有木乢(西田辺)
中山の神に奉仕した里人有木氏が居住していたところ。屯倉、神饌1000米のルーツと言われている。江戸時代にここに伯耆街道を通した、新町宿場町、百乢、養野、倉吉、隣接の香々美村への主要連絡通路。牛馬の水飲み場であった古井戸や屋敷跡がある。(文:美作一宮の文化財地図より)
有木乢へ向かう途中
平らな所は埋め立てられたところ。
有木乢の茶屋跡 茶屋跡近くの清水池
有木乢の茶屋跡で左方の道路は明治4、5年に改修された旧伯耆街道で有り、この道路は昭和30年代初期まで利用されており、茶屋は街道沿いに改修後に開業したと考えられ、そして江戸時代初期からの伯耆街道は、茶屋跡から北方約30m上方の山中を通っており現在もその跡が確認できる。茶屋跡近くの清水池は、当時は茶屋の飲料水、また旅人の喉を潤したと思われる。(文:『郷土の歴史探訪 桝形・日上山城と香々美村の暮らし』高宮惇 著より一部抜粋)(2019年8月20日撮影)
有木乢は高宮惇さんの学生の頃は通学路だったそうです。
明治4,5年に改修された旧伯耆街道が通っています。
すぐ横を籐屋津山線が通っています。