國司神社 (旧久米町)

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国司神社(2012.5.13取材)
 祭神は、大国主の神である。此の社の文書の中に祭神に関するものがある。
國司神社は、作陽誌に
同村(宮部下村)國主社、祭九月九日、境内東西十八間、南北十六間。
と書かれている、当社の文書によると、川原寺の信徒が話し合って、明応元(一三三八)年三月七日、出雲大社から國師大明神即ち、大国主の命を勧請し、現在の地に社殿を造営して産土の神としていつきまつり、子孫繁栄、五穀成就、牛馬安全の護り神様としたもので、其の後弘治元(一五五五)年に当社の神主家行見氏の祖霊社を祭り、天正三(一五七五)年には諏訪大明神(祭神建御名方の神と事代主の命の二柱)を勧請し、更に慶長三(一五九八)年に愛宕神社(祭神は雅産日の命・埴山姫の命・伊弉冊の命・天熊人の命)を併せ祭ったものである。(久米町史より)
 
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社殿については、最初に出雲大社から大國主の命をおむかえした明応元(一四九二)年に現在の位置に社殿を建立してから、百二年の後の文禄三(一五九四)年に再建立がおこなわれ、それから百六十六年後の宝暦十(一七六〇)年に建立、それから二十年後の安永九(一七八〇)年には再建立が行われており、二十六年の後の文化三(一八〇六)年にも再建立がおこなわれている。以上は棟札の写しによるもので、其の外、国司社の文書によって沿革の大要をうかがうと、文化三(一八〇六)年、國司宮屋根替並びに五社の再建立が行われた。天保二(一八三一)年には次の議案書が出来上った。
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宮部にある國司神社です。
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自然石を組み合せて造られている石段を登り詰めると左側にも御手洗いがあり、「奉献」の刻字がある。
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お田植え祭の神事がありました。
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お田植え祭の最中にお伺いしてしまいました。

宮司さんのお宅は「風里」という1棟貸宿泊施設をしていらっしゃいます。
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昔の学校を貰い受けて牛小屋にしていたそうです。
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ご案内いただいた國司神社の松岡俶夫宮司さんと宿泊施設内
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平成19年津山ふるさと景観賞を受賞されたそうです。