四国八十八ケ所霊場巡拝<第25番~第30番>
2016年10月26日・27日に津山市河面にある墨池山 清龍寺さんの四国八十八ヶ所霊場巡拝、第18番札所~第30番札所まで(一泊二日)に参加させていただきました。その時の様子をまとめてみました。今回は第25番~第30番までをご紹介します。
2016年10月26日・27日に津山市河面にある墨池山 清龍寺さんの四国八十八ヶ所霊場巡拝、第18番札所~第30番札所まで(一泊二日)に参加させていただきました。その時の様子をまとめてみました。今回は第25番~第30番までをご紹介します。
2016年10月26日・27日に津山市河面にある墨池山 清龍寺さんの四国八十八ヶ所霊場巡拝(四国を一周ぐるりと囲むように点在する弘法大師空海ゆかりの八十八の札所寺院)、初回は第18番札所~第30番札所まで(一泊二日)に参加させていただきました。その時の様子をまとめてみました。今回は第18番~第24番までをご紹介します。
2017年6月15日、小田中浄水場の歴史や役割を、可愛い小学生と一緒に勉強してきました。
2017年4月『小田中浄水場』の浄水施設が大幅に新しくなりました。平成22年の計画着手から約6年の機関と30億円あまりの費用を投じ、施設の更新が完了しました。津山市の水道が創設された昭和9年に建設された小田中浄水場は、市の発展に合わせ幾度も拡張工事や改良工事を行ってきましたが、50年を経過し老朽化の著しい施設も存在し耐震性に問題があったことから大規模な施設の更新を行いました。
しっかりとした耐震性を備えて地震災害に強い施設にするとともに、夏場に時折発生するかび臭をより確実に取り除けるよう、大幅に能力を高めた「粉末活性炭」による脱臭処理施設を設けたことで、更に良質な水道水をお客様へお届けできるようになりました。(2015の取材の様子はこちらから)(2017年6月15日撮影)
津山市指定天然記念物 広戸神社境内の杉(勝北町大吉)
広戸神社の拝殿の前にある老杉で、目通周囲5.6m、根元周囲10.5m、樹高28.0m、推定樹齢500年、枝張りは東へ8m、北へ5m、西へ10m、南へ10m、広戸風の影響により北へ出た枝は特に短い。
天文2年(1533)出雲国富田城主尼子経久が作北の地に侵攻し、尼子の武将三好安芸守が、広戸弾正の立てこもる矢櫃城を攻めたとき、本社は兵火にかかり焼失した。戦勝した尼子氏は、広戸神社の社殿を新築し、社頭に杉・藤を植えて神慮を慰めたと伝えられ、そのとき植えられた杉が本樹で「尼子杉」と呼ばれている。
(文:勝北町の文化財と石造美術より抜粋)(2015年11月28日撮影)
中山の神は最初、英田郡楢原(美作町)に現れ、里人東内氏の奉仕を受け、次に苫田郡水無瀬川(一宮)の奥、泉水池に現れ、その後田辺の霧山に天降ったといわれる。里人有木氏の奉仕により霧山の磐座に鎮座された。永代鎮座の場所を定める目的で鵜の羽を流し、止まった所が「長良嶽」の麓の石で『羽留石』として今でも注連縄が張ってある。以後この川を「鵜羽川」といい『長良嶽の磐座』に鎮座した。
衆楽園 遠くに津山城天守 昭和11年撮影
1873年創業の江見写真館には三代目江見正(1890-1976)撮影の地域の歴史を記録するガラス乾板が多数保存されています。(写真、文:江見写真館提供)※写真は「津山瓦版」のみ使用可です。
衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。元禄11年(1698)に松平家が藩主となって以後幕末までは、家臣や他藩・他家からの使者を謁見するための「御対面所」、または藩主の隠居所の庭園として使われ、明治3年(1870)に「衆楽園」として命名されました。 衆楽園は津山城の北側(津山市山北)に位置しており、庭園は南北に長い敷地で、大半を池が占めています。別邸跡の古い建物群は現存せず、それらを再現した建物(余芳閣・迎賓館・風月軒ほか)が建っています。(津山城より)
七面大天女
七面大天女の総本山は山梨県南巨摩郡早川町にある七面敬慎院で摩尼殿に祀られている。日蓮宗の総本山 身延山 久遠寺の鎮守神、法華経の守護大善神として祀られた。
示現伝説に「日蓮聖人が高座石で説法中、若く美しい女性の姿で現れ、正体は龍で法華経を信じるすべての人々を守護するといい七面山の一の池に立ち去った」......永仁5年(1297)9月19日七面山に七面大明神として祀られた。示現伝説から七面大菩薩、七面大天女とも呼ばれ池の守護神としても崇敬されている。
徳川家康の側室養珠院 お万の方が元和5年(1619)に七面山に初登詣して女人禁制をといたといわれている。寛永17年(1640)にも再び七面山に登詣している。
津山への勧請は七面山妙徳庵の縁起によると、宝永3年(1706)6月4日、津山藩主松平宣富が江戸の七面明神を分祀して津山城内の厩(おんまや)濠の傍に勧請した。明治4年廃藩となり七面祠も廃社同様となった。
2017年6月2日・19日に津山市山北にある衆楽園に立ち寄ってきました。今年は5月の後半から気温がうなぎのぼりで6月に入れば夏真っ盛りの様です。衆楽園のスイレンの花も昨年に比べ随分と手入れされていて鯉の泳ぐ姿があちこちに見えました。また、加茂からスケッチに来ていた元気な子ども達に声をかけるとはきはきとした返事に嬉しくなりました。ここは何度来てもいいなぁ~と思います。(2016年の様子です)(2014年の様子です)(2012年の様子です)
2017年4月8日・9日、東寺真言宗別格本山 墨池山清瀧寺(津山市河面)本尊「二十七面千手先眼観世音菩薩」33年ぶりの御開帳、並びに開創1200年記念法開会が盛大に執り行われました。当日はあいにくの曇り空でしたが、僧侶の皆さん、檀家の皆さん、多くの稚児さん達も近くの公会堂から本堂までを練り歩きました。また、記念法開の後、午後からは大柴燈護摩法会(火渡り行)がありました。9:00~16:00まで本尊様開扉がなされ、多くの参列者が参拝しました。
東西一宮、高田、東苫田、西苫田地区430町歩の水田の灌漑用水確保のため、昭和3年県議会において承認され、昭和5年3月農林大臣より国庫補助の指令があり、耕地整理組合が設立され、昭和7年3月着工、昭和13年3月竣工した。総工費38万5千円。最高水深18m余。貯水量50万トン。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年3月20日・4月18日撮影)