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天神様の夏祭り!(湯立神事)(津山市八出)

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2014年7月27日(日)は八出天満宮である「天神様の夏祭り!」

 この日午前中は、湯立神事・無病息災と豊作を祈願する神事がありました。今年の豊不作の掛けは?

「湯立神事」
湯立神事とは、釜湯立、湯花とも言いて、熱湯を仕立て小笹をもって、その湯のしづくを全身に溶し誠心誠意を神明に誓う意味より起りたる神事で、古くは湯立舞として巫女が舞いたることと貞觀儀式に見えたり。第五十六代清和天皇の貞觀年間により始まったとされている。(川崎八幡神社の湯立神事より抜粋)

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かって江戸城にあった 紅葉山東照宮 御簾(みす)

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かつて江戸城内にあった東照宮を飾った豪華な御簾
紅葉山東照宮 御簾
享保21年(1736)以前の作 竹・緞子・金工の組合せ
 紅葉山東照宮の神前に掛けられていた御簾。簾の中でも高級なものは、特別に御簾と呼びます。細い竹ひごを編み、周囲が緞子(地が厚くて文様をあしらった光沢のある絹織物)でふちどられ、三葉葵紋の金具や織模様が多数あります。上部には紐の長い房が2か所に取り付けられ、その紐には鉤(簾を巻き上げた時に引っ掛けて止めておく金具)が付いています。最上部には、中央の日輪をはさんで左右に龍・麒麟・天馬・獅子の飾り金具が配置され、全体として非常に豪華な作りです。初代将軍であり「神君」とも呼ばれて徳川家の守り神とされた家康を祀る社殿を飾るのにふさわしい仕様とデザインで、かつての徳川将軍家の絶大な権威を思い起こさせます。
 付属の由緒書によると、享保21年(1736)に浅草寺伝法院を経て美作一宮の中山神社神職美土路家が拝領し、同家に伝来したものです。(文:津山郷土博物館より)2014.7.31取材

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作東高野山 摩尼院 法輪寺(美作市大聖寺)

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 天平年間に、行基菩薩が開創され、弘法大師も弘仁年間に巡錫されたと伝えられています。昔は五社明神の別当寺として、神社の近くにありましたが、天保5年現在地に移りました。
昭和28年、現在の本堂落成の際、高野山から、作東高野山摩尼院の称号を頂き、爾来檀信徒皆様の篤いご信心によって、山容が整いました。(文:高野山真言宗 美作八十八ヶ所霊場HPより)2014年6月24日取材

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河辺神社お旅所(津山市河辺)

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 河辺町内中心地上の町(桝形)のほぼ中央に位置し、普段は広場になっていますが、河辺神社のお祭りの際には、御神輿の中継場所とし使われ、御神輿で運ばれたご神体が一時滞在し、お宮と同じく子供による舞が奉納されます。
 今の場所へは戦後移転されたもので、昔は東坂のすぐ近くにあり、出雲街道を通る殿様への恭禮の場所として使われていたそうで、御禮場と呼ばれ屋号も残っています。

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岩神大明神様(津山市河辺)

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⑨岩神大明神様
 腰の痛みによく効く神様として、多くの人がおまいりしています。
農作業等で腰が痛くなった時、岩神様の石を背負うと治ったそうで、社には蛇がまつられています。
 以前この場所では蛇がたくさん住んでいたそうです。
 昔河辺地区で、表面に露出した大岩は、現在の岩神様のところしかなく、信仰の対象となったものと考えられます。

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最上位経至大菩薩(津山市河辺)

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⑦最上位経至大菩薩
 最上様は五穀豊穣の御利益があり、日蓮宗の信徒の方々によりおまつりされています。
 昭和4年までは、旧出雲街道脇(西坂付近)にまつられていましたが、建物が老朽化したため、今の場所に拡張し建て替えられました。
 写真の石碑は、出雲街道沿いに有ったものを社と一緒に移動したものと考えられ、河辺地区にある石碑の中では、最も古いものと思われます。
石碑に元禄元年(1668年)と刻まれています。

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河辺神社(津山市河辺)

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 河辺の氏神様で、御神体:天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 御本尊:月夜見尊
(つくよみのみこと)がまつられており、境内には昔河辺村内に点在していた神様を移転し、まつってあります。本殿は、昔加茂川の近くにあった社を、山上がり(桝形に由来する)の際に、現在の場所に移転されました。

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八神三宝荒神社(津山市河辺)

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⑥八神三宝荒神社
 この神社は、昔国分寺奥の院に至る道沿い(地蔵谷)にまつられていた八体の神様が、まとめられおまつりされています。
 昭和初期の姫新線開通頃までは、今の場所より数百メートル西の八神地区(立花団地付近)にまつられていたそうです。
 地蔵谷・国分寺奥の院跡は、現在山道は通行不可能と思われます。
国分寺奥の院は愛宕神社の山の南側(河辺と反対側)に位置し、木立の中に石積みがわずかに残っています。

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北向地蔵菩薩(津山市河辺)

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⑩北向地蔵菩薩
 北向き地蔵菩薩は、勝南霊場八十番に指定されており、社は小さいが有名なお地蔵様で、北を向いている所から、今の呼び名となっています。
 今は合格祈願等でお参りされていますが、以前は疣(いぼ)・できもの取りの祈願がされていたそうです。特に子供におかげがあるそうで、素朴な地蔵がまつられています。
 北に向かってまつられていることが、とてもめづらしいそうです。

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塞ノ神社(津山市野介代)

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塞の神の長い民間信仰の歴史の過程によって機能は複雑となり、色々な附会された伝承が各地域で受け継がれ、また他の神々と習合され、幸せや金運を授けてく れる神というような現実的な人生の希望を託す信仰にもなっている。岡山県下の塞の神は祠が多く、中北部で、咳、耳、脚の神とされ、塞の神にはその他、縁結 びの神、和合神、性神、道路の神、交通安全の神などさまざまの信仰や形態がある。(2014年5月14日取材)

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