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取材記事内をタグ「お地蔵様」で検索した結果,18件の記事が見つかりました。

日限り地蔵(一方)

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日限り地蔵
 『むかし、皿川に琵琶が渕という渕があった。ここでは、毎年身投げをする人があとをたたなかった。なんとかして身投げをさせないようにしようと相談し村の人たちは、とむらいをしないという立札を立てた。その後は身投げをする人がぱったりといなくなった。喜んだ村の人たちは、そこに、延命地蔵をまつった。人々はいつとはなしに日限り地蔵とよぶように成った。』
ところがこの地蔵が部落の境にあったので、けっきょく二つに分けてまつることにした。
 今の佐良神社のがけ下にあるのが本家で、すこし南の平福の道路ぞいにあるのが分家だといわれている。いつのころからか「日限り地蔵にお願いすれば、子どもがさずかるそうじゃ」といううわさが広まっていった。評判を聞いて、子どものほしい人がつぎつぎにおまいりするようになった。
お祭り当日には、子どもの健やかな成長と交通安全を祈って、ご祈とうをお願いしております。
ー岡山の民話よりー(文:現地説明板より)(2017年9月30日撮影)

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耳地蔵(東一宮)

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耳地蔵 津山市東一宮141-2
 大庄屋の中島孫左衛門は、朝鮮出陣中討ち取った敵兵の耳たぶを斬り戦功の証としたが、軍命によるとはいえまことに哀れなことなので帰国後ここに塚をつくり『耳地蔵』としてその霊を弔った。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年2月19日撮影)

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かがみ地蔵(東一宮)

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脚、腰の病気に効験ある地蔵菩薩として祀られている。(2017年2月19日撮影)
 以前、東一宮の鳥居公園付近に設置されていたが、土地区画整理事業に伴い現在地に移設された由。
地蔵碑に『右 月本雲祐助』とある。同じような地蔵尊が『南条坂』にもある。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)

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地蔵堂(下田邑)

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津山市下田邑から神楽尾城跡へ上る途中にこのような地蔵堂があります。(・地蔵菩薩御真言 おんかかかびさんまえいそわか ・地蔵様と大日様には水をかけないでください。施主)と木のお札が掲げてありました。(2014年5月6日撮影)

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油地蔵(勝央町 壽福山 東光寺)

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油地蔵(岡山県指定重要文化財)
 字 石佛の土中より堀り出されたもので旧県道沿いに安座していたものを大正14年東光寺山門前に移したもの。花崗岩の上部を舟形におとし佛像を刻んでいる。右手には錫杖、左手に宝珠を持つ延命地蔵の相で重厚の感じの像容である。
 左に「庚暦二庚申二月二十九日亥午後」(1380年)右脇に願主円佛敬白の銘がある。油をかけると如何なる難病にも御利益があると云われその為、油地蔵と呼ばれている。
 県内外からの参拝者も多い。昭和34年1月13日、県の重要文化財として指定される。

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北向地蔵菩薩(津山市河辺)

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⑩北向地蔵菩薩
 北向き地蔵菩薩は、勝南霊場八十番に指定されており、社は小さいが有名なお地蔵様で、北を向いている所から、今の呼び名となっています。
 今は合格祈願等でお参りされていますが、以前は疣(いぼ)・できもの取りの祈願がされていたそうです。特に子供におかげがあるそうで、素朴な地蔵がまつられています。
 北に向かってまつられていることが、とてもめづらしいそうです。

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お地蔵様(津山市河辺)

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⑪お地蔵様
 このお地蔵様のいわれははっきりしませんが、子供に恵まれない女性が、おまいりしていたそうです。
 最初一体のお地蔵様がまつられていたそうですが、おまいりして子供を授かった人が、新しいお地蔵様を奉納し、数が増えたのではないかということです。
また脇には、小さな子供と思われるお地蔵様もまつられています。
 今は屋根が建てられていますが、昔は無かったそうです。

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