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取材記事内を検索ワード「資料館」で検索した結果,141件の記事が見つかりました。

柵原鉱山資料館(地下展示室)

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エレベーターを降りると、そこはもう地下400mの坑道の中。
 岩にダイナマイトを入れる孔をあけたり(削岩作業)、鉱石をすくったり(タイヤローダー)、かき集めたり(スクレイパー)、きみたちが見たことのない珍しい採堀作業が本物で見られるぞ。
 柵原鉱山(やなはらこうざん)は、岡山県久米郡美咲町(旧柵原町)にあった、黄鉄鉱を中心とした硫化鉄鉱を主に産出した鉱山である。岩手県の松尾鉱山とともに日本を代表する硫化鉄鉱の鉱山であった。(文:美咲町HPより)(2018年1月21日撮影)

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旧片上鉄道吉ケ原駅駅舎(久米郡美咲町)

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旧片上鉄道吉ケ原駅駅舎 1)交通/鉄道 2)久米郡美咲町吉ケ原432-1 3)昭和6(1931)年
 片上鉄道は、柵原鉱山の鉱石を輸送するため、大正8年(1919)年に設立されました。大正12年1月に片上-備前矢田間を延長した後、昭和6年に柵原まで開通しました。鉱山鉄道としてのみならず、地方鉄道として住民にも利用されましたが、平成3(1991)年に廃止となりました。
 吉ケ原駅は三角屋根の洋館風駅舎で、保存もよく、現在は鉱山資料館の一部として公開されています。

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津山郷土博物館(山下)

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耐震改修工事に伴い、平成32年4月までの予定で、現在休館中です。
津山郷土資料館 1)行政/役場・警察署 2)津山市山下92 3)昭和8(1933)年 4)津山市庁舎
 昭和4(1929)年2月の合併当初、津山市の庁舎は、明治7(1874)年に小学校の校舎として建てられた元津山町役場を使用していました。その後、新庁舎建設の気運が高まり、昭和8年7月、津山城跡の南麓に、地上3階、地下1階建ての鉄筋コンクリート造として竣工しました。

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川上音二郎と作楽神社

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 川上音二郎が津山に来たころは意気さかんなときで、洋行帰りとして「オセロー」を上演したりしていたが、彼は一面で皇室を中心に忠誠をつくすという日本人の典型的な人物でもあったから、忠臣「児島高徳」に興味をもって、自分の演劇にも生かしていた。津山に来る動機もこれに関連がある。大津楼の津田正気が知人でもあって、一度は津山へという話ができていたこともあったらしい。一行は津山では当然に「児島高徳」を上演したが、川上の高徳はミノをつけていないのが特徴、貞奴が後醍醐天皇にふんして登場したりした。
 川上は興行のフタあけ前に作楽神社に参拝したのだが、自分が思っていたよりは寂しい構えなので、内心驚いた。何とかしたいと津田に相談をもちかけ、結局、個人として拝殿と社務所を新築して寄贈したいと決心、当時作楽神社は県社であったから、県へ申請の必要があり、少しおくれて3月に岡山に行ったとき申し出ている。もちろん県ではありがたいこととして受け、作楽神社では7月に工事奏上式地と鎮祭をした。そして拝殿と社務所が川上音二郎の寄付ででき上がったのだが、落成式は41年春の大祭日である4月22日。このときは川上は参列できなかったので、こもかぶりの酒樽をお祝いとしておくっている。川上が自分で寄付した建て物を見に来たのは44年(1911)9月3日、やはり再度津山で興行をし、同時に座員一同をつれて参拝している。

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幻の「佐平焼」が一般公開されました。

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 浮田佐平(初代)が津山の名産品を作ろうと考案した「佐平焼」の特別展示が、2017年11月3日~5日まで佐平館でありました。
 初代佐平さんは、未完成の「佐平焼」を市場に出したのでは津山物産の名を汚すと、当初焼いては倉庫にしまいこんだと言われています。その一部が展示されています。また、蔵を改造した資料館も一般公開されました。(撮影2017年11月3日)★詳しくは(2015年11月9日撮影)、(2017年10月25日撮影

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絵画史料に見る江戸の洋楽事始

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 日本の教育や音楽隊などに本格的に西洋の音楽が導入されたのは、明治時代以降と言われていますが、江戸時代にも長崎出島を通じて洋楽はもたらされており、オランダ人と交流するわずかな機会を通じて、日本人もその調べを耳にすることができました。そのような状況の中で、津山藩の洋学者宇田川榕菴は、日本で初めて学術的に西洋音楽を研究し、「西洋楽律稿」などの稿本を残しました。
 本展では、出島への伝来から、ペリー来航、開国に至るまでの江戸時代の西洋音楽受容の歴史と榕菴の研究について、版画や錦絵、榕菴の直筆資料を通じてご紹介します。(文:津山洋学資料館HPより)(2017年10月17日撮影)

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箕作阮甫旧宅(西新町)

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 箕作家のルーツ:近江源氏の一族で、佐々木姓を名乗り、平安末期から戦国時代の終わりまで、守護・戦国大名として近江一帯を治めていた。室町時代に佐々木22代高頼の子で箕作山(現滋賀県五箇荘町)の城主であった定頼が箕作氏を名乗ったことにより、箕作家は始まる。
 箕作家は津山藩の医者でした。阮甫は西新町で生まれ、江戸へ出て宇田川玄真について洋学を学びました。洋学の翻訳にも力を注ぎ著書や訳書がたくさんあります。

 我が国最初の医学雑誌を発行したり、オランダ語の文法書を発行して学問の発展に貢献しました。

阮甫は生涯一医者にとどまらず、経済・天文・法学・地理・物理・兵学など洋学者として、広く学問を修め、幕府の外交政策等にかかわり、近代日本の文明開化の先がけとなった一人で多くの業績を残した。まさに郷土の誇りである。勿論日本の誇りでもある。(文:前回取材より)(2017年8月30日撮影)

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狩野 久先生と巡る飛鳥の旅(奈良)

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2016年4月24日、「狩野 久先生(奈良文化財研究所名誉研究員)と巡る飛鳥の旅」と題して、奈良県明日香地方を訪ねてきました。朝7:00津山市役所⇒10:30飛鳥資料館⇒11:30甘樫丘⇒12:30あすか野(昼食)⇒13:30石舞台古墳⇒14:30伝飛鳥板蓋宮跡⇒15:30飛鳥寺⇒16:30藤原宮跡⇒20:00津山市役所着で盛りだくさんの行程でした。
 今回は、狩野先生がご案内くださるとのことで、大勢の皆さんが参加されていました。
飛鳥資料館では、第一展示室で、高松塚古墳をはじめとする古墳の出土遺物、日本最初の水時計である水落遺跡や飛鳥寺・川原寺など、飛鳥を代表する遺跡の出土品と模型が展示してありました。
また、第二展示室の山田寺東回廊は、現存する世界最古の木造建造物である法隆寺よりも古く、1,000年以上もの間地中に眠っていた建築部材を使い、保存処理に14年という歳月がかかったという記憶に残る回廊でした。

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和時計 ー西洋の技、日本の心ー

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 平成29年度津山洋学資料館夏季企画展「和時計 ー西洋の技、日本の心ー」いかにして日本は近代国家と成り得たのか?、洋学と共に日本の近代化を支えた機械技術の源流を探る。会期:2017年7月1日(土)~9月24日(日)
 日本にもたらされた西洋の機巧(からくり)としては鉄砲が有名です。その鉄砲と同時期に時間を測る機会ーー時計も日本に紹介されました。当時の職人たちはゼンマイや歯車、カムといった西洋からもたらされた仕組みを改良し、また、日本の不定時法に合わせた、どこにもない独自ののものーー和時計を作り上げたのです。
 洋学という江戸時代に日本に移入された西洋の科学知識と、和時計に象徴される機械技術、これらは明治以降の近代化を支えた両輪といえるでしょう。(文:津山洋学資料館)(2017年8月30日撮影)

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