清瀧寺 六十六部 廻国供養と六体地蔵

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清瀧寺仁王門に隣接した東の土手際に、江戸時代の民間信仰を代表する地蔵の石塔や大日如来、六十六部廻国供養等の供養塔がある。
多数現存している大日如来の供養塔については、後述するとして、時折散見される六十六部の廻国供養塔に注目したい。
清瀧寺の供養塔には、「宝永五戌 祈 願主 (梵字)六十六部廻国供養 十一月十八 春教」とある。六十六部とは、俗に六部とも言われ、本来は厨子を背負い、書写した衆生救済の法華経を全国66ヶ国の霊場に一部ずつ納める目的で、諸国の社寺を遍歴して廻る行脚僧のことである。鎌倉時代末期に始まっているが、江戸時代には俗人も行い次第に大衆化した。男女とも白地の木綿の着物に、手甲、甲掛、股引、脚絆といった巡礼姿で鉦を叩き、鈴を鳴らして巡回した。
宝永5年(1708年)といえば、江戸時代半ば、大阪~東海で大地震があり、富士山が大噴火した惨害の翌年であり、春教という行脚僧の心境がしのばれる。(2012.3.21)

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清瀧寺境内の墓地に六体地蔵がある。古さを物語るように、大きなもみの木の下に背丈ほどの大地蔵様と共に有り、解説板には「元禄12年(1699年)」の創設とある。
 地蔵信仰は、観音様とともに庶民に最も親しまれている仏=菩薩の信仰である。この信仰は、はじめ平安時代に貴族の間に生まれ、次第に庶民に広まった。地獄・極楽の思想とも結び付いて、人々の苦しみを救うため、釈迦が亡くなって数十億年後、弥勒菩薩が現れるまでの間、人々を救い導く仏様がこの僧形をした地蔵様なのである。
 とくに、六体並んだ地蔵を六体地蔵と名づけているが、これは六道輪廻の思想に基づいて存在する魂を救う仏、すなわち、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上という六つの世界のいづれを巡る衆生をも救いあげる仏を意味し、死後の冥土にも救いが及ぶことから、一般の人々に広く信仰されるようになった。本来、死者の魂を救うということで、墓地の入り口に安置されているのが普通であるが、いまや阿弥陀様の変化身として、道端や峠などにも設けられ、子育て・安産・抜苦・衆生済度の仏様としても信仰されてきている。(文:広野の歴史散歩:宮澤靖彦 編著より)
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