2022 千光寺のしだれ桜満開です。
2022年3月30日の千光寺の満開のしだれ桜の様子です。(2014年4月2日の千光寺のしだれ桜)
25日にも様子を見に来ましたが、ここの所の温かい気温で一気に咲き出しあっという間に満開になりました。3月27日夜からはライトアップされています。(日没から9時まで)(2010年3月24日)
また、千光寺の境内には沢山の椿の木が植えてあり見頃になっていますので併せてご覧下さい。(2014年4月1日の千光寺の椿の花)
2022年3月30日の千光寺の満開のしだれ桜の様子です。(2014年4月2日の千光寺のしだれ桜)
25日にも様子を見に来ましたが、ここの所の温かい気温で一気に咲き出しあっという間に満開になりました。3月27日夜からはライトアップされています。(日没から9時まで)(2010年3月24日)
また、千光寺の境内には沢山の椿の木が植えてあり見頃になっていますので併せてご覧下さい。(2014年4月1日の千光寺の椿の花)
「津山さくらまつり」が4月10日まで 津山城(鶴山公園)をメーン会場に開催されます。今年も新型コロナウイルス感染拡大防止のため、バーベキュー・宴会・食べ歩きは禁止されました。(弁当は持ち込み可)
2022年3月26日(土)オープンの日はあいにくの雨でしたが、翌日の3月27日(日)は雨も上がったので友を誘って上って来ました。丁度、本丸藤棚では津山城鉄砲隊が演舞を行っていて、鉄砲隊の撃つ銃の迫力のある音に思わず耳を覆う人もおられました。また、恒例のご当地グルメ屋台やステージイベントに加え、今年は、初めて花火を打ち上げるなど多彩な催しがあるようです。満開のさくらの木もありましたが、あと数日でソメイヨシノも見頃になるでしょう。皆さん是非おいで下さいね。
佐用町指定文化財 杉坂峠関所跡、種別:史跡、指定年月日:昭和58年5月20日、所有者:佐用町
大宝令によって整備された美作道は、山陽道の太市から美作国府に向かって西北に伸び、杉坂峠を越えて美作に入った。
播備作の広大な地域を制した赤松一統の中で、赤松則村が元弘3年(1333)に関を設けたところである。
慶長年間に万能峠が開通したので、杉坂峠の通行人は少なくなったが、判明している郡内唯一の関所跡である。(文:現地看板より)(2022年1月12日撮影)
(つながる「出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会 万能乢コース)
2021年11月9日、紅葉を見ようと衆楽園を訪ねてみたら、丁度池の水を排水するための底樋の改修工事とそれに伴う発掘調査が始まるとのことで、数回にわたって作業を拝見してきました。
庭園が作られた当時のものが何か出てくるのかと興味もあってのことです。
2021年11月11日の津山城(鶴山公園)
津山城(鶴山公園)では秋の深まりとともに色づいてきた美しい紅葉と出会うことが出来ます。明日から11月13日(土)~21日(日)8時40分~21時00分、ご当地グルメ・スイーツフェスティバル、ステージイベント他(土日のみ)が開催されます。期間中、夜はライトアップされた美しいもみじに出会うこともできます。
宗重の大桂
この宗重の大桂は、樹齢700年の巨木でしたが、慶長年間津山候森忠政が津山の鶴山に城を築いた時に天守の心桂に使われました。
その切株の跡に洞を形成し、再び芽が出て成長して今日の形になったと言われています。
津山城の建物は、現在ありませんが、立派な石垣と桜の名所です。鏡野町
(文:現地看板より)(2021年11月3日撮影)
土師山 無量壽院 圓福寺
寺伝によると、天平11年(739)に行基菩薩が聖武天皇の勅により開創、自ら一刀三礼の本尊無量壽如来と観音・勢至の脇仏を刻み安置されました。
住古は、堂塔伽藍の整った大刹でありましたが、戦国乱世に兵火により、そのすべてを失いました。
十六世紀の中頃、宇喜多直家の時代に再興され、ほぼ旧容に復興されましたが、明和5年(1768)並びに明治2年、火災に遭い、明治初期以来再建され、昭和59年に本堂、平成10年に庫裏・客殿が建立されました。
四国八十八ヶ所霊場
境内より、約八百メートルで一周できる、四国八十八ヶ所霊場を平成12年に開創しました。各札所のご本尊を舟形の石造仏にしてお祀りしています。
山中ですが、道中に芝桜や紫陽花等の草花や桜・紅葉を植樹し、修行大師もお祀りしています。
(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年9月19日撮影)
岡尾山 普門院 真休寺(しんきゅうじ)
行基菩薩の開祖といわれる真休寺は、初めは現在の美作市大山の山頂にあり、大山普門院といいました。しかし天正7年(1579)戦火に遭い、現在の所在地の美作市位田に移りました。
初代院王は隆伝上人といい、明暦年間に住坊を造営、岡尾山普門院真休寺と名付けられました。
昭和49年、檀信徒の篤い信仰心により本堂・庫裏の再建がなりました。その後も大師堂・山門・庫裏建立と整備が進み現在に至っています。
境内には桜、紫や白の藤、紫陽花、石楠花、紅葉が植えられ、花の寺として四季折々を彩ります。(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年9月20日撮影)
佛頂山 圓明寺
当山は昔、現在の美作市古町の八幡に在り、八幡山圓明寺と称していました。慶応3年(1867)7月24日火災に遭い、堂宇はもとより、本尊、寺宝、什器の大部分を焼失。明治13年(1880)、当時の住職庵智照上人により、現在の地に移転しました。
現在の地には、華山院入覺法皇が創立した、佛頂山慈眼寺が在りました。兵火により焼失し、元禄14年(1701)生駒の宝山寺より来られた深龍大和尚により、佛頂山光明庵を建立されました。
明治13年に慈眼寺と圓明寺を合併し、慈眼寺の堂宇をそのまま使用し、山号は慈眼寺の佛頂山、寺号は圓明寺をとり、佛頂山圓明寺と改称しました。これが現在の寺です。(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年10月9日撮影)
当山は天平7年(735)の秋、行基菩薩が梶並の地を巡錫した時、梶並神社の境内が誠に美しく、清らかな霊地であることに深く感銘し、この境内に薬師堂を建立し、別に一寺を建て、これを神宮寺と名付けたと伝えられています。
当時は仏教の興隆が盛んで、神仏同体説が唱えられました。大日如来は天照大神、阿弥陀如来は八幡神の如く、神を権現菩薩と唱え、僧侶は別当職として神事に参加し、神社の実権を分担し法業として神前に読経する風習が行われていました。
享保元年(1716)、幕府の宗門改革により、薬師堂は磯神社と改め、神宮寺は大日庵という山伏寺のあった現在の地に移しました。
また、津山城主・森忠政が当山の清浄なるに感じ、香水山と名付けたと、作州誌に書かれています。
近年は、檀信徒の協力のもと石垣改修、客殿新築等、境内の整備に努めております。
また境内のしだれ桜は見事で、遠くからも多くの観光客が訪れています。
(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年10月9日撮影)