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取材記事内を検索ワード「雪」で検索した結果,172件の記事が見つかりました。

坂田金時(金太郎)をお祀りした栗柄神社

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栗柄神社の由来(美作国theミステリーツアーの中にあった栗柄神社訪問)
 当神社は、武将 坂田金時をお祀りしたものです。金太郎は、駿河の国(静岡県)富士山の麓、足柄山を望む坂田村(小山町)で八重桐を母として産まれ、成長して坂田公時(金時)と名を改め源頼光の四天皇のひとりとなり、丹波の国の大江山に酒顛童子を退治する大手柄をたてた。その後九州の賊を征伐するために、播州から作州に入ったが大雪のため美作の国・勝間田荘の仮陣屋に滞在中、病によりこの地で亡くなった。ときに寛弘七年(1010年)十二月五十七歳であったとされている。2013.12.23訪問

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【津山ゆかりの人】「モラ」作家 黒田善子さん

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黒田善子さんはKガレージアートワークス代表の「モラ」作家さんですが、ご主人が津山出身の黒田悦司さんです。善子さんの陰の立役者でもある悦司さんとは、毎年海外旅行を定期的になさっている仲の良いご夫婦です。(黒田悦司さんは、一般社団法人 進化経営学院の代表理事をなさっておられます。)2013年9月29日取材

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乗ってけ♬乗ってけ♬乗ってけ♬サーフィン?~トリックアート展inアルネ天満屋~

毎日暑いっていうもんじゃない~~~(ヽ´ω`)
ということで、今週はこんな季節を涼しくしてくれるトリックアートをご紹介。
そう、タイトル通り♬乗ってけ、乗ってけ、乗ってけ、サーフィン♬と言いたいところですが、スノーボードです(^^)
まるで雪山をバックにボードで勢い良く宙返りしているみたいですね。
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植月正紀絵画展(喜寿記念展)

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会場:アルネ津山4階、津山市立文化展示ホール(津山市新魚町17)

会期:2013年7月10日(水)~15日(月)AM10:00~PM6:00最終日PM5:00まで

今回の個展への思い
 16歳の時、油絵を始めて描いた。何本かのチューブ絵具と筆、2枚の8号カンバス、筆洗い油は石油を少しもらった。その頃は静物、風景を描いていた。青年時代、人間の持つ内面の喜怒哀楽を表現する作品制作をすると同時に完全抽象にも興味を持つようになり、東京で絵画制作の勉強を徹底的に修行する決心をした。

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「生誕100年 尾崎侃 作品展」後期展

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1F展示室 企画展     「生誕100年 尾崎侃 作品展」後期展
開催期間:1月26日(土)~2月24日(日)

入場料:500円(2F常設展もご覧いただけます。)
尾崎侃さん(1912-1988)は鏡野町出身の洋画家。
 津山中学校から岡山県師範学校二部へ進み、教師をしながら作品を制作してきました。 画歴は、今津屋橋のそばにあった南山焼工房の風景を描いた「南山焼風景」で昭和23年に日展初入選をして以来、25回の入選をしています。その他、、昭和25年には光風会展初入選をして、以後連続入選をするなど活躍されました。
 尾崎さんは、津山の洋画家の日原晃さんとも戦前から親しい仲であり、二人で山陰の夏泊や和歌山の潮岬をはじめ多くの写生旅行を続けてきました。

晩年にはお城山周辺や衆楽園など、津山中心部の風景を多数描いています。
作品は明るい鮮やかな色彩の作風が特徴で、多くの人を魅了してきました。

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〔谷崎潤一郎〕今田屋旅館へ移る。(速日神社前)

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▲ここで(速日神社)谷崎潤一郎さんが家族で写真を撮っている。
現在この川では鯉が泳いでいて、下流では今でもシジミが採れるそうです。(2012.5.10取材)


昭和20年 12月29日 城内の今田屋旅館へ移る。
昭和21年(1946) 1月 1日 渡辺明氏が夥しい北海道の土産を持ってくる。 
1月 30日 津山の闇市に行き、今津屋橋南で1パイ5円のぜんざいを食べる。   
3月 6日 刑部に疎開していた内田巌画伯が逗留し、谷崎の肖像画を描く。
3月16日 京都へ引き上げるために上洛する。
5月 末 水島宅で送別会をしてもらい、家族ともども京都へ帰る。
8月初め 再び勝山に来て今田屋旅館で「細雪下巻」執筆、荷物を整理して勝山を離れる。


小野はるさんと何かあったらしく、今田ツネさんの所(もと今田屋旅館)に引っ越した。(2階が8畳3間と6畳6間を全部借り切って執筆していた。)
(文:郷土博物館)

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〔谷崎潤一郎〕小野はるさんの離れに落ち着く

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昭和20年(1945) 5月15日 新聞記者で月田出身の岡成志の勧めで津山市八子の松平別邸に疎開。この間、岡氏は死去する。
6月 3日 岡未亡人から勝山に貸間があると知らせてくる。
6月 4日 土井武氏の案内で新町の小野はる氏の離れに決める。
7月 7日 勝山に着き、新町の小野家離れに谷崎夫婦と娘が入る。
後に妻松子の妹2人、松子の従兄弟らも疎開して、近くの呉服屋2階に住む。「細雪」の執筆に取り組む。原稿の写しを野崎益子女史が頼まれた。
食料の調達には福谷の須田伸治郎氏の世話になる。
中町の呉服店水島喜八郎氏と深く交流した。
下町の醤油業河本はな氏とも交際した。
8月13日 永井荷風が谷崎を訪ねてくる。15日には帰る。(疎開日記より)


旦酒店さんから伺ったお話

 勝山は水の綺麗なところで、昔は井戸水が綺麗だったので豆腐と酒を造っていました。酒屋も2軒ありましたが、今は辻さん1軒だけとなりました。それに宿も9軒ありましたが、今は寝泊りだけで2軒しかないのです。
 谷崎さんが勝山に来られたときの姿は、ボロボロの汚い着物だった。それに、沢山の原稿の入った「こおり」を大八車に積んできて近所の旅館の土蔵を借りて荷物を入れたとのこと。また、谷崎さんは金が入ったら大盤振る舞いをしていたそうで、普段は午前中執筆、午後は奥さんと川沿いを散策していたそうです。
 エピソード:小学校の教師になるために勉強していた野崎ますこさんは書が上手だったそうで、谷崎さんの書生を務めることになり、テストを受けたのですが、そのテストがユニークだったそうです。なんでも、奥さんとて書斎には上げないのですが、野崎さんを先に上らせ下からみて、足袋の白さ(足が綺麗かどうか)を見ていたそうです。勿論、野崎さんは無事合格して書生をつとめたそうです。(2012.5.10取材)


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梶並神社(美作市梶並)2012.10.6

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由緒沿革

 そもそも梶並の庄は、岡山県の東北端にあり、北は峯続きに鳥取県に連なり、東は英田郡大原町・西粟倉村、降って作東町に接し、西は勝田郡奈義町に続いている。作陽誌の示す所によれば「元梶並庄は一村であったが、東谷・中谷・西谷と三村に分って居り、慶長以来叉十邑に分つ」とあり。
 梶並神社の創立は何れの時であったか、その真相をつかむ事は困難であるが、「美作国神社資料」によると〝或は伝う〟として推古天皇の十五年(六一三)丁卯春二月、山川幽明の霊地として高お神(たかおかみ)を祭り、郷土の鎮護としたものとなっている。
 本社には、次の諸神が奉祀されて居る。古よりの祭神は、高お神(たかおかみ)、相殿には、経津主の命(ふつぬしのみこと)、武雷の命(たけいかづちのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇)、息長足姫(をきながたらしひめのみこと)(神功皇后)、比賣大神(ひめがみ)
 次に境内社として祀られているものは
磯神社 少彦名命(祭日十月二日)
高良神社 武内宿弥(祭日十月二日)
稲荷神社 宇賀之御魂名(祭日十月二日)
 神々のうち、古より武雷命・経津主命が祭られているが、此の二神の首字をとって、神山を武経山と名づけられ、後になって武男山と改められたと伝えらている。(文:梶並神社誌より)2012年10月6日取材

岡山県重要無形民俗文化財 梶並神社「当人祭」2012

2006年の当人祭の様子

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津山名産の「初雪」

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 津山名産の「初雪」は、淡い甘味のあるかきもちで、火鉢を囲んでひとつひとつあぶり少しさましてから食べます。
 この「初雪」は、後醍醐天皇が、北条高時によって隠岐に流される途中に、津山の院庄で一夜を過ごされたとき里人が献上したという伝承があります。
 また、旧津山藩主松平家の資料の中から購入代金の領収書が見つかっています。
この領収書は明治17年に墓参りのため津山に来た松平確堂が、東京に帰ってから津山土産として配るために購入した時のものだということです。
 この「初雪」がお土産に選ばれた理由は、長期間保存が出来ること、軽いことだそうです。これらから、昔から初雪を贈答品として使う習慣があったのかもしれないということでした。
 明治の初めまでは数十件のお店が初雪を作っていましたが、大正初期には16軒、今では武田待喜堂1軒のみとなっています。伝統を守り続けると言うことは大変なご苦労があると思います。津山名産の「初雪」をこれからも守り続けてくださいね。(2012年6月18日取材)

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