真福寺(勝間田)の大銀杏

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岡山県勝田郡勝央町勝間田647 真福寺

弘仁五年、僧空海開基と伝え、美作の国間山に、天長年間、仁海常上人がこれを開山した。天文年間戦火により消失す。
その後、勝北町平村に再建せしも再び火災に遭い、天正十六年(一五八八)勝間田の住人(福田玄蕃勝昌の子孫)福田左兵衛門氏が勝間田西方の田地の寄進あり、 正保年間、快養和尚が再建、天明二年(一七八二)自盈和尚本堂を再建、嵯峨大覚寺末寺となる。
戦後昭和二十四年高野山真言宗となり記念事業とし当山第二十一世全戒和尚により鐘楼堂を建立現在に至る。(高野山真言宗 美作八十八ヶ所霊場HPより抜粋)2014年11月16日取材

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境内

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『蛙なく春はくれども銀杏木の梢にひかる白雪の花 明治元年 出雲井民部』という石碑

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刳抜式家形石棺(くりぬきしきいえがたせっかん)
作陽誌によれば間山(はしたやま)より発掘されたと記されている。間山付近には、四世紀の岡高塚前方後円墳をはじめ多くの古墳が存在している。家形石棺は長い箱型のつくりにふたが屋根のようになっているものであるが、この石棺のふたは紛失して現在は残っていない。

(大きさ)高さ49.5m、横幅80cm、縦149cm(勝央町文化財保護委員会)案内板より

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鐘楼

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本堂

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国道179号線からも良く見えます。

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一面のイチョウの葉のジュータン