【津山人】白石 靖さん(バンブークラフト アーティスト)

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昭和60年(1985)の年賀郵便切手にも使用された竹細工の作州牛、その作州牛を作る白石靖(きよし)さんをお尋ねしてきました。「16歳の時に父親を助けようと思い、家業の竹細工の見習いを始め、約3年の修行を経て昭和32年父親と一緒に試行錯誤しながら考案した作州牛が今では津山の代表的な郷土玩具と言われるようになった。」そうです。(2014年3月11日取材。)

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津山民芸社の玄関

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店内は竹細工で溢れております。          大きな金のなる木に花が咲いています。

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可愛い津山の民芸品も飾られております。

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奥の作業場には全国から集められた民芸品がいっぱい飾られております。

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全国の竹の民芸品が飾られています。


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切手にもなった作州牛と白石靖さん

兄:ー陶芸家ーの白石齊(ひとし)さん、兄:ー俳句ー白石哲さんと芸術一家である。

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白石靖さんが手がけた竹細工

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白石靖さんが手がけた竹細工

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白石靖さんが手がけた竹細工


白石 靖(きよし)さんプロフィール

1938年(昭和13年)津山市田町生まれ。

1954年(昭和29年)家業の竹細工の見習いを始めました。

1957年(昭和32年)作州牛を生み出した。

1958年(昭和33年)に津山の地に「津山民芸社」を立ち上げた。

1962年(昭和37年)の岡山国体で岡山県を訪れた昭和天皇が現皇太子様へのお土産に購入されたのがこの作州牛です。

1985年(昭和60年)の年賀郵便切手にも使用されました。

受賞作品

竹玩具は日本民芸展奨励賞や全国郷土民芸品審査会ほか多数受賞。


津山の竹細工の歴史は?
明治維新から大正時代に掛けて全国各地で産業興しが行われ、津山でも製糸や番傘、竹細工などの産業が盛んになりました。その中で竹細工は、昭和初期から終戦に掛けて大分と肩を並べるほどの産地になり、約20社が竹細工を製造するまでに発展しました。津山の竹細工の特徴は、大分の竹細工のように竹を編むのではなく、竹を切ったものに穴を開けてつなぎ合わせて作られます。最盛期には日本の竹製の蛇や機関銃のおもちゃの8割が津山で作られていたんですよ。また、昭和6年の小学校の郷土副読本には津山の産業として①製糸②チェン製造③竹細工が挙げられており、竹細工は津山の重要な産業に位付けられるまでになったのです。
そういった終戦までの津山の竹細工の伝統があったからこそ、作州牛も生み出すことができたのだと思っています。(広報つやま2008年12月号より)


竹細工 作州牛
 和銅6年(713年)に、備前国六郡を割いて美作国が設けられましたが、以来津山は美作国の政治・経済・文化の中心地として今日まで栄えてきました。
こうした長い歴史と文化を持つ津山を中心とした美作地方一帯はまた、古くより牛の飼育が盛んな地としても知られており、牛は農作業になくてはならないものとして家族同様にかわいがられ大切にされておりました。市内一宮にある中山神社は「今昔物語」にでてくる"猿退治"の神社として有名ですが、牛の神様としても知られ明治時代ごろまでは境内で牛市が開かれ、各種の店が門前に並ぶなど大変なにぎわいを見せておりました。ここで売買された牛は、畿内の牛市場に送られ、大変もてはやされていたことが古文書に書き残されております。作州の牛が神牛の血を引いているといわれ、強くかしこい牛であったため、役牛として重宝がられたためであるといわれております。このように作州の牛は古くより"働き牛"として、広くその名が知られ農作業の主役として全国各地で活躍していました。
幕末以来、役牛と共に出でては「神戸牛」「松坂牛」ともてはやされる肉牛を流通市場に送り出し現在でも"味なら絶対どこにもまけない"と云う岡山県の藤良系和牛として好評を博しております。この大型の「こっとい牛」が中国山地各所で開かれた「牛市」の参集する姿をかたどった玩具が、民芸品の「作州牛」であります。この民芸玩具の特長は、単純で美しく、しかも竹材の特質が良く生かされているということにあります。いわば最も民芸的な特長を備えているといっても良く、今や岡山県を代表する民芸玩具として評価されております。
「作州牛」という優れた竹製玩具が生まれ、高い評価を受けるに至った背景には、前述したような牛を大切にする風土があったこと、そして津山が古くから竹細工の伝統を持ち、かつて九州大分と勢力を二分する竹細工の産地であったことと無縁ではありません。私たちは郷土民芸玩具「作州牛」を広く全国の皆さんに知っていただきたいと、日夜努力しているところであります。

昭和37年岡山国体に際しては、天皇皇后両陛下の御目にとまり御孫浩宮様へのおみやげとして、昭和42年植樹祭に於て後楽園、湯原温泉など各地で再三の御買上の栄を賜わり昭和51年岡山インターハイに際しては皇太子殿下美智子殿下浩宮様に郷土民芸品の実演の栄に浴しました。
昭和60年(丑年)年賀記念切手牛の図柄入り年賀ハガキ(中国地方版)のデザインに採用された。(資料提供:白石 靖さん)