荒神様(岩谷神社)(中北上)
祭神は産土荒神で、地元の氏神様として毎年11月に甘酒祭が行われている。
(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)
祭神は産土荒神で、地元の氏神様として毎年11月に甘酒祭が行われている。
(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)
中山の神に奉仕した里人有木氏が居住していたところ。屯倉、神饌1000米のルーツと言われている。江戸時代にここに伯耆街道を通した、新町宿場町、百乢、養野、倉吉、隣接の香々美村への主要連絡通路。牛馬の水飲み場であった古井戸や屋敷跡がある。(文:美作一宮の文化財地図より)
津山市西田辺地内の鵜ノ羽川と県道が交差する地点で、民家の出入り口の県道脇に立派な灯篭が建立されている。灯篭の碑文内容を要約すると、安政年中(1854~1859)に田原安五郎が発起して津山より香々美中村までを道路改修し、そして、その遺志を継いで息子田原平五郎が明治4年に一宮から人形峠まで道路改修を始めたと刻字されている。
森八神社(安清) 盗難除け、悪疫除けの神様。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)
六十六部供養碑と塞の神(明谷・原)
六十六部の供養碑は満願供養のものであり、「奉納大乗妙転六十六部供養塔」と刻まれている。塞の神は原と明谷の境にあり、旅人や地区の安全と無病息災を祈願する。天保3年(1832)建立。
(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月23日撮影)
追分一里塚跡(矢谷入り口)
明治29年の国道改修により場所が異動している。
(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)
西尾与九郎屋敷跡(岩屋)
天正9年(1581)6月、宇喜多氏の支配下にあった岩屋城を毛利氏は32人の決死隊をもって「落とし雪隠」より攻め落城させた。勝利に貢献した西尾与九郎は毛利より感状(表彰状)を受けた。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)
森原神社(安清)
明治41年に鶴坂神社に合祀されているが、現在も毎年甘酒祭などをしている。
(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)
大山みちを歩こう会(第6区)立石~延助間(9.7㎞ 実質距離 10.5㎞)
令和元年5月19日(日)、主催:出雲街道 勝山宿の会
■大山みちとは
現在の真庭市久世を中心として、東西には五街道(東海、中仙、甲州、日光、奥州)に匹敵する、重要な出雲街道(姫路~松江)があります。出雲街道は雲州と大和朝廷や京大阪を結ぶ、幹線となっていました。また南北には、古くより「大山みち」と呼ばれた古道があり、備中の国分寺跡を発し、足守より粟井温泉~掛畑~千升乢~加茂市場~尾原~鰻出~鹿出~落合~久世~三坂峠~禾津~藤森~延助~内海乢を経て、御机~鍵掛峠~伯耆大山寺に通ずる道があります。陰陽を結ぶ代表的な路線であり、人、物、牛馬、文化を運び、また、農民一揆の道でもあり、大山詣での信仰の道でもありました。現在ではその殆どは、一般道路に併合吸収されて昔の姿は止めていません。
久米苫田八十八ヵ所霊場八十一番札所
石灯籠、三輪の塔、地神様がある。阿弥陀如来安清の堂があったが、今はない。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)