山根稲荷(津山市林田山根)
妙見稲荷は、御崎大明神をお祀りしてあり、林田山根にあります。(2014年6月27日取材)
稲荷は、もともとは農耕の神として信仰されました。人びとは、古くから春に田の神が山から下りてくることを迎え、その年の豊作を祈り、秋、無事収穫を終えるとまた山にお帰りになられ、人々は初穂を捧げて神に感謝した。
また、人々は田の神と一緒に、捧げた初穂(お米)を食べることによって、稲魂を自らの体内に宿し、力を得ることができると考えた。
妙見稲荷は、御崎大明神をお祀りしてあり、林田山根にあります。(2014年6月27日取材)
稲荷は、もともとは農耕の神として信仰されました。人びとは、古くから春に田の神が山から下りてくることを迎え、その年の豊作を祈り、秋、無事収穫を終えるとまた山にお帰りになられ、人々は初穂を捧げて神に感謝した。
また、人々は田の神と一緒に、捧げた初穂(お米)を食べることによって、稲魂を自らの体内に宿し、力を得ることができると考えた。
玉琳(ギョクリン)院智観(チカン)(修験者)の墓である。町名の玉琳も玉琳院の名にちなむ。河内玉琳は諸国を修業した後に美作を訪れ、戸川の宿に住み、鶴山八幡宮を祈念していました。そして、森忠政が入封して城を築き始めたのですが、異変がたびたび発生したため人びとが恐れをなし、神仏に祈るのですが効果がありません。そこで玉琳のことを思い出す人があって、玉琳が「山神安鎮神明納受の祈念」をしたところ八幡宮の八子の地に遷す旨の神勅がありました。
瀧神社沿革(取材2014.7.27)
一、由緒
今から約千三百年前の白凰年間 藤原鎌足の孫 武智麿呂が中国地方平定のため御神託を受け紀州熊野権現を勧請し社殿を建てたと伝えられ 爾来北野村東西と近藤村の氏神として崇められてきた
近世美作の国津山城の鬼門の守護神として森公の信仰厚く鳥居や石の宝殿が寄進されている
明治の末頃までは「お瀧参り」とよばれ 作州全域から多くの参拝者があり 旧八月十五日の例祭には 日本原から続く松並木の参道は人の列でにぎわい 売店 見世物が並んだ
大正十二年郷社の格が与えられ また三十三年毎の御開帳祭は今に伝えられている
龍頭山 善應寺 縁起
天台宗 本寺 滋賀県大津市 比叡山延暦寺。開基/貞観二痍辰年(860)慈覚大師円仁。本尊/聖観世音菩薩 行基作。脇侍/不道明王 毘沙門天。
当山は比叡山延暦寺第四祖慈覚大師が美作の国を御巡教の際、美作一の宮である中山神社にご参籠の折、東北の山頂に紫雲のたなびくのを見て、霊地のある事を知り、深山に分け入られると、にわかに甘露が降り、雲中より蟠龍が、頭を挙げて、大師の登山を歓び迎える様をしたので、山号を龍頭山と名付け大師護持の一寸八分の観音像を本尊の体内に納めて当寺の本尊とし、一字の草堂を建立されました。(善應寺2014.6.29取材)
廣戸神社(大吉字平野)
ここには古くから植えられている尼子杉尼子藤という杉と藤の木が現存ししている。「天和3年(1683年)美作國主森伯耆守長義より神社再建費及び琴壹面を寄進せらる明治5年に社名を廣戸神社と改稱す」だそうです。弁天池にはスイレンの花が咲いている。(2014年7月1日取材) →前回の取材はこちらから
2014年8月12日(火) 今年も上山神社で執り行われた、復活3年目の上山集楽盆踊りに友人と参加してきました。地域内外から約450人が訪れ、スカイランタン(天灯)、花火、紙芝居、タップダンス、盆踊り、くじ引きなどを楽しんでおられました。 また、屋台ではカレーライスやおにぎり等の心のこもった手作りグルメを満喫しました。そして夜空に舞い上がる500個のスカイランタンには会場のみんなが歓声をあげていました。また、昨年に引き続き福島生き活きキッズの子供達も参加して上山の盆踊りを楽しんでお帰りになったそうで良かったですね。
白加美神社の恒例の夏祭りが2014年7月20日(日)にありました。今年はビール飲み放題! 参加者全員に景品がもれなく当たるビンゴゲームもあり、和気あいあいとした夏祭りでした。
2014年7月23日(午後7時~)津山市宮脇町にある徳守神社で夏越祭(わぬけ祭)が行われました。
茅萱で作られた大きな茅の輪を抜けると無病息災の御利益があると昔から言われて大勢の人がこの茅の輪をくぐってお参りしておられました。それに子供から大人まで心待ちにしているのは縁日の屋台とお菓子投げでした。来年こそは一家で参加してご利益をいただこう。(徳守様の取材)
2014年7月27日(日)は八出天満宮である「天神様の夏祭り!」
この日午前中は、湯立神事・無病息災と豊作を祈願する神事がありました。今年の豊不作の掛けは?
「湯立神事」
湯立神事とは、釜湯立、湯花とも言いて、熱湯を仕立て小笹をもって、その湯のしづくを全身に溶し誠心誠意を神明に誓う意味より起りたる神事で、古くは湯立舞として巫女が舞いたることと貞觀儀式に見えたり。第五十六代清和天皇の貞觀年間により始まったとされている。(川崎八幡神社の湯立神事より抜粋)
かつて江戸城内にあった東照宮を飾った豪華な御簾
紅葉山東照宮 御簾
享保21年(1736)以前の作 竹・緞子・金工の組合せ
紅葉山東照宮の神前に掛けられていた御簾。簾の中でも高級なものは、特別に御簾と呼びます。細い竹ひごを編み、周囲が緞子(地が厚くて文様をあしらった光沢のある絹織物)でふちどられ、三葉葵紋の金具や織模様が多数あります。上部には紐の長い房が2か所に取り付けられ、その紐には鉤(簾を巻き上げた時に引っ掛けて止めておく金具)が付いています。最上部には、中央の日輪をはさんで左右に龍・麒麟・天馬・獅子の飾り金具が配置され、全体として非常に豪華な作りです。初代将軍であり「神君」とも呼ばれて徳川家の守り神とされた家康を祀る社殿を飾るのにふさわしい仕様とデザインで、かつての徳川将軍家の絶大な権威を思い起こさせます。
付属の由緒書によると、享保21年(1736)に浅草寺伝法院を経て美作一宮の中山神社神職美土路家が拝領し、同家に伝来したものです。(文:津山郷土博物館より)2014.7.31取材