嵯峨用水にかかる水車(平福)

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2016年6月21日に水車を見たくて行って来ました。雨上がりの少し蒸し暑い日ですが、たんぼに植わった稲の清々しさにひとめぼれです。寛永9年(1632年)津山藩主森忠政が改修を命じたのが始まりとされていますのでおそらく、森忠政公も同じ風景を見ていたことでしょう。何百年も続いて来た風景にロマンを感じました。
(嵯峨井堰を源に、本線は小桁まで14k。二宮分2kを含めて全長16kに及びます。網の目のように張り巡らせた支線を含めればゆうにその倍はあろうかという、津山では最長の用水路です。)

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嵯峨井堰です。(サクラの頃の嵯峨井堰)     嵯峨用水の取水口
この井堰が造られたのは森藩の時代(江戸時代初期)です。
古城東村・西村(現在の平福地区)の耕地整備に伴い、弓削の庄屋河原善右衛門に命じて工事をさせました。この時佐良神社の下から一方に流れていた皿川をまっすぐ吉井川に流す工事も行われました。

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岡山県広域水道企業団 津山第一取水場の裏を通る用水です。

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水車が今でも使用されています。

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とても素敵な風景ですね。この田んぼにはオタマジャクシが沢山いました。

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中島・平福・八出・小桁等の田園地帯を流れる嵯峨用水

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嵯峨用水の取水口の嵯峨井堰から終着の小桁までの高低差は約20mあるそうです。

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「今日は雨の後で水が濁っていますが、普段は透明で奇麗な水です。友達が来て、幸せやなぁ~、綺麗な所に住んで居るのが羨ましいと言うんです。セメントで固める前は石組で、ホタルがいっぱい飛んでいました。」とお話し下さいました。

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嵯峨井堰を源に、本線は小桁まで14k。二宮分2kを含めて全長16kに及びます。網の目のように張り巡らせた支線を含めればゆうにその倍はあろうかという、津山では最長の用水路だそうです。

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嵯峨山                     お福さんが祀られている神社があるとか。
★嵯峨井堰の伝説「人柱になったお福」嵯峨井堰の工事は難工事でした。何度造っても、小さな洪水で押し流され、失敗の連続で、村人はすっかり困り果てていました。すると誰からとはなく、これは吉井川の竜神の祟りのせいだという声があがり、乙女の人柱を捧げることになりました。人柱の人選でもめていた時、川向こうの院庄の「お福」という乙女が「何千人もの人たちのためなら人柱になりましよう」と申し出ました。お福を人柱に捧げてからは、工事も順調に進み、完成にこぎ着けました。村人たちは、井堰のほとりに小さな社を建てお福を祀りお祈りしました。(文:さら山ビジョン研究会)

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おたまじゃくし                 ひるがお?