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取材記事内を検索ワード「お稲荷様」で検索した結果,16件の記事が見つかりました。

稲荷宮石灯籠・豊川稲荷宮・亀山城跡(坪井)

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 稲荷宮石灯籠・豊川稲荷宮・亀山城跡(坪井)
石灯籠は2基あり、左側は文政9年(1826)、右側は天保8年(1837)に寄進され、何れも坪井宿の中央を流れる水路のほとりにあったものである。
 豊川稲荷は挙母藩陣屋に祀られていたもので廃藩置県後、亀山城跡に移された。
 七森神社への途中約500m北にある七森宮石灯籠は嘉永5年(1852)に寄進。「是ヨリ七森宮へ九丁」と刻んである。これは坪井宿から約900mということであり、これも水路のほとりにあったものである。

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伏見稲荷神社(横山)

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 市内の稲荷神社を探している途中で見かけた伏見稲荷神社です。傍らの社務所に貼ってあったのは「当神社神殿には稲荷五大神の宇迦之御魂大神を主神に、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神の五柱をお祀りしてございます。」です。
(2017年10月9日撮影)

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境の榎(えのき)

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 徳守神社の宮脇門から北を見ると至近距離、竹ノ馬場境に榎がある。これも大きく高い、昔から「境の榎」とされた一本である。南新座の方へ下りて、元の市立中央幼稚園のあった空き地の裏にも「境の榎」は残る。そこから少し東、妙願寺の南、長泉寺の裏にも一本があるが、上部が切断されている。
大木の落葉は墓地の大敵なのだから、止むを得ず「こうして境の榎は滅んだ」となるのであろう。また田町出雲大社の中には、囲いに保護された榎がある。これは田町中に数十本あった境の榎のやっと残った一本である。椋と榎いずれも城下町のシンボルには違いなかろう。(文:故 白石哲氏

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稲荷神社(東一宮、坦地区)

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 五穀をつかさどる倉稲魂を祀ったもので、建立食不詳。以前はお詣りする人も多かったとのことであるが、今では社に通じる参道も荒れており、殆ど参拝する者がいない。なお、横野川改修工事により社前の道が整備されるものと思われる。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年6月4日撮影)

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坂元稲荷神社 (津山市山方字古観音寺地内)

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 いつの頃からかは判然としないが、五穀の神として倉稲魂神を祀ったもので、また商売の神(正一位)として神の使役に狐を従えている。
 毎年2月初午の日に参詣する稲荷詣でがあり、絵馬を献ずるなど子ども連れで毎戸に銭を乞い歩く萬年講などがあったと聞く。現在ではこれらの行事もなくなったが地域や横野方面からの信者など、お参りが絶えることなく続いている。
 なお、平成7年県道拡幅工事のため現在地に移動されたものである。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年3月20日・4月12日撮影)

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根田稲荷明神(堺町)

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 堺町は森藩の時代には木知ケ原町と呼ばれた。現在の堺町と改称されたのは享保12年(1727)。この町には森藩時代からの豪商として知られる誉田屋があった。この家が根田家であろうといわれる。根田稲荷はこの家の屋敷神であったが、今は堺町の町内神。稲荷信仰のもとに商売繁盛と火の用心はっきもの、火災から町内を守る神としての信仰を集める。寛文4年(1664)徳守神社の新社殿が完成した折、最初の神輿をこの町から奉納している。

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御先神社(田町)

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城下町津山に残る多くの小社の中で、風格ある社建築を持つこの御先明神も古い歴史を持っている。
森家の家臣吉田作左衛門が、二宮高野神社境内にある御先神社を寛永年間にこの地に勧請した。
吉田邸は刃傷沙汰の伝承のある侍屋敷。その話に絡んで稲荷神の「うかのみたま」のお使いである狐を屋敷神として杷ったもの。現在の社は明治時代の建造である。
所在:津山市田町 祭神:お稲荷様=倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 創建:寛永年閣(1624~1643) 以降
祭礼:夏祭7/28 秋祭10/28 初午祭2/28(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)

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豊川稲荷神社(山下)

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 現在は、千代稲荷神社の境内に移されているこの社は以前、津山郷土博物館裏の城の石垣に貼りつくように建っていた。この豊川稲荷を勧請したのは、もと津山藩の家老であった山田(ようだ〉家といわれている。
山田家の後、美作製紙から昭和9年には旧津山市庁舎(現津山郷土博物館)と替わった。
昭和10年に水道疑獄が起き課長が議場で倒れてからは、屋敷の守り神である豊川|稲荷が手厚く祭相された。
所在:津山市山下82 千代稲荷神社内 祭神:豊武大明神、末廣大明神、白玉大明神 創建:不詳 祭礼:6/中旬
(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗より)(2016年11月30日撮影)

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