長松山 法林寺(大字宮部上)旧久米町

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長松山 法林寺(大字宮部上)は、本源寺の過去帳から見ると元和元年(1615)二月五日から始まっています。


作陽誌に長松山法林寺臨済 当寺者在リ 同村ニ 妙心再住正伝ノ開基也、 本尊 釈迦 脇士 普賢 文珠、鎮守 荒神、本寺 法源山宗永寺、境内 方五十間許と記されている。
 此の寺は寛文元(1661)年六月賢堂祖元和尚の開基で、開山は同年十月十六日、正伝元正老和尚によるものである。

 享保十六(1731)年、当山第五世の来山定意和尚が住職として入山した。此の和尚は寺の整理経営に努めたので、其の成果實(じつ)に見るべきものがあった。
  けれ共其の後火災にかかりせっかくの盛運のきざしも頓挫したのである。仔の様な時の享和三(1803)年、隣寺の正覚寺第十世活能百宗和尚は住職を第十一 世祥天豊瑞和尚にゆづっておいて此の年の十一月当長松山に留守居として入山し、鋭意当寺の復興に尽力し、その功績は實に大きかったので、当寺中興(ちゅう こう)の禪師として今に語り伝えられている。

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 又、当寺十一世の萬拙玄實和尚は、明治二十二(1889)年入山して以来絶えず刻苦勉励、寺院の興隆に努力し、僅か二十軒の檀家の微々たる小寺院であり乍 ら大いに喜捨を集め、入山二十年後の明治四十二年六月堂宇を改築して一個の寺院として遜色のないものに仕上げ今日に至っている。

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本尊は釈迦三尊で、釈迦の座像を真中に据え、その右に象に乗った普賢菩薩、左に獅子に乗った文珠菩薩の両脇侍を随えている。

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此のお寺には本尊の外に十一面観音の立像と阿弥陀如来の座像もある。
本寺は津山市小田中の宗永寺であり、本山は京都の妙心寺である。

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当法林寺の境内には秋葉様の祠と、十王を安置した庵があるが、これらは法林寺とは関係なく他の場所にあったもので、移転の必要に迫られて此の寺院の境内を借りているもので元は宮部上村が管理しており、今は大字宮部上が管理している。
十王を安置した庵は元は正覚寺の山号右石付近にあった「友長庵」を移築したものである。
(文:『久米町史下巻』より抜粋)2014年9月20日取材