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白加美神社のさくら(小田中)

毎年さくらの花が咲いたら、ライトアップされます。
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幻想的なさくらの花です。白加美神社は小田中に鎮座する天照大神主神とした社で、作陽誌には白神社と記されています。本殿は主神にふさわしく神明造となっており、他の形式の介在をまったく許さず、正統性をよく保っていることは、市内に数社ある神明造社殿のうちでは抜群である。社伝では、拝殿ともども文久2年4月の建造といわれています。また、白加美神社社殿随身門末社多賀神社社殿津山市重要文化財指定されています。

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ホルモンうどんご当地グルメ「B-1グランプリ」inYOKOTE

★2009.10月3日・4日「鳥取B級グルメフェスタ2009」で頑張りました。


やりましたB-1GP初出場で3位です。

(2009.09.19)

山陽放送にて10/4(日)14時よりVOICE21の特番として津山ホルモンうどん研究会B-1グランプリ初出場のドキュメント番組が放映されますので、ぜひご覧下さい。

▲神社におまいり

▲バス乗り場

▲ゲート

▲すごい行列

▲表彰台

▲準備中

▲準備中

▲会場

▲イベント

▲気合を入れるメンバー

▲開店前の会場

▲投票箱

▲地元の特産物も忘れずさすがです。

▲準備中

▲空港

▲駅

▲前夜の作戦会議

▲テレビニュース

▲新聞

▲決戦準備オーケー。

2009.9月11日(金) 壮行会での様子はこちら

みんなで応援しよう!★津山ホルモンうどん★

▲静岡・袋井市での様子(ホルモンうどん研究会の皆さん汗だくでをひたすら心を込めて作りました。)

2日間で165,000人の来場者数でした。津山ホルモンうどんにも行列ができ、おかげ様で完売いたしました。

▲神奈川の厚木市のイベント「フードバトル」での様子です。

▲秋田県横手市特設会場にて行われる

「第4回B級ご当地グルメの祭典!B1グランプリinYOKOTE」日本一決定戦のチラシです。

▲昨年の久留米市での開会式の様子です。

▲岡山国際サーキットでレースクィーンと記念撮影。

(レースクィーンもホルモンうどん食べていました)

▲アサヒビールのポスターです。

津山ホルモンうどんを応援くださっているアサヒビールさんによるB1グランプリ用に作られたポスターです。

「津山ホルモンうどんの経済効果県内8億円(市内4億円)」
 これまでの地道な活動がこんな大きな成果につながっているとはとても驚きです。
 実際にアンケートを集計しましたが、「美味しかった、満足している、他の店にも行ってみたい」といった回答が大変多く、データ入力も楽しくできましたわーい(嬉しい顔)
 経済効果算出にご協力下さいました立命館大学 杉山慎策先生、岡山経済研究所 大崎泰正常務理事様、大変ありがとうございました。

(ホルモンうどん研究会ブログより)

▲津山市制30周年記念に「津山Jリーグ公式戦初開催!」され、ファジアーノ岡山は湘南ベルマーレと対戦、惜しくも0―1で敗れ残念!

でも、場外に出展していた津山名物のホルモンうどんには行列ができていました。

▲静岡・袋井市での様子

2日間で165,000人の来場者数で完売致しました。

中山神社

▲中山神社本殿(国指定重要文化財)建造物大正3年4月17日指定

中山神社の沿革
  文武天皇慶雲四年(707)の創祀。貞観六年(864)官社に列し、延喜式では美作国唯一の名神大社で此の国の一宮とされ、永保元年(1081)には正一位の神階を授かる。
  平安時代の代表的説話である「今昔物語」には当社の猿神伝説があり、鎌倉時代の後白河法皇の御撰にかかる「梁塵秘抄」では関西に於ける大社として安芸の厳島、備中の吉備津と共に肩を並べている。
  国家非常時(元寇など)には勅命により特に全国七ヶ国の一宮(武蔵・上野・伊豆・駿河・若狭・美作・肥後)を選び、国家安穏を祈願せしめ当社も其の中に選ばれて祭祀を厳修したとされる。
  建武中興破れて約四百年間は、美作国中戦乱の巷と化し、永正八年(1511)と天文二年(1533)の両度に祝融の厄に遭い宝物・古文書等悉く焼失したが、永禄二年(1559)に至り、出雲国尼子晴久が戦捷報賛の為、社殿を再建し歴代藩主の崇敬厚く、「一宮さま」と親しまれ、明治四年(1871)六月には、国幣中社に列格す。
  現在も、鍛金・冶工・採鑛等の守護神、農耕・牛馬の守護神として広く崇敬されている。

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美作総社宮

   

▲美作總社宮は、社記に欽明天皇25年(およそ1400年前)、大巳貴命(大国主命)を字本館(西方約1キロ)にお祀りしたのが始まりと伝えられ、和銅6年(西暦713)備前国から6郡を割いて、はじめて美作国が置かれ、その翌年、国府がこの里に開庁されました。
その後、美作国司が大巳貴命を主祭神として、一宮中山神社、二宮高野神社の両大社をはじめ、美作65郷のすべての神祇を合祀して、總社宮と名づけ、その後およそ500年間歴代の国司は、みなこの御神意を奉じ、国内の政治を執り行いました。(2009.1月取材)

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津山郷土博物館

▲児島高徳像

▲宇田川玄随先生

寛政5年(1793)オランダ人内科医ヨハネス・デ・ゴルテルの西洋内科書を翻訳し、それを「西説内科撰要」として刊行した。これにより我が国近代内科学の礎となり、また、津山洋学の始祖ともなった。寛政9年(1797)江戸茅場町で没す。


▲ 輿(江戸時代)

津山藩主の松平家が江戸城登城や将軍家菩提寺参詣などに使用したもの、服装は束帯姿の公家装束である。 前後5人ずつの力者が轅(台の下部左右の棒)を小脇にかかえて移動した。行列には家臣・従者など約170人の供が従った。このような輿の使用は御三家、御 家門・国持など特別の大名のみに許されたものである。

▲津山郷土博物館全景

▲屋外展示場

▲津山郷土博物館入り口

昭和9年に落成した旧津山市庁舎を増改築し、昭和63年に開館した。

津山には、美作国府・国分寺や津山城が所在するなど、古代より政治・経済・文化の中心地として繁栄し、独特の文化がはぐくまれてきた。

▲津山産パレオパラドキシア骨格復元模型

新第三紀中新世(約1500万年前)に生息していた哺乳動 物。昭和57年9月、津山市上田邑の工事現場(村瀬馨氏所有地)で、当時中学3年生の水杉和弥君が発見した。日本とアメリカだけから化石として出土する珍 しい絶滅種で、その正体は謎につつまれているが、カバやバクのような姿だったと想像されている。当時の津山は「古瀬戸内」と呼ばれる亜熱帯性の海の島嶼部 で、パレオは樹木が生い茂る浜辺を歩いたり、泳いだりしていたと考えられる。

▲須恵器(子持ちはそう)

▲須恵器(器台ほか)


1~2階は歴史資料の展示をしています。

3階はミニ企画展(美術関係)

津山がまだ海の底だった頃から現代まで、一つの町にこんなに沢山の歴史がコンパクトに詰まっている町は全国でも珍しい。とのことでした。

弥生時代=沼遺跡・中宮1号墳・沼の住居跡

奈良時代=国府(総社・国分寺)

平安時代=二宮(高野神社の神門は県下で一番古い木造の建物)

鎌倉・室町時代=鎌倉仏教をはじめた法然さん。後醍醐天皇が出てきて鎌倉幕府を倒した。

松平藩の日記が全国で10指に入る位誇れる物です。

津山は空襲を受けていないので文書類(古文書類)が数多く残っています。


津山郷土博物館

所在地 津山市山下92
○問合せ/

TEL 0868-22-4567

開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)

休館日/月曜日・祝日の翌日・12月27日~1月4日
○入館料 ・一般210円(160円)
・高大生150円(120円
・小中生100円(80円)

※( )内は30名以上の団体料

▲陶棺(粘土を焼き固めて作った棺)

▲埴輪

▲弥生時代の出土品

▲弥生の里


▲久米の佐良山

美作や久米の佐良山さらさらに わが名は立てじ万代までに

「古今和歌集」巻第20

▲一遍聖絵

法然(1133-1212) 源空。法然は房号。平安時代の末、浄土宗を開いた僧。美作国久米郡稲岡荘(現久米南町誕生寺)に生まれる。俗姓は漆氏。幼くして父に死別し、比叡山延暦寺 などで修行し、専修念仏を確立する。晩年、旧仏教側の弾圧をうけ、一時土佐国に流罪となる。著書に「選択本願念仏集」がある。

▲横穴式石棺(復元)

▲古墳時代の出土品

▲化石

▲津山の弥生文化

▲郷土博物館裏にある箱式石棺

▲郷土博物館裏


https://www.e-tsuyama.com/kankou/check/kyodo/index.html