お地蔵様(津山市河辺)
⑪お地蔵様
このお地蔵様のいわれははっきりしませんが、子供に恵まれない女性が、おまいりしていたそうです。
最初一体のお地蔵様がまつられていたそうですが、おまいりして子供を授かった人が、新しいお地蔵様を奉納し、数が増えたのではないかということです。
また脇には、小さな子供と思われるお地蔵様もまつられています。
今は屋根が建てられていますが、昔は無かったそうです。
⑪お地蔵様
このお地蔵様のいわれははっきりしませんが、子供に恵まれない女性が、おまいりしていたそうです。
最初一体のお地蔵様がまつられていたそうですが、おまいりして子供を授かった人が、新しいお地蔵様を奉納し、数が増えたのではないかということです。
また脇には、小さな子供と思われるお地蔵様もまつられています。
今は屋根が建てられていますが、昔は無かったそうです。
建立者の札はあるが、このお寺はまだ説明がない。
(2013.6.14取材)
縁起、本尊の阿弥陀如来は遠く千四百余年の昔、佛教伝来の砌り、百済の聖明王献じた佛像を蘇我蝙蝠の臣に賜いしものと作陽誌等の古文書に記す。蝙蝠の臣蘇我を改 めて田口氏と為し、貞観年中美作の地上田邑に寺院を建立、阿弥陀寺と号す。正平十八年、田口薩摩守光政によって堂宇の修造が加えられ、光政亡き後、姓氏を 以って田口山とし、法名引乗寺殿を以って寺号改む。永禄年間、戦乱の災に本尊阿弥陀如来損傷を被る。故に像現本尊の肚腹内に蔵すと伝う。(美作八十八ヶ所霊場HPより)
宮城野善平の墓すぐ傍に昔からある古い道がある。そこを少し上ると大日如来の石碑とともに、六地蔵がある。ここは散らばっていた石碑や六地蔵を集めた処ではないかとのことでした。そこを更に登っていくと堀内六郎衛門の墓へと続く道。2013.12.11取材
美作国ミステリースポットとして紹介されている中の【名勝不動滝】
下流にある女滝に対して、男滝ともいいますが、近くに不動さまを祭っていますので、不動滝とよんでいます。
元禄二年(1689年)の記録によると、滝は高さ(約40メートル)滝壺横(約35メートル)、縦(約27メートル)あり、深さは水の勢いが強くて測れなかったということです。
飛び散るしぶきと冷気には、夏の暑さを忘れさせ、紅葉の秋もまたすばらしい。この滝には、恋しい人を求めて飛び込んだという、お姫さまの伝説もあり、旧暦の六月一日には、その霊をなぐさめる滝祭りがあります。新庄村 (案内板より 2013年12月8日取材)
泣清水の碑(美作国theミステリーの中で紹介されているミステリースポット)
この南に昔水田があり、東西に流れ落ちる水音が哀調をおびていたので、この地を泣清水と呼んだ。伝説に、父の仇討を首尾よく果たした清水鶴と亀の孝女姉妹が住んでいた哀愁の地。更に勝間田の「お花」が津山城下に赴く時、最後の別れを泣いて惜しんだ悲哀の地でもある。(2013年12月3日碑より)
上村朝吉神社(上村字王子屋敷)祭神 下照姫命御旅所。
字キロロ659番地の野に在り「明治五年九月十六日朝吉神社御輿、始メテ此ノ地ニ渡り爾後、御旅所ト称ス」と神社誌にある。
祭礼は昔、加茂郷の五社の一社として鴨神社(現西加茂神社)を中心に烏居野(中村)に神幸したしたと伝えられ、明治五年に神輿を新調しキロロ野を神幸行を神幸したと伝えられ、明治五年に神輿を新調しキロロ野を神幸行事を復活して現在に至っている。
第11回おかやま県民文化祭地域フェスティバル「美つくりの里・旅するアート2013」が、2013年9月28日(土)~10月20日(日)午前10時~午後5時 岡山県津山市 衆楽園・美作大学・周辺エリア店舗等にて開催されています!"美つくりの里・旅するアート2013"の「旅」のテーマは「時間旅行」。エリアを巡り、過去と未来・地域と世界の交流に、思いを馳せて。
主催:美つくりの里・旅するアート実行委員会、岡山県、おかやま県民文化祭実行委員会(文:美つくりの里・旅するアートHPより抜粋)2013年9月29日取材
地蔵院をお尋ねして谷崎潤一郎さんが、一時疎開していたという「宕々庵」(とうとうあん)のことをお聞きしてみましたが、もはや、写真も資料もないとのことで残念でした。今は、影も形もありませんが、地蔵院内にある愛山廟の前にダンジリ庫が建っているところにあったそうです。写真からうっすらわかるでしょうか?この写真は得能さんからお借りしたものです。記録では、庭には梅とつつじ、キリシマが植えられていたそうです。
誰か写真をお持ちではないですか?(2012.6.20)取材、前回の取材はこちら
本神社は元弘元年(1331)3月、筑前糟屋郡の宗瀰神社の御分霊を加茂川の西岸に祀ったのが創りである。 貞享2年(1685)津山城主森長継が人家を現在の山麓に移住させた時、現社地に遷し、鶴山城東方の守護神、林田郷の二宮として尊崇した。もと、子安八 幡・弓矢八幡宮と称した。明治4年八幡神社と改称し、同6年村社に列した。明治42年7月、金田神社を合祀した。昭和12年1月神饌幣帛料供進神社に指定 せられた。御祭神:息長帶比賣命(2013.1.3)(文:岡山県神社庁より)