。毎年春には桜まつりが開かれ、将兵や先祖の霊魂の供養をしています。田邊城址(2010.4月29日取材の様子はこちら)
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稲荷信仰はわが国の庶民信仰の中心であり、安産稲荷神社の形態は町内神である。創建は森家が美作に入った約70年後のこと。
昭和18年頃までハスの葉を使った「安産湯」という家伝薬が前原家で売られていた。この前原家の東側に安産稲荷があり、「安産」と係わりがあるのではと考えられる。
以前は戸川町の突き当たりの場所にあったようだが、江戸時代から残っている竹波(竹並)家の地所に移転したと伝えられている。時期は明らかではない。現在も安産信仰は続いており参拝者は多い。
祭神:宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ)創建:延宝5年頃(1677) 祭礼:夏祭7/28 秋祭10/28 初午祭 旧初午の日(文:津山城下町まちなかお社巡りより)(2015年12月7日撮影)
2015年11月14日・15日に津山市観光協会主催の津山お城まつり体験企画が津山城(鶴山公園)鶴山館の中でありました。その中の庭師が教える苔玉作り体験に行って来ました。当日はあいにくの雨で人出はぱらぱらでしたが、自分の手で苔玉を作ってみたいと言う人が集い教えを請いました。
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今年は暖冬の為か紅葉もさほど進んでいませんでしたが、それでも大勢の観光客の皆様がお出でになって衆楽園の紅葉を楽しんでおられました。11月に入ると曇りや雨の日が多くなり、少し残念です。池の水どり達も岩の上で深まりゆく秋の一日を楽しんでいました。(2015年11月15日撮影)
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2015年11月1日(日)城東伝統的建造物群保存地区に於いて第26回出雲街道津山城東むかし町祭りがありました。この日は朝から曇り模様でしたが城東地区の歩行者天国は大勢の人で賑わっていましたよ。また、街道や芝居小屋ではいろんなイベントが催され、侍や町人に扮した人たちが道行人々を楽しませていました。それに各町内会の屋台が出て賑やかでグルメな一日となりました。
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矢筈城の概要(草苅衡継の矢筈城築城)(2011年~2015年10月31日取材)
矢筈城(高山城)は、津山市加茂町山下から知和にまたがる標高756メートルの矢筈山に、美作国と因幡国に勢力を有した国人領主の草苅衡継が、天文元年(1532)から翌2年(1533)にかけて築いた山城で、東西1,600メートル・南北500メートルの壮大な規模を誇る岡山県内で最大の中世山城です。
この津山城(鶴山公園)の背高のっぽのイチョウの木は、この季節になると津山城(鶴山公園)のシンボルのようで遠くからでも良く見えますね~。(2015年11月11日取材)
津山藩の絵師 鍬形家と洋学者
森島中良、宇田川玄真、箕作阮甫、箕作秋坪、宇田川興斎
~鍬形蕙斎、赤子をめぐる洋学者たちの諸相~
会期:10月17日(土)~平成28年2月7日(日)
◆「江戸一目図」で名高い鍬形蕙斎(1764~1824)は、はじめ北尾政美の名で浮世絵師として人気を博し、1794(寛政6)年に31歳で津山藩の絵師として召し抱えられました。惠斎の画業への評価とともに特筆すべきなのが、文人や学者たちとの交流で、宇田川玄真や森島中良ら、洋学者たちとも交流した記録があります。
さらに蕙斎の跡を継いだ赤子(1800~1855)は、1854(嘉永7)年のペリー再来に際し、藩命で洋学者の箕作秋坪、宇田川興斎とともに浦賀に偵察に赴きました。各地に伝来する黒船を描いた絵巻には、赤子が描いたものや、それらを写したものがあり、黒船をめぐる学者たちのネットワークが垣間見えてくるのです。
本展では、津山藩の絵師を務めた鍬形家3代のうち、初代蕙斎と2代赤子について、洋学者たちとの交流という側面からご紹介します。(文:津山洋学資料館HPより)