豊受神社(勝央町)
今回は、令和2年3月28日の小雨が降る中を、勝北歴史研究会のみなさんと歩いた植月御所散見の様子です。岡山県の神社庁のHPでも調べましたが、それらしき神社は見当たりませんでした。いつごろ、なぜ豊受神社と呼ばれるようになったのか?
地元では「岡山県勝田郡勝央町植月北に鎮座している豊受神社は王子様(王子権現宮)とも呼ばれており、元旦祭、夏祭り、総日待、冬祭り等地区の氏神様として皆さんが崇拝している神社」とのことです。
今回は、令和2年3月28日の小雨が降る中を、勝北歴史研究会のみなさんと歩いた植月御所散見の様子です。岡山県の神社庁のHPでも調べましたが、それらしき神社は見当たりませんでした。いつごろ、なぜ豊受神社と呼ばれるようになったのか?
地元では「岡山県勝田郡勝央町植月北に鎮座している豊受神社は王子様(王子権現宮)とも呼ばれており、元旦祭、夏祭り、総日待、冬祭り等地区の氏神様として皆さんが崇拝している神社」とのことです。
2021年10月、つやま自然のふしぎ館(津山科学教育博物館)が所蔵する「西村式試作プラネタリューム投影機」が、国立科学博物館の「重要科学技術史資料(未来技術遺産)」に登録されました。
未来技術遺産とは、独立行政法人国立科学博物館によりその保存や活用を図るために選定・登録された日本の産業技術や科学技術の発展を示したり、国民生活・経済・社会・文化の在り方に顕著な影響を与えた科学技術史資料です。
「西村式試作プラネタリューム投影機」は、プラネタリウムの国産化が始まった1950年代に製作された、国産プラネタリウム草創期の資料としてその重要性が認められ、未来技術遺産に登録されました。京都の望遠鏡メーカー西村製作所の西村繁次郎氏(1910~1992)に依頼して特別に製作されたものであり、西村製作所が制作した唯一のプラネタリウム投影機です。
〝試作〟となっているのは、西村氏が依頼を受けるにあたり「初めて造るものなので、製品として世に出す自信はないが、試作ということであれば」という条件で承諾をされたためです。この投影機は1967(昭和42)年~1990年代の初め頃まで当館で使用されていました。
現在つやま自然のふしぎ館ではプラネタリウムの投影及び投影機の公開はしておりませんが、御希望があれば投影機の見学は可能です。ただし、事前にその旨ご連絡ください。
2022年2月22日忍者の日「令和4年作州忍者鶴山隊」の総会が行われました。
今年は特に一層厳しいコロナ渦の中での開催となりました。 従来はより広く「作州忍者鶴山隊」の活動を知って頂くためのご来賓を迎えての開催を続けてまいりましたが、今回は市内の隊員に限っての出席といたしましたので出席者も限られましたが、総勢23名の出席を頂き実施出来ました事ご報告させて頂きます。 総会ではご来賓からのメッセージが紹介されました。
その後、議長選出と進み隊員の増員を図るための手法も発表され、更なる発展を期する方向にて提案の骨子が承認され無事総会を終えました。
今年は発足4年目に入る節目の歳でもあります。皆さんのお力沿いを頂いて作州忍者鶴山隊の更なる前進にご尽力賜ります様お願いいたします。(文:作州忍者鶴山隊長 河部克己)
1805年(文化2年)2月21日方谷先生は、この地で産声をあげました。父は山田五郎吉重美(山田家26代)、母は梶、身分は百姓(村方三役の長百姓)で菜種油の製造販売で生計をたてていましたが、家計は苦しくとも元は武士である、との強い気概を持って日々の生活を送っていたのです。
幼名は、「阿璘」、本名は「球」、通称「安五郎」、小さい頃両親は、呼びやすいように「おりん」と呼んでいたようです。なお先生の兄弟は妹「美知」さん(先生8才の時死亡)、弟「平人槌平」さんの3人でした。きびしい家訓の下、(衣類は木綿に限る・酒のたしなみは無用のこと・・・等々)3才のころより読み書きを両親が厳しく教えた訳は、山田家を再興したいとの強い志があったからであり、先生はこのことを常に頭に置いて勉学に励み、両親の要望に応えようと努力を惜しまず、その能力をいかんなく発揮したのです。
2022年2月18日のイナバ化粧品店内の様子です。
全国で先行きが見えないコロナ禍に閉塞感がいっぱいの中、岡山県でも3月6日までまん延防止等重点措置の対象地区となっています。そんな中ですが今日もママは店内で元気にお仕事に頑張っておられました。ただ、外出もままならず、毎日少々退屈だそうです。お友達も全国の皆さんも我慢中!「早く終わってほしいわぁ~。どこにも行けないけど、私は毎日お店に出て若い人と話ができるから幸せ。」でも、お友達は暇を持て余し、毎日「なにしとん?」と電話して来られるそうです。その気持ち解りますわ。
鶴山動物園(かくざんどうぶつえん)は、岡山県津山市の鶴山公園の三の丸にあった岡山県北唯一の動物園である。
1955年に開園し、2011年に閉園した。 閉園の理由は、津山城の修繕費の援助を国に求めたところ、文化庁は築城当時に存在しなかった動物園の閉園を条件に修繕費の援助をすることを申し出たが、当時すでに石垣の傷みや場所によっては崩壊していたため、津山市はこの契約を結ぶこととなったということにある。
ライオン、ツキノワグマ、ヒョウ、クジャク、ペンギン、タヌキなど、(2011年6月にはクジャクなどの鳥類5種18羽が渋川動物公園(玉野市)に引き取られた。また、2011年9月上旬には飼育されていたタヌキ2匹を市内の山中に放した。)
2017年11月、跡地の愛称が、津山市観光協会の創立60周年記念事業として企画された公募で「津山城つるまる広場」と定められた。(文:Wikipediaより)(撮影:2008年4月12日)
神南備山にある割れ岩なので古代出雲王国の祭祀の場所だと思われます。神南備山は円錐形になっており、蛇がトグロを巻く姿を古代の出雲族の人たちは思い信仰していました。今でも出雲大社にいくと龍蛇神が祀られています。コロナ禍の終息を願い天津祝詞と『ひふみ祝詞』お経を唱えてきました。
割れ岩に至る山道には途中に作陽高校が開墾したと言われている場所もあり、歴史の断層を辿りながらの探訪でもありました。一緒に行った方の姿が見えなくなり先に下山したのだろうと話をしていましたが、山道で道を間違えると大変なことになるので電話をしてみると全く違う道を降りていたようで、1つ間違えると事故にも繋がるところでした。親父が山に入る時には山の神に挨拶して入らないと怖いと、よく聞かされていたことを思い出した山登りでした。
神南備山から岩が転げ落ちて高野神社のオノコロ岩(現在はありません)になったと伝えられていますが、これは古代出雲王国時代(神南備山信仰)からヤマト政権に移行した出来事を神話として伝えたのではないかと思っています。(レポート・写真:和仁隆明氏)(2022年2月8日撮影)
津山市の市街地から北へ約10キロ。吉井川の支流である横野川をさかのぼると、200年の長きにわたって手漉き和紙を作り続けてきた「上田手漉和紙工場」があります。
その上田家の6代目の岡山県重要無形文化財の上田繁男さんを支えて来られた妻の順子さんです。彼女は趣味で版画や絵画などを制作していますが、城東地区にある「和蘭堂」の壁に飾られた彼女の2枚の版画作品を拝見し、なんと素敵なんだろうと魅せられ、さっそく会いに行きました。
順子さんの明るく、くったくのない笑顔と素朴な人柄がそのまま版画に映し出されていて益々ファンになってしまいました。
いつか横野和紙で刷られた版画作品の展示会(自他)を開くのが夢だそうです。(2022年1月24日)
2022年1月23日、岡山県と鳥取県の県境にある集落(阿波と加茂町物見)の美しい雪景色です。
阿波が実家でよく行かれる寺坂さんが1月21日の阿波の雪景色の写真を送ってくださいました。また、中心部では道路に雪はありませんでしたが、加茂町に近づいていくと徐々に雪景色になってきて、阿波や物見ではあたり一面雪で覆われていました。中心部と北部ではこんなにも差があるんだと感じます。
2021年11月28日の国史跡の津山城跡で現在行っている二の丸東側石垣修理工事の現地見学会に参加してまいりました。
津山城二の丸東側石垣修理工事に伴い発掘調査も行っており、江戸時代当時の遺構を調べています。工事は2022年夏まで続き、今後も整備工事の見学会を行う予定だそうです。(上記写真提供:津山市)