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出雲街道を歩く(河辺から津山城下)

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第110回 文化財めぐり 特別展「行列を組む武士たち」関連事業として、出雲街道を歩く(河辺から津山城下)が、2016年10月29日(10時20分~)津山郷土博物館主催であり参加して来ました。津山藩主の参勤交代には出雲街道が使われています。今回は河辺から津山城下までの出雲街道を歩いてきました。
ルート 河辺バス停前→河辺上之町→兼田橋→川﨑→玉琳→東松原→古林田→荒神曲り・大曲り→宮川大橋→京橋門跡「文:津山郷土博物館作成の当日配付資料より抜粋」

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出雲街道を歩こう会「新庄宿」(レポートその1)

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2016年10月22日(土)第7回出雲街道を歩こう会(主催:出雲街道新庄宿町づくりの会・出雲街道勝山宿の会)があり参加して来ました。今回が出雲街道歩きは最終回とのお話で50名の定員を大幅に超える78名の参加がありました。10:30分受付を済ませ、新庄村ふれあいセンターで美味しい昼食を取った後、12:00バスにて乢根(たわね)まで行き、四十曲峠を超えて来ました。レポートその1は四十曲峠~嵐ヶ乢まで。

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第16回 勝田昔なつかし ひなまつり

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「第16回昔なつかしひなまつり」が真暁会館(灘屋旅館向い)であり行って来ましたよ~。江戸後期から現代に至るまでの沢山のお雛様や泥天神がずらりと並んでお出迎えしてくれました。一番古いものでは嘉永2年のものもあり全国から集めたといわれるだけあって珍しい人形やお雛様に感激しました。期間中はいつでもオープンだそうです。 4月1日(土)・2日(日)には記念イベント(お茶席・たい焼き・わた菓子・ポン菓子など)もあるそうです。また、取材させていただいた日にはあたたかい飲み物と茶菓子を頂きました。主催は本田義昭・勝田観光協会・真加部老人クラブ「真和会」です。(取材:2017年3月18日)

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2月グリーンヒルズで散歩

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2017年2月19日のグリーンヒルズの散歩の様子です。この木は斜めに立っています。いろんな人がこのイスに座りながらお弁当を広げたり、犬の散歩の途中に座っていたり、この木はそんな人々を眺めているんだろうなと思いながらグリーンヒルズをぐるりと回ってみました。また、近くには「津山市立みどりの丘保育所」もオープン、近くに植えてある桜の木々も大きくなると周辺も様変わりするのかなと思いました。清々しくも、まだまだ風は寒い日でした。

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【津山人】西東三鬼-俳句界の風雲児

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明治33(1900)年から昭和37(1962)年津山市南新座に生まれる。
 本名は齋藤敬直(さいとうけいちょく)。33歳の時、歯科医だった三鬼は患者達のすすめで俳句を始める。この時から使用したペンネームが「三鬼」で「サンキュー」をもじったものといわれている。
 35歳で代表作の「水枕ガバリと寒い海がある」を発表し新興俳句の有力な作家として認められたが、戦争一色となる社会情勢の中で、新興俳句は内容が革新的であることにより弾圧をうける。
 終戦後、俳句を再開した三鬼は、近代文学としての俳句の可能性を求め、俳句の復活を志した山口誓子とともに昭和23(1948年)「天狼」を創刊するなど俳句の復興に尽力。また、敗戦直後の混乱した時代に俳人が俳句で生計を立てていけるようにと現代俳句協会を創立。句集として「旗」、「空港」、「夜の桃」、「今日」、「変身」がある。
(掲載されている写真・文章等の著作権は津山瓦版または情報提供者に帰属し、一切の無断転載を禁じます。)

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第36回津山市中央公民館文化祭

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第36回津山市中央公民館文化祭(平成28年度つやま生涯学習まつり)が大谷の津山市中央公民館で2月25日・26日と開催されました。25日には超小型モビリティ(小型電気自動車)の試乗体験があり、熱心に聞き入っている年配者の方が多くおられました。1階のエントランスホールでは、無料喫茶があり、お菓子もサービスされ来場者はゆっくりと会場を回りながらげいじゅつかんしょう文化祭を楽しんでおられました。また、2階では絵画教室や同好会の方々の作品が展示され大勢の方がお出でになっていました。今日はうどんの無料サービスがあり、これまた嬉しいことでした。ごちそうさまでした。(2017年2月25日撮影)

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第37回津山市医師会美術展

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2017年2月15日~19日まで、第37回津山市医師会の美術展がアルネ津山の文化展示ホールにて開催されました。
アーティフィシャルフラワー、小間物、木目込み、刺繍、造形、カリグラフィー、リボン装飾、フラワーアレンジメント、日本画、水彩画、書、さをり織り、工芸、プリザーブドフラワー、写真など多彩な力作が並び、会場内では多くの方が楽しんでおられました。

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2017年1月1日の岡山城

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宇喜多秀家が岡山城の象徴に建築した三層六階建ての望楼形天守閣で、城郭建築物に天守閣が出現して発展し始めた時期の構造的特徴を伝えていました。城主の権威を象徴する書院造りの居間(城主の間)が設けてあり、初期の天守閣の性格を物語っています。昭和20年の空襲で焼失しましたが、昭和41年に再建され、城主の間も復元されています。

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金光山 多聞寺(下横野)

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津山市下横野 多聞寺
 多聞寺は、平安初期(西暦860年)に開祖された毘沙門天をお祭りするお寺で、当初は下高倉の寄松にありました。しかし、中世の山名・赤松の兵乱で兵火にかかり焼失しましたので、香々美の藤屋に避難しました。下横野の現在の地に再興されたのは、それから半世紀あまり経った西暦1500年以降で、盛衰を繰り返しながら今日に至っております。
 一宮大規模農道から下横野を望むと、一面に田園の広がる果ての、小高く白一直線の塀の中に多聞寺は、楼門・庫裏・客殿・本堂が調和よく佇んでいます。背後に中国山脈を控え、青空が広がるスケールの景観は、人々に故郷の安らぎと叙情を偲ばせることでしょう。

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【津山人】時代小説作家 平茂寛氏

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2017年1月29日(日)津山土岐家財団主催「第7回講演会」が行われました。
 講師は時代小説作家の平茂寛氏(佐藤和久)で津山在住です。演題は「時代小説創作の苦労と楽しみ」でした。佐藤さんは岡山県職員として勤務する傍ら、時代小説作家を志し、「隈取絵師・鍬形蕙斎」で朝日時代小説大賞を受賞。作家志望の裏話、創作の苦心、楽しみを語って下さいました。
 、椿高下の武家屋敷の逸見(へんみけ)は、佐藤さんの義父の家です。)

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