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取材記事内を検索ワード「地蔵」で検索した結果,186件の記事が見つかりました。

かって江戸城にあった 紅葉山東照宮 御簾(みす)

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かつて江戸城内にあった東照宮を飾った豪華な御簾
紅葉山東照宮 御簾
享保21年(1736)以前の作 竹・緞子・金工の組合せ
 紅葉山東照宮の神前に掛けられていた御簾。簾の中でも高級なものは、特別に御簾と呼びます。細い竹ひごを編み、周囲が緞子(地が厚くて文様をあしらった光沢のある絹織物)でふちどられ、三葉葵紋の金具や織模様が多数あります。上部には紐の長い房が2か所に取り付けられ、その紐には鉤(簾を巻き上げた時に引っ掛けて止めておく金具)が付いています。最上部には、中央の日輪をはさんで左右に龍・麒麟・天馬・獅子の飾り金具が配置され、全体として非常に豪華な作りです。初代将軍であり「神君」とも呼ばれて徳川家の守り神とされた家康を祀る社殿を飾るのにふさわしい仕様とデザインで、かつての徳川将軍家の絶大な権威を思い起こさせます。
 付属の由緒書によると、享保21年(1736)に浅草寺伝法院を経て美作一宮の中山神社神職美土路家が拝領し、同家に伝来したものです。(文:津山郷土博物館より)2014.7.31取材

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作東高野山 摩尼院 法輪寺(美作市大聖寺)

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 天平年間に、行基菩薩が開創され、弘法大師も弘仁年間に巡錫されたと伝えられています。昔は五社明神の別当寺として、神社の近くにありましたが、天保5年現在地に移りました。
昭和28年、現在の本堂落成の際、高野山から、作東高野山摩尼院の称号を頂き、爾来檀信徒皆様の篤いご信心によって、山容が整いました。(文:高野山真言宗 美作八十八ヶ所霊場HPより)2014年6月24日取材

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八神三宝荒神社(津山市河辺)

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⑥八神三宝荒神社
 この神社は、昔国分寺奥の院に至る道沿い(地蔵谷)にまつられていた八体の神様が、まとめられおまつりされています。
 昭和初期の姫新線開通頃までは、今の場所より数百メートル西の八神地区(立花団地付近)にまつられていたそうです。
 地蔵谷・国分寺奥の院跡は、現在山道は通行不可能と思われます。
国分寺奥の院は愛宕神社の山の南側(河辺と反対側)に位置し、木立の中に石積みがわずかに残っています。

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北向地蔵菩薩(津山市河辺)

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⑩北向地蔵菩薩
 北向き地蔵菩薩は、勝南霊場八十番に指定されており、社は小さいが有名なお地蔵様で、北を向いている所から、今の呼び名となっています。
 今は合格祈願等でお参りされていますが、以前は疣(いぼ)・できもの取りの祈願がされていたそうです。特に子供におかげがあるそうで、素朴な地蔵がまつられています。
 北に向かってまつられていることが、とてもめづらしいそうです。

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六体地蔵(津山市川崎字玉琳)

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津山市川崎字玉琳 神経痛、リュウマチなどに御利益があるといわれている。
墓地の入り口に立つ地蔵石仏、地蔵は六道の救済者とせられ、死後の救いの手として墓地の墓守役として信仰さられている。葬式はもちろん墓参りの時にも必ずまいるが、法華宗や真宗の所には見られない。
六体地蔵は檀陀、宝珠、宝印、持地、徐蓋障、日光の六体の称。

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塞ノ神社(津山市野介代)

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塞の神の長い民間信仰の歴史の過程によって機能は複雑となり、色々な附会された伝承が各地域で受け継がれ、また他の神々と習合され、幸せや金運を授けてく れる神というような現実的な人生の希望を託す信仰にもなっている。岡山県下の塞の神は祠が多く、中北部で、咳、耳、脚の神とされ、塞の神にはその他、縁結 びの神、和合神、性神、道路の神、交通安全の神などさまざまの信仰や形態がある。(2014年5月14日取材)

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お地蔵様(津山市河辺)

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⑪お地蔵様
 このお地蔵様のいわれははっきりしませんが、子供に恵まれない女性が、おまいりしていたそうです。
 最初一体のお地蔵様がまつられていたそうですが、おまいりして子供を授かった人が、新しいお地蔵様を奉納し、数が増えたのではないかということです。
また脇には、小さな子供と思われるお地蔵様もまつられています。
 今は屋根が建てられていますが、昔は無かったそうです。

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高野山真言宗 田口山 引乗寺(津山市上田邑)

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縁起、本尊の阿弥陀如来は遠く千四百余年の昔、佛教伝来の砌り、百済の聖明王献じた佛像を蘇我蝙蝠の臣に賜いしものと作陽誌等の古文書に記す。蝙蝠の臣蘇我を改 めて田口氏と為し、貞観年中美作の地上田邑に寺院を建立、阿弥陀寺と号す。正平十八年、田口薩摩守光政によって堂宇の修造が加えられ、光政亡き後、姓氏を 以って田口山とし、法名引乗寺殿を以って寺号改む。永禄年間、戦乱の災に本尊阿弥陀如来損傷を被る。故に像現本尊の肚腹内に蔵すと伝う。(美作八十八ヶ所霊場HPより)

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大日如来と古道(下高倉西)

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 宮城野善平の墓すぐ傍に昔からある古い道がある。そこを少し上ると大日如来の石碑とともに、六地蔵がある。ここは散らばっていた石碑や六地蔵を集めた処ではないかとのことでした。そこを更に登っていくと堀内六郎衛門の墓へと続く道。2013.12.11取材

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