福力荒神社

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福力荒神社(津山市福力130番地)2011年6月25日取材 ★2008年の福力荒神社大祭取材記事

祭神 素盞鳴尊
祭礼 
・天和2年 祭日9月9日 社人 横林常陸
 現在   旧正月大祭(1日・2日・3日) 春季大祭 4月20日
       夏季納涼祭 7月 秋季大祭 10月 新嘗祭・冬至祭 12月
・代表的な祭礼
・旧正月の3日間は午前10時から神事が行われ、巫女による浦安の舞、豊栄の舞も奉納されます。3ケ日には安産・蝮除け・学業成就など願う10数万人もの参拝者で賑わい、参道には200軒もの露店が立ち並びます。
・秋季大祭は、神事に続き傘鉾の行列が組まれ太鼓などを打ち鳴らしだんじり・神輿も御旅所への御巡幸があり盛大に執り行われます。
主要建造物 本殿 幣殿 拝殿 社務所 鳥居 狛犬 碑
宝物 山口彦左衛門の奉献太刀 環頭太刀(創建600年記念)
御利益 蝮除け 子授け 安産 家内安全 学業成就 交通安全 商売繁盛 良縁等

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由緒・沿革
本社は新田の氏子で廣戸川を隔てて住居を持って、年々増え、自然に大きな村になり、老若男女、朝夕の参拝の便利が悪い為、称光天皇の應永10年(1403年)、現在の土地に分社を建てて、新田宮の御分霊を祀って、南新田の宮と名乗りました。
 元和元年(1615年)になって、新田村を分けて、福力村となった時、社名を福力宮と改め、村の氏神として祀りました。
 慶長15年(1610年)国主森中将忠政公の御息女が、難産になって当社の神主横林河内守に命じて安産の祈願をしました。河内守斎戒沐浴して安産をお祈りしますと、霊験著しく無事に男子を安産されましたので、忠政公、非常に喜んで灯明料として福力村の中より、田・二反八畝歩(28アール)寄進されました。この地を油免と名づけました。灯明用の油代を税(免)として荒神宮に納めるという意味です。

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 天和3年(1683年)9月9日に森家の家臣・山口彦左衛門が中原村で蝮のさい難に会い、当社に祈願して盛大な大祭典をして、太刀一振を捧げました。毒蛇除け、安産等の御霊験あったことはこのことで明らかです。
 元禄15年(1702年)に至って、應永の創建より約300年の年月を経て、社殿が大破したので御社殿を再建しました。次に寳暦12年3月28日(1762年)に大修繕し、更に安政5年(1858年)本殿を再建し、明治34年(1901年)に本殿、幣殿、拝殿を新築し、昭和50年代に御礼所新築しさらに社務所新築し、現在に至っています。
上記の由緒・沿革は元禄15年辛午霜月(陰暦11月)吉日、神主横林河内守が記録した縁起状を元に、現福力荒神社宮司横林武彦氏が記述したものです。(文:大崎の歴史と文化、神社編 発行:大崎地区歴史を考える会より)

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▲拝殿と社務所の上にあったのは入学御礼の札。

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▲末社

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▲今年の厄年は?                本殿裏には、あざみの花が綺麗に咲いていました。