【津山人】 白石 哲 氏(1924~2012)

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三鬼の最後の弟子 白石 哲さん、俳号は白石不舎(しらいし ふしゃ)

大正13年(1924)、津山市生まれ。西東三鬼に師事。遺言により津山に西東三鬼之墓を造立す。以後俳壇と無縁も上京後三橋敏雄らと交遊、俳諧滞らず、昭和61年帰郷と共に、西東三鬼顕彰を志す。「綱」主宰。句集「作州」。西東三鬼賞委員会副委員長。
平成24年2月27日、逝去。

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西東三鬼と一緒                     安東次男と一緒

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同窓生と一緒

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白石さんは「綱俳句会」を主宰し、自らの創作活動だけでなく、93年創設の俳句文芸賞「西東三鬼賞」に尽力するなど俳句文化の振興に取り組んだ。

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文化功労章授章の祝賀会にて

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平成18年度文化功労者として広報津山に紹介されています。 (右の写真:妹さんと)

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津山市内の小学校で俳句を教える。

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俳人・白石不舎さんを顕彰 津山で文学碑除幕、津山市文化協会創立60周年を記念して建てられた白石さんの文学碑(白石さんの師だった同市出身の俳人・西東三鬼の文学碑の隣)

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文学碑除幕式にて



自筆年譜
大正13年(1924)
  9月1日、岡山県苫田郡津山町下紺屋町に誕生。父安太郎、母絹代の長男。
昭和6年(1931) 7歳
  4月、津山市立男子尋常高等小学校へ入学。
昭和17年(1942) 18歳
  岡山県立津山中学校卒業。
昭和18年(1943) 19歳
  9月、陸軍航空隊に入隊。終戦除隊。
昭和22年(1947) 23歳
  9月、津山市役所職員に採用され、庁内俳句会唱道、一方「柿」俳句会員となる。
昭和23年(1948) 24歳
  西東三鬼主宰の「激浪」に入会、津山支部を結成。4月、三鬼の初帰郷を迎える。
  同年中「激浪」を津山市内で印刷発行するも五号にて終刊。
昭和26年(1951) 27歳
  10月、山本まき子と結婚。
昭和27年(1952) 28歳
  4月、長男文之誕生。6月、西東三鬼主宰誌「断崖」創刊に参加。
  特別作品発表の会員第一号となる。
昭和31年(1956) 32歳
  2月、弟弟子中村丘の自殺により、三鬼と疎遠になる。
  8月、「天狼」中国俳句大会を鶴山公園で開催、津山に於ける空前の俳句大会となる。
昭和37年(1962) 38歳
  4月、西東三鬼永眠。5月、西寺町成道寺に三鬼の句墓碑を造り、納骨。
昭和39年(1964) 40歳
  津山市役所を退職。10月、東京移住。
昭和40年(1965) 41歳
  2月、東京産経学園の俳句教室数か所に秋元不死男ほかを講師として迎え
  現代俳句の新風を注入する。
昭和41年(1966) 42歳
  「面」俳句会に参加。
昭和50年(1975) 51歳
  1月、父死去。満五十歳を己が定年と定め、9月、産経学園を退職。
昭和59年(1984) 60歳
  娘の結婚を機に津山に帰る。
昭和61年(1986) 62歳
  俳句教室「夫不舎」を開く。
平成3年(1991) 67歳
  4月、西東三鬼没後三十年記念俳句大会(津山市主催)を開催。
  俳句教室を社会保険センターに移し「綱」発刊。
平成5年(1993) 69歳
  津山市が西東三鬼賞を設定。
平成7年(1995) 71歳
  安東次男本人の依頼により生家裏山に句墓碑建立。
  「蜩といふ裏山をいつも持つ 流火」
平成18年(2006)津山市文化功労章授章 82歳
平成24年(2012)2月27日没 88歳