石灯籠(西田辺)

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 津山市西田辺地内の鵜ノ羽川と県道が交差する地点で、民家の出入り口の県道脇に立派な灯篭が建立されている。灯篭の碑文内容を要約すると、安政年中(1854~1859)に田原安五郎が発起して津山より香々美中村までを道路改修し、そして、その遺志を継いで息子田原平五郎が明治4年に一宮から人形峠まで道路改修を始めたと刻字されている。

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高宮惇さんに案内していただきました。

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伯耆街道はどの様に整備されたのか、里程標はどの様にして建立されたのだろうか、第1項に記述した津山市西田辺の灯篭の道造碑文が一つの手掛かりと考えられる。
 伯耆街道の津山から香々美中村の間を田原安五郎が安政年中(1854~1859)に改修し、そして、一宮から人形峠の間を田原平五郎が明治4年(1871)から明治7年(1874)の初めに改修を完了しており、改修工事に関わった伯耆街道沿いの多くの人々(「我拙力ニ及ブ處ニアラズ十万諸君ノ合力ニヨル」と碑文にあり)の協力によるものであり、実に200名以上の名前が刻字されている。(文:『郷土の歴史探訪 桝形・日上山城と香々美村の暮らし』高宮惇 著より一部抜粋)(2019年8月20日撮影)

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石灯籠
 「道路寄進 奉納 中山神社 道ノ神 明治7甲戌年5月」と印され、道路寄進の概要、協力者などが彫り刻まれている。2期に亘る修補寄進は、1期目は安政年間に一宮から西田辺経由で香々美・中村まで、2期目は明治に入ってから香々美から百谷、養野、奥津を経由して人形峠へ、この道路は、津山から西田辺を通る倉吉街道の一部と思われる。(文:美作一宮の文化財地図より)