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首切り地蔵 下高倉西字輿曽乢(よそだわ)

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首切り地蔵 下高倉西字輿曽乢(よそだわ)
 広域農道ができるまでは、岩端池から一宮街道を西に行き坂道を登った峠の上に首切り地蔵があった。この道は高倉から津山に行く主要な道路であったが、高倉の道は雨が降るとぬかるみとなり、ここで泥を落とし一休みして、お地蔵さんを拝んで通っていた。1982年、広域農道建設に伴いお地蔵さんは少し移転され、現在谷口家の墓所の一角にねんごろに祀られている。(文:高倉の歴史と文化財より)2012.12.16取材

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昔は歩いて峠越えをする時、この首切り地蔵の前で一休みしていたそうです。

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首切地蔵尊像と観音菩薩の由来
観音菩薩供養
 1865年江戸末期幕府の命により今から約140年前、打ちこわし百姓一揆起こるこの時代全国のあちこちで犠牲者が続発する。この時、薩長連合坂本龍馬氏が農民のために尽力され、百姓一揆も激減する。後に観音菩薩が全国の霊を供養に参拝されたと伝えられている。位置は現在の広域農道の南側に北向に造られたものであった。
1982年野村から坪井迄全線開通に伴い移転仮設していた平成8年6月吉日谷口家墓地移転と同時に東向きに設置する。更に平成17年5月吉日 葦原山長泉寺住職貌下による方位並びに地蔵尊像を供養し昔の姿に設置、道路より誰でも気楽に参拝できるようにし村人の無病息災、健康維持、御守護尊像祈願し、建立完成する 谷口昌吾建之