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取材記事内を検索ワード「芸術」で検索した結果,147件の記事が見つかりました。

保田扶佐子美術館 第4回特別展

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第4回 保田扶佐子美術館 特別展(ポートレートギャクシー)が2013年9月21日(土)~10月6日(日)午前10時~午後5時(期間中は毎日開催)まで開催されます。津山+バルセロナ+東京 ポートレートの異才=蛭田(ヒルタ)有一氏の賛助出品。
※その他、貴重な世界初の実用的写真技法ダゲレオタイプ(銀板写真)をはじめ、写真に関する本なども展示しております。(2013年9月21日取材)保田扶佐子美術館

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【津山人】国画会会員の画家 植月正紀さん

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津山市在住の国画会会員の画家植月正紀さん(76)は、昭和39年の国展入選を皮切りに中央画壇で活躍。(国展審査員歴40年以上続けておられます。)2010年にはスペインにある芸術家審査機関・AMSC(アートメゾン美術評論家選考委員会)が選出する最も評価すべき芸術家の一人として、「スペイン顕彰賞」を受賞したり、2012年フランス芸術委員会・評議員からフランス芸術最高勲章受賞、イタリア・ローマグレゴリアン大学名誉作家やキューバ芸術文化名誉大使に認定されるなど、海外からの評価が高い。(2013年4月9日取材) 2013年7月10日~植月正紀絵画展(喜寿記念展)はこちらをご覧ください。

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「えとあーと」年賀状は暖かい心なごむ作品でした。

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えとあーと受賞年賀状(つやま芸術祭推進委主催)が2013年3月2日~10日まで、市立図書館前に展示してあります。(2013.3.3)

2002年、午年に開催された年賀状展示「えとあーと」は、巳年の今年で干支一回りします。えとあーと大正、十二支賞、年賀ことば賞、ユニーク賞など、歴代の受賞年賀状を展示。沢山のユニークな年賀状や、ほのぼのした作品、勢いのある作品、やさしい作品などなど、見ていて心なごむものばかりでした。年賀状審査:北川フラム(アートディレクター)太田三郎(美術家)

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北川フラム講演会(えとあーと12年、地域文化の現在)

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つやま芸術祭・えとあーと 北川フラム講演会が2013年3月3日(日)13:00~津山市立図書館視聴覚室で行われました。

今年で12年目を迎え、干支が一回りする「えとあーと」。この事業の企画立案者・審査員であり、「大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ」やもうすぐ開催される「瀬戸内国際芸術祭」をはじめ、里山・都市・海と島など、様々な背景をもつ地域でアート事業を手がける北川フラム氏が、全国の事例から地域文化の現在について語られました。(2013.3.3)

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「秋の風の音ミニコンサート!」は美しい調べでした。

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▲2012年11月4日(日)14時~ 鏡野ペスタロッチ夢ホールにおいて、秋の風の音コンサートが開かれました。誰かが「やさしい、澄んだ音色で、背中を撫でられているようね。」と言っていました。聞こえてきた音は、本当に優しく、演奏される方の心が澄んでいるからだろうなと感じたコンサートでした。(情報提供:風の音コンサート岡山・津山)

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保田扶佐子美術館2012年特別展

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保田扶佐子美術館2012年特別展が7月21日(土)~9月30日(日)まで展示。(保田扶佐子美術館)
 2012年7月21日(土)~スペインのバルセロナ地方の珍しい絵本と19世紀末から20世紀中頃までの古い絵はがき等を展示いたします。※尚7月7日(土)・8日(日)、7月14日(土)・15日(日)の両日は勝手ながら閉館とさせていただきます。
 スペイン・バルセロナ地方の庶民が、細やかな感性で、心豊かに過ごしていた時代の色とりどり絵ハガキ等、見ていて楽しいものが満載!ご期待ください。(2012年7月5日(木)取材)


2010年の取材2009年の取材

保田扶佐子美術館/開館時間10:00am~5:00pm
開館日 土曜日・日曜日/観覧料 無料

《保田扶佐子プロフィール》抽象画家・版画家

1942年10月20日。岡山県津山市に生まれる。1981年よりスペイン・バルセロナを拠点に活動する。個展、グループ展多数。絵画、版画のほか、多くのアーティストブックで画家、詩人、作曲家たちと共同制作している。現在はバルセロナと日本を往復しながら活動中。

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在りし日の津山の風景

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「在りし日の津山の風景」絵葉書で往時を振り返る(2012年6月14日取材)
津山市瓜生原出身で岡山市在住の赤坂健太郎さん所有の絵葉書や津山市の地図、観光パンフレットなど多数が展示されていました。
2012年5月29日~6月24日まで城西浪漫館2階展示室。入場無料!

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第32回津山市医師会美術展

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2012年2月23日~27日まで、アルネ津山文化展示ホール4階にて第32回津山市医師会美術展が開催されております。朝早くからかけつけたファンが作品の一つひとつを熱心にご覧になっておられました。また、会場内には可愛いお母さんが子どもに寄せる愛情たっぷりのカリグラフィーやその他、色とりどりの芸術の花が咲いていましたよ。(2012年2月23日取材)

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ピカソも応援!絵を聞き、音楽を描く、保田扶佐子美術館

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▲熱心に、ピカソのDVDを見ながら、静かに音楽を聞く犬がいました。(2011.年9月10日(土)取材)

ピカソが実際に描く絵の速度が見え、大変興味深いDVDでした。また、バッグラウンドミュージックには、展示中の円形の楽譜を演奏したものがかかっていましたよ!皆さんも一度聞いて、観て、感じてください!オススメです。(2009年10月の取材の様子)(2011年8月の取材


メストレス クワドレニ ヴィジュアル音楽展
開催期間 9月3日(土)~10月2日(日) 10:00am~5:00pm(土日のみ)
第8回津山国際総合音楽祭期間9月17日(土)から9月25日(日)は、毎日開館
観覧料 無料

 本展はスペイン バルセロナ出身の現代音楽の作曲家メストレス クワドレニ(J.M.MESTRES QUADRENY)のヴィジュアル音楽展(いわゆる楽譜展)でヴィジュアル音楽を日本で初めて本格的に紹介する展覧会です。
 ユニークで独創性あふれる楽譜は、その常識を覆すもので、そのうちの円形楽譜のCDを会場で聞いていただけます。また著作、アーティストブックなどの展示もしております。メストレス クワドレニは現在スペイン、ヨーロッパで現代音楽をリードしている最も優れた重要な作曲家です。彼は化学者ですが、平行してクラシック音楽を修めているうちに、新しい分野を開拓しなければならないと感じ、現代音楽にまっすぐつき進みました。作品はピアノソナタから映画音楽まで幅広く200曲を超えます。そしてシェーンベルク(SCHONBERG)、ジョン ケイジ(JHON CAGE)、またミロ(JOAN MIRO)、タピエス(ANTONI TAPIES)、ジュアン ブロッサ(JOAN BROSSA)等、現代音楽の端緒を開いた音楽家、造形芸術家や詩人たちと出会い、共同で数多くの素晴らしい仕事をしています。保田扶佐子、バルセロナの画家ルイス ペッサ(LUISE PESSA)ともアーティストブックを作成しています。
日本ではきわめて珍しい展覧会です。この機会をお見逃しなく、ぜひご来館ください。
(この展覧会を、芸術をこよなく愛した、故河田侃久氏に捧げます。)

第8回津山国際総合音楽祭協賛

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津山人「全日空を創った 美土路昌一氏」

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津山市一宮の本光寺参道の前の小路を上がってゆくと美土路昌一氏の墓があり、横には碑が建っている。右上には「言論自由の語は之を守る為め死を辞せざる者のみ言い得る言葉なり」とあり、下方には「この夏は越せそうも無き米寿かな」とある。後者は死の三日前の絶筆である。

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↑2015年12月7日現在は先祖代々の墓地で静かに眠っておられます。

(美土路昌一氏は明治19年7月16日中山神社の社家の一軒で生まれた。)

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美土路家(現津山高校100周年記念館)の前の津高の門を入ってすぐ、よく伸びた二本の松がある。これは、はじめて空を飛んだライト兄弟の飛行場の松の種をもらって、母校の庭に寄付して植えたもの。

よく言っていた言葉「一歩退って人に接せよ」、「何ごとも、まず相手のことを考えよ」、「水流先を争わず」文:津山市文化協会「津山の人物」より)


 「現在窮乏、将来有望」これは津山市出身で市の名誉市民 美土(みど)路(ろ) 昌一(ますいち)氏が全日本空輸(ANA)の前身である「日本ヘリコプター輸送株式会社」創立時に掲げたスローガンです。

1886年(明治19年)、苫田郡一宮村(現:津山市一宮)で生まれた美土路 昌一氏は、旧制津山中学を卒業後、文学を志し早稲田大学文学に入学されました。苦学の中、文学の道を断念され大学を中退後、朝日新聞社に入社されました。

 入社後は第一次世界大戦(青島戦)に従軍されたほか、上海、ニューヨーク特派員を経た後、編集局長として神風号による東京‐ロンドン間の記録飛行を成功に導くなどの活躍をされました。
 その後、日本は戦火の渦に突入しますが、戦中、編集局長、常務取締役と朝日新聞社の要職にあった美土路氏は言論の弾圧にさらされます。

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