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河面 墨池山(ぼくちざん)清瀧寺と仁王門

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 河面にある清瀧寺は、作州きっての古い真言宗のお寺である。(お寺シリーズ、レポート記事
旧「岡山県勝田郡誌」(初版 大正元年)に、「本郡には役の小角夙に来り聖武の朝国分寺を建てられ又行基来り空海来り圓仁来り各寺院を創造す 故に古来巨刹多く宗派は真言を最多とす天台之に亞ぐ」と記述されているように、真言宗の清瀧寺は、まさに、弘法大師(空海)ゆかりの古刹とされている。
 空海が唐の都長安で修行に励んだ寺は、青龍寺であり、ゆかりの寺院名称であるうえに、寺伝によると、平安時代初期の弘仁12年(821年)、嵯峨天皇が弘法大師に命ぜられて建立されたとされている。墨池山というのも、雨乞いの加持祈祷を行った弘法大師が、自らその筆を洗ったという「墨の池」も伝説にちなんでの山号であり、今も伝説の墨池という小池が残されている。
 清瀧寺の往古は、広大な七堂伽藍をようして、多くの僧坊があり、西光寺・真福寺など7カ寺の末寺を持つほど栄えたらしいが、中世戦乱に巻き込まれ、やがて廃絶したと言われている。(2012.3.20)

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 荒れ果てた清瀧寺が再興されたのは、森藩時代の、森長継のもとにおいてである。藩の財政的支援も受けて、寛文5年(1655)より再興がはかられ、寛文9年(1669)に本堂が、享保2年(1717)には各堂宇も再建されるに至り、以来現在に続いている。その再興のもっとも古い姿をとどめているのが、清瀧寺の仁王門である。延宝4年(1676年)、森藩寺社奉行の原十兵衛の尽力により現在地に建立されたと言われ、なかの金剛力士阿吽二体の作者は、不祥であるが、塗りのはげた現状は、よくその古さを物語っている。
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 観音堂に安置されている清瀧寺の本尊は、「27面千手千眼観世音菩薩」の立像である。平安~鎌倉時代に盛んになった観音信仰は、観音様の千本の手が示すように、人々の救いの絶大なことを意味している。とくに、延命、滅罪、男女和合などの御利益があると説かれ信仰された。清瀧寺の本尊は、全長1.1mで雲形模様のきらびやかな光背をもち、頭上には27面を有し、さらに珍しく文字どおり左右に500づつの千本の手を持つ満作の観音像である。像そのものは、鎌倉初期の作と推定され、江戸時代に泥金を塗るなど補修され工芸的には惜しまれるが、京の人よりの寄進による院派の系統の作とされている。([東作誌)現存の数少ない秘仏とされ、伝統的に33年目に一度の開帳となっている。(広野の歴史散歩:宮澤靖彦 編著より)