取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「塚」で検索した結果,160件の記事が見つかりました。

高塚大師堂(津山市山方字高塚地区)

4-18daishidou2.jpg

 空海の像を安置(建物の中に石仏2体あり)。苫津霊場18番札所。現在も巡礼されている。
高峪組と神田組が合同で毎年7月上旬頃、お籠もりと称してお供えをして焼香し、堂の前の広場で酒宴を開いている。(お堂内は葬蓮道具の保管場所にも利用されていた)(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月18日撮影)

高塚大師堂(津山市山方字高塚地区)の続きを読む

黒姫(黒目売)神社 (津山市東田辺地内)

4-18kuro4.jpg

 『黒姫神社』は、第16代仁徳天皇と美貌の「黒日売にかかわる物語」を秘めた神社である。付近には黒日売の生家、吉備の豪族「海部直」が住んでいたという『尼堤』『誰夫山』、または黒日売の墓といわれる塚もあり、終焉の地『打伏』がある。
仁徳天皇が黒日売の帰国の跡を尋ねて吉備の山方に行幸されたときの、御製に
「山県に蒔ける菘菜も吉備人と 共にし採めば楽しくもあるか」
天皇が都に帰るとき黒日売は
「倭方へに 往くは誰が夫隠り木の 下より延ひつつ 往くは誰が夫」と詠んだ。『古事記・美作鏡』
因みに黒目谷の東北に鷹妻山あり、鷹妻は「誰が夫」、黒目は「黒女」に通ずると。『苫田郡誌、郷土の歩み』
  神社は初め黒目売の住んでいたといわれる「黒目」にあったが、昭和40年代に昭和池の畔に移転された。

黒姫(黒目売)神社 (津山市東田辺地内)の続きを読む

出雲街道を歩こう会「新庄宿」(レポートその2)

shinjyo64.jpg

2016年10月22日(土)第7回出雲街道を歩こう会(主催:出雲街道新庄宿町づくりの会・出雲街道勝山宿の会)があり参加して来ました。レポートその2は、嵐ヶ乢~新庄宿までです。秋の日、暑くもなし寒くもなしのハイキング日和で、ワイワイガヤガヤ賑やかに歩いてきました。後鳥羽上皇旧跡では、地元の方が甘酒を用意して待っていてくださり感激でした。また、しだれ栗の木にはビックリでした。

出雲街道を歩こう会「新庄宿」(レポートその2)の続きを読む

耳地蔵(東一宮)

8.jpg

耳地蔵 津山市東一宮141-2
 大庄屋の中島孫左衛門は、朝鮮出陣中討ち取った敵兵の耳たぶを斬り戦功の証としたが、軍命によるとはいえまことに哀れなことなので帰国後ここに塚をつくり『耳地蔵』としてその霊を弔った。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年2月19日撮影)

耳地蔵(東一宮)の続きを読む

大庄屋中島家跡(東一宮)

cyojya5.jpg

大庄屋中島家跡 津山市東一宮(現中島遊園)
 ここは藩政時代の「大庄屋中島家累代の屋敷跡」である。初代中島孫左衛門は戦国の末期にここに住み、領主宇喜多氏に禄仕した。関ヶ原の戦いに敗れ宇喜多氏除封の後、武を捨て、営農に励み、森・松平両候のもとで大庄屋となり270年の間、その職を世襲し、農村の発展民利の増進の実を挙げ郷土繁栄の基礎を築いた。
 その担当地域は、一宮構と呼ばれ東一宮・西一宮・大田・籾保・上横野および下横野の6ヶ村で、ここが支配の中枢であった。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年2月19日撮影)

大庄屋中島家跡(東一宮)の続きを読む

旅するアート2016 オープニングイベント取材

アート11.jpg

2016年11月12日(土) 津山城跡(鶴山公園) 13:00 ~14:00 旅するアート2016 オープニングイベントに参加してきました。当日はお天気も良く、帽子が必要なくらいの日差しの中での創作落語でした。話が進むにつれて、やたらと津山の芸術文化に詳しい方だと思ったら、それもそのはず、高橋 直裕氏は元世田谷美術館学芸員でした。
 鍬形蕙斎の「江戸一目図」を前に話に興ずる長屋のご隠居と八五郎。描かれた風景や人物を流暢に講釈するご隠居に八五郎は舌を巻くが・・・。津山の絵師、飯塚竹斎。無名だった竹斎が晴れて津山城の襖絵を描くに至ったその訳とは・・・。津山ゆかりの絵師二人の物語。等々とても興味深く聞かせて頂きました。

旅するアート2016 オープニングイベント取材の続きを読む

浅野家と義士の寺 台雲山 花岳寺(かがくじ)

kagakuji2.jpg

花岳寺(かがくじ)は、兵庫県赤穂市加里屋にある曹洞宗の寺院で、歴代赤穂藩主の菩提寺。山号は台雲山(たいうんざん)。
播磨国赤穂藩・浅野家、永井家、森家歴代藩主の菩提寺であり、また、大石良雄の祖先が眠る大石家墓所、義士墓所がある。浅野家、赤穂義士に関する宝物を展示する宝物館、義士木像堂には、大石家代々の持仏・千手観音を祀り、四十七士の木像を安置する。
江戸時代初期の正保2年(1645年)、常陸国笠間藩より転封となった浅野長直公が浅野家菩提寺として創建した。元禄14年(1701年)、浅野長矩公による江戸城松之廊下での吉良義央に対する刃傷事件が起こり、浅野家は改易となった。翌、元禄15年(1702年)赤穂義士による吉良邸討ち入りが起きた。(赤穂事件)その後、赤穂藩には永井家が入り、宝永3年(1706年)には森家が赤穂藩主となり、花岳寺を菩提寺と定めた。赤穂義士37回忌にあたる元文4年(1739年)には境内に有志により義士墓が建立された。ここには遺髪が納められているとされる。また、宝暦2年(1752年)は赤穂義士50回忌にあたり、大石主税と幼な友達であった龍野の藩儒藤江熊陽(ふじえゆうよう)の撰による碑文が刻まれた忠義塚が建立された。明治維新後、赤穂城が解体され塩屋惣門が花岳寺の山門として移築されたとされる。現在山門は、赤穂市文化財に指定されている。(2016年5月5日撮影)

浅野家と義士の寺 台雲山 花岳寺(かがくじ)の続きを読む

第七回作州維新文庫所蔵展『収蔵作品展』新規収蔵品を主に

bunko12.jpg

2016年5月28日・29日(午前10時~午後3時)と津山市山下の旅館お多福で、幕末から明治にかけて作州で活躍した文人画家の展示があります。郷土の画家が描いた作品は見ごたえがありますよ。この機会にぜひどうぞ!
旅館「お多福」には、郷土の偉人・先人の遺墨や書簡など、多数の作品を収蔵する「作州維新文庫」があり、貴重な書画を中心として館内に展示保管されていま す。近年、「玉子かけごはん」で有名になった偉人岸田吟香の書や書簡、特に吟香が志士として活躍した青年時代をテーマとしての研究なども「作州維新文庫」 に収蔵されています。その他にも津山藩御抱絵師狩野家の人々の作品など多数が収蔵されています
旅館「お多福」(0868)23-0125 (旅館お多福所蔵、作州維新文庫」より)

第七回作州維新文庫所蔵展『収蔵作品展』新規収蔵品を主にの続きを読む

藤和田神社(王子大権現・車戸神社)久米町(領家)

14.jpg

藤和田神社(領家)
祭神は、伊弉諾命・菅原神・天穂日命である。
此の社は正暦4(993)年8月、近江國犬上郡多賀村に鎮座の多賀神社の 分霊を勧請したものであるので祭神は多賀神社と同一の神であるはずであって「かれ、其の伊邪那岐大神は、淡海の多賀になもまします。」(古事記上巻)と あって多賀神社の祭神は伊邪那岐大神であるので、藤和田神社の祭神は当然伊邪那岐命であることは申すまでもないことである。

藤和田神社(王子大権現・車戸神社)久米町(領家)の続きを読む

真福寺(勝間田)の大銀杏

katsumada13.jpg

岡山県勝田郡勝央町勝間田647 真福寺

弘仁五年、僧空海開基と伝え、美作の国間山に、天長年間、仁海常上人がこれを開山した。天文年間戦火により消失す。
その後、勝北町平村に再建せしも再び火災に遭い、天正十六年(一五八八)勝間田の住人(福田玄蕃勝昌の子孫)福田左兵衛門氏が勝間田西方の田地の寄進あり、 正保年間、快養和尚が再建、天明二年(一七八二)自盈和尚本堂を再建、嵯峨大覚寺末寺となる。
戦後昭和二十四年高野山真言宗となり記念事業とし当山第二十一世全戒和尚により鐘楼堂を建立現在に至る。(高野山真言宗 美作八十八ヶ所霊場HPより抜粋)2014年11月16日取材

真福寺(勝間田)の大銀杏の続きを読む