![医療の発展に貢献した久原家(二階町)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/04/kuhara8-thumb-120x120-90965.jpg)
医療の発展に貢献した久原家(二階町)
![皆戦場〔合戦場〕(草加部)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/03/kaisen1-thumb-120x120-91010.jpg)
皆戦場〔合戦場〕(草加部)
![能万寺古墳群(きつね塚遺跡)(津山市押入)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/01/kitune5-thumb-120x120-91341.jpg)
能万寺古墳群(きつね塚遺跡)(津山市押入)
![深山(みやま)渓谷とみこ渕(津山市阿波)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2014/11/miko6-thumb-120x120-91431.jpg)
深山(みやま)渓谷とみこ渕(津山市阿波)
![アルネが出来る前の吹屋町界隈の写真](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2017/03/800px3177-thumb-120x120-162131.jpg)
徳守神社の宮脇門から北を見ると至近距離、竹ノ馬場境に榎がある。これも大きく高い、昔から「境の榎」とされた一本である。南新座の方へ下りて、元の市立中央幼稚園のあった空き地の裏にも「境の榎」は残る。そこから少し東、妙願寺の南、長泉寺の裏にも一本があるが、上部が切断されている。
大木の落葉は墓地の大敵なのだから、止むを得ず「こうして境の榎は滅んだ」となるのであろう。また田町出雲大社の中には、囲いに保護された榎がある。これは田町中に数十本あった境の榎のやっと残った一本である。椋と榎いずれも城下町のシンボルには違いなかろう。(文:故 白石哲氏)
2017年8月26日に、ずっと気になっていた木を訪ねて津山市田町の福島さんをお尋ねして来ました。
「おそらく我が家と隣を境にして植えてあるので境の印だろうと思います。昔は武家屋敷と武家屋敷の境として植えられたのででしょう。」とお話し下さいました。
近所から切ってほしいと苦情が来ているそうですが、お隣の方は津山にはいらっしゃらないようです。
旧市内の高台に行けばよく見える大木です。
この木の根っこにお稲荷様が祀られています。
境の榎の木です。