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福井 伝承の正伝寺(廃寺)本尊十一面観音様

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2013年2月3日(日)取材

 福井の土居地区に、新宮城とかかわって、古い伝承をもつ歴史的にも貴重な観音様が現存している。場所は、火のかま古墳の南、谷をへだてた通称山田といわれる林の中の墓地群の一角にある。ブロックに囲まれた倉庫風の観音堂に安置されており、人よりも大きい、お堂にふつりあいな立派な十一面観音様である。
 神宮山木下伝記によると、この観音様は、現福井八幡宮のできる以前に、その他に建立されていた宝昌山正伝寺ゆかりの本尊様と記されている。
 そもそも、八幡宮の前身宝昌山正伝寺は、新宮城ができたとき、清瀧寺地鎮和尚の勧めで、城の真東に禍事を払い武運長久を守護するお寺として建立された。その本尊として、清瀧寺と同様の十一面千手観音が、京よりわざわざ仏師を呼び寄せて製作され、長元6年(1033年)盛大な祭祀でもって安置され、以後多数の人々の参詣で賑わっていた言う。
 ところが、新宮城が落城した翌年の文治元年(1185年)、縁日の法要のさなか正伝寺が誇る五重の塔より出火し、お寺が全焼する大火となった。危うく本尊の観音様も焼失しそうになった時、熱心な信者により救われたと言う。
 以下、その伝記の記述である。「宝昌山正伝寺観世音縁日にて例年の法会あり、多くの善男善女参詣の最中 九つ下り、五重の塔の中央火の室より突然出火してにわかに燃え上がる。衆人驚き消さんとすれど宝昌山には水乏しければ防ぐ便なく瞬く間に本堂に燃え移りたり。土居平の中に長く仲間奉公して居りたりし岡西喜六と呼びなす者、常に観世音に信心して今日も参詣し居りしに出火に驚き、尊き観音様を焼きては恐れ入ると、直ちに本堂に飛び込んで応援の諸人と厨子を担ぎ出し、暫して土居の畝へ持ち来たり菰を敷いて其の上にも菰をかけて当分雨露をしのぎ、その後粗末なる堂を建立し安置し奉り信仰するところより、霊験あらたかなれば平中の者も追々信仰し~明治維新の神仏混合引き分けの達しにて、西の丘の現在地に移転さられたり。なお、表柱の突石は、正伝寺の突き石にて蓮華形あり。」

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 今は、「勝南霊場第弐拾参番 ご本尊十一面観世音」の標識をもつ観音様だが、以上のように、新宮城と深い関わりのもと、京の仏師により製作されたと言 う、正伝寺に鎮座の古い伝承をもつ観音様である。かつて文化財調査の節、一説に、手直しや塗り替えがなければ、重文級の声もあったとか言われている。 (文:広野の歴史散歩:宮澤靖彦 編著より)

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急な坂道を登ると新宮山が見えます。

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勝南霊場第弐拾参番 御本尊十一面観世音

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安藤さんが案内くださいました。この敷石は寺のものだそうです。


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安藤さんのご先祖祀りはここに集まってお参りするそうです。

故安藤十朗定親さん(幸夫さんの祖父)は、武術の奥義を極め、仏教から信徒に変り、中山神社を経て黒住教遵奉教祖宗忠神教義布教し、福井村の庄屋、副戸長などを歴任した方だそうです。

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また、故安藤太郎さんは、東京芸大音楽部卒で、津山作陽音楽大学創設に貢献し、同校教授となり音楽指導をした方だそうです。