古大隅神社(津山市林田)

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津山市林田755(若宮谷)。祭神 大巳貴命(オオナムチノミコト)(大国主命)。少彦名命(スクナヒコノミコト)。森忠政が鶴山城の鬼門の守護のため、元和6年(1620)3月23日大隅に遷座した。村民は氏神を失ったので、跡地に小祠を建てて若宮神社と称した。元禄年間(1697~1703)松平藩の時に大隅神社の旧号をとなえるようになった。末社 御先社、三宝荒神社。(取材:2014.6.15)

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参道

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灯籠

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拝殿

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本殿

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本殿

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末社 御先社、三宝荒神社


森藩時代城東大隅神社に遷座された 古大隅神社

古大隅神社のたたずまい
 古大隅様(地元住民の呼称)は、津山市林田755番地(字 若宮谷)野介代丘陵の山麓に位置している。高福寺境内より直線にして東へ約100㍍、林田小北の体育館沿い市道を西に向かうと林田幼稚園に入る接点のあたり道路に面して古大隅神社の石鳥居がある。これより北斜面数十段の石段を登ると社殿のある境内にたどり着く。樹木がなければ林田・川崎あたりの集落を見渡せすことのできる好位置にある。

祭神 出雲系の神様と縁起
 祭神は、主神 大己貴之命(オオムチナチノミコト=大国主命)=世の平穏 縁結びの神であり、相殿の神は少名彦命(スクナヒコノミコト)=国つくり・開発の神で美作の古社に多く祀られている出雲系の神様である。大隅神社の縁起は、社領寄進・古証文書等 天文年中(1532~)尼子晴久侵入の時や、永禄年中(1558~)戦乱に暴徒の乱暴ありこの災厄に全てを失うとある。なお、尼子氏の侵入に対して中山神社と同様こころ拠点に土一揆があったと伝えられている。一説にある古老日く。「林田山根の上に古塚あり。あるとき村民に告げていう。われは大隅宮という神なり 氏神とすれば村は繁盛の地となり災難のがるべし よって小社を建てた いまの古大隅社がこれである、文化11年(1814)より370年から80年前(室町時代の初め相当)といえり。」
 
森忠政による 城東の地に城の守護神として遷座
 森忠政は、1603年美作入国以来 津山城の築城や津山城下町つくりに尽力した。とくに城東の町つくりにあたって城と城東の町の守り神としての神社の鎮座を必要とした。津山城の鬼門となる位置に城の守護神としてふさわしい古大隅社があることから、これを城東の地に大隅神社として遷座したのであった。元和6年(1620)3月大隅神社の鎮座は、城東住民にとっては唯一の産土神となるものであり、今にして城東津山祭りの中心神社として祀られて来ている。
 
若宮から古大隅神社として祭祀
 鎮守の神が遷座したため地元住民は、跡地に小嗣を建て若宮神社として祀った。やがて元禄年間に森藩から松平藩になったとき、大隅神社の旧名称を活かし古大隅神社として祀ることになった。以後現在に至るまで、川崎地区松原町内会を中心に付近町内住民により祀られ、大晦日や夏、秋の祭祀行事を催している。

(文:美作の歴史を知る会 宮澤靖彦)