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取材記事内を検索ワード「津山市」で検索した結果,1565件の記事が見つかりました。

天台宗 長寿山 石山寺のつつじ

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 森忠政が津山城の築城に際し、石垣に使用する石材の切り出しをこの地にて行いましたが、事故などが少なくありませんでした。そのため、家臣に命じて摩利支天を勧進し、お祭りしました。それ以来、庶民の祈願所として崇敬され、石山摩利支天として今日に至っています。
  この間、元真嶋郡(現・落合町)にあった極教寺を津山市山方の古観音寺に再興し極教寺とした寺と、明治43年に旭町の南光寺と石山摩利支天堂を合併し、大 谷の現在地に極教寺を移転しました。しかし近くに極楽寺という寺があり混同されることもあったため、昭和12年に寺名を今日の「石山寺」と改称しました。(2009年の取材はこちら)(2009年の紅葉2010年の桜)2015年4月12日取材

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津山城(鶴山公園)観月と邦楽の夕べ

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2015年9月27日(日)18:30~20:30、鶴山公園動物園跡にて入場無料で「観月と邦楽の夕べ」がありました。日本舞踊から、歌、津山情緒保存会による津山民謡などが披露されました。今回初のイベント「石垣を彩る観月と邦楽の夕べ !」がありとても楽しめました。また、お茶席もあり、お団子いただきながら深まりゆく秋を堪能しました。

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サムハラ神社(加茂町中原)

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 織田信長の安土城が出来た年である天正9年(1581年)今の津山市加茂町中原にある日詰山に築かれた落合城に羽柴秀吉の家臣木下備中守宮部善祥が駐留していました。
落合城 http://www.hb.pei.jp/shiro/mimasaka/ochiai-jyo/
落合城にサムハラと神字で書かれた石碑がありました。
その石碑を拝み、その神字を紙などに写して身に付けた武者は矢や鉄砲の弾が当たらないということで熱心に拝まれており、さらには災厄除けとして拝まれていました。
 
その後本能寺の変で織田信長は世を去り、羽柴秀吉は豊臣秀吉となり太閤となり、さらには関ヶ原の戦いで徳川の天下となり江戸時代が1868年まで続きます。その300年間もサムハラの護符は地元の人々に信奉されていました。

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300年の歴史を誇る「多胡本家酒造場」

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津山市楢」で三百年の伝統を築いてきたのが「多胡本家酒造場」です。(取材2015年9月15日)
 かつて楢村は江戸時代に陸と河川交通の要衝の地として川湊が発達し、吉井川流域の物資を運搬していた高瀬舟の終着点で、米の集散地でした。往時の面影は津山百景に選ばれた常夜灯と、その下の川面に係留された高瀬舟のある風景からしのぶことができます。
 多胡本家酒造場の「加茂五葉」は全国でも屈指の好適米「山田錦」と岡山県産「日本晴」を主な原料米とし、中国山地の秀峰、那岐山麓から流れる加茂川の伏流水を汲み上げ、それに熟練の名杜氏や蔵人たちの技とこころが加味された銘品です。(文:多胡本家酒造場HPより一部抜粋)

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アルネが出来る前の五番街附近

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五番街附近でアルネが出来る前の写真をお借りしました。
 五番街の名前の由来は、なんと、高橋真理子が歌った「五番街のマリー」から名づけられたのだそうです。なんで二番街、三番街、四番街がないのか?といつも不思議に思っていた謎が解決しました。
(写真提供:中山須美子さん)

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昭和30年代の小田中田中の様子

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昭和30年代のラジオ体操の写真を岩本敏さんにお借りしました。(ここは旧出雲街道です。)


【夏休みには毎朝ラジオ体操】60年前の思い出〜2〜
 昭和30年、1955年の夏。私は小学校2年生。あの頃の小学生なら誰でもラジオ体操の経験があると思います。今の子どもたちは、ラジオ体操ができるのでしょうか? 私は今でもラジオ体操、覚えています。第一と第二、両方できます。
 夏休みの早朝は、町内の子どもに親も加わって、ラジオの放送に合わせて皆で体操をしたものです。写真は、私の住んでいた津山市小田中の町内ラジオ体操風景です。懐かしい顔が並んでいます。(文:岩本敏さん)

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『クルマと過ごす日々』~元マツダデザイナー・中島美樹夫が描くクルマの作品展~

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『クルマと過ごす日々』~元マツダデザイナー・中島美樹夫が描くクルマの作品展~
〇開催期間2015年9月5日(土)~2015年12月27日(日)
第1期:『家族の思い出』9月5日(土)~10月4日(日)
第2期:『少年の夢』10月10日(土)~11月15日(日)
第3期:『デザイナーの記憶』11月21日(土)~12月27日(日)
※中島美樹夫ギャラリートーク:12月5日(土)12:30~14:00
〇入館料:500円(2F棟方志功常設展もご覧になれます。)
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盆踊り大会と仏送り(西小学校)

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2015年8月15日(土)午後5時30分~9時に津山市立西小学校校庭で津山西スポーツ少年団主催の盆踊り大会(仏送り)があり行って来ました。この日は鶴丸桜太鼓による演奏やHIP-HOPダンス、やきそば・たこ焼き・炭焼きを買った人には、豪華賞品の当たる抽選会、保護者の方が出されている夜店も出てとても賑やかでした。

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金毘羅神社(大手町)

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 当初、森家の重臣赤座主殿の屋敷神として城内にあったが、明治5年(1872)2月に、城内から京町に移され、現在は町内神として杷られている。
 河川や海上安全を祈念する金毘羅神社は、吉井川の高瀬舟運行関係に従事した人々の信仰を集め、特に「金」の文字が付くことから商売繁盛の神としても信仰されている。
2015年4月14日取材

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行啓道路(津山市山下)

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 津山警察署前約半丁許の處より、東方鶴山城址櫻の馬場に直通坂路、長百四拾三間五分・巾三間の改修道路は大正15年5月23日津山城址に行啓あらさらるる 東宮殿下奉迎のため津山町が熱誠を捧げ工費約五千圓を投じ(同年4月10日起工・同4月30日竣工)修築したるものにして、行啓の當日、生徒児童並びに一般拝観者は該道の両側及び其の付近に於いて謹んで拝観の光栄に浴することを得たり。故に人呼んでこれを行啓道路云ふ實に宜なりといふべし。因に道路改修以前は、奮城の周濠を田地となせし水田にて奮郡役所の北方は一段高き土堤の上に数軒駢列せる住宅ありしを撤去せしめ其の地を掘り下げ、以って水田を埋め田町より直線の新道を開設せしものなり。

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