取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「桜」で検索した結果,369件の記事が見つかりました。

小桜神社(河原町)

kozakura2.jpg

河原町は17世紀初めには「瓦町」の記述もあるが、後に、吉井川の河原に出る道があったことによりついた。
修験者大福院宅跡説や伏見町の小棲屋という屋敷に祀られていた故に小桜の名になったという説がある。
正徳2年(1712)に勧請、宇迦之御魂神(うかのみたまのみごと)を把るお稲荷さんの町内神。
所在:津山市河原町12 祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのみこと〉 創建:正徳2年(1712)勧請 祭礼:夏祭7/24 敬老祭9/15 秋祭10/24
(文:津山城下町まちなかお社巡り 津山まちづくり本舗)(2016年11月30日撮影)

小桜神社(河原町)の続きを読む

【津山人】桜の植樹に心血を注いだ福井純一

福井2.jpg

桜の植樹 
 鶴山公園は岡山県内で唯一、全国桜名所百選に選ばれている桜の名所である。この桜の植樹に尽力したのが福井純一である。福井家はもと真庭郡久世町の在で、酢の醸造業を営んでいた。天保年間(1830~44)に分家して津山に移り住んだ。純一は明治11年(1878)1月31日、父・周二郎(別名・浪二)の長男として、津山市本町二丁目に生まれた。津山成器小学校から同志社中学に進むが、父が病で倒れたため、中退して帰郷する。

【津山人】桜の植樹に心血を注いだ福井純一の続きを読む

津山城跡で行われた博覧会

sanpaku22.jpg

姫新線全通記念・産業振興大博覧会が津山市主催で昭和11年3月26日~5月5日の期間に行われた時の記念写真です。この写真は第一会場の写真と書いてあります。(上記写真の提供は保田扶佐子さん)


 津山城は明治維新後の廃城令により建物は取り壊されてしまいました。しかし、その後の保存運動により城跡は「鶴山公園」として整備され、また、福井純一氏などの尽力により、桜の名所としても有名になり、津山のランドマークになっています。
 現在でも桜の季節には「津山さくらまつり」が開催され、また、その他にも数多くのイベントの会場として使用されていますが、過去には、津山で3回行われた博覧会の会場にもなっていました。巾でも昭和11年(1936)に行われたものでは、元々の形とは全く違うとはいえ目玉として天守閣が再建されています。その天守閣の写真などが様々な機会などで紹介されており、ご存じの方も多いと思いますが、博覧会の様子を知る方は少なくなっています。
 そこで、ここでは当時の古写真や記録を基に、再建天守閣以外の博覧会の様子についてご紹介します。(文:津博No.84より抜粋)

津山城跡で行われた博覧会の続きを読む

一刀一絵・・・浮世絵師・立原位貫 追悼展

M&Y8-16.jpg
 8/12(金)より9/4(日)まで後期展「1991~2015 立原位貫へ」がありました。
今回はNHKのテレビとラジオ(岡山県)でもこの作品展が紹介されました。
オリジナル作品を中心に制作していた1990年代から再び浮世絵の復刻のプロジェクトに取り組んだ2015年3月の最後のオリジナル作品と、一昨年立原さんの手許に戻ってきた25歳のときに初めて彫った浮世絵作品など18点が展示されました。(2016年8月19日撮影)

一刀一絵・・・浮世絵師・立原位貫 追悼展の続きを読む

青々とした尾所のさくら

osonosakura20.jpg

2016年7月18日の尾所(おそ)のさくらです。(2013年4月の満開の様子
西暦1450年 年号宝徳2年の頃、山伏が倉見越えの途中ここで休み、持っていた杖を残したまま出立ちした その杖が根づいて今の桜の木になったものと伝えられているこの桜の木は、当村大田進氏より阿波村へ寄贈されたものだそうです。

青々とした尾所のさくらの続きを読む

「吉備之国漫遊ノスタルジー」のお出迎えがありました。

eki46.jpg

2016年4月29日 14:35分、晴れの国おかやまデスティネーションキャンペーン特別企画として観光列車ノスタルジーでめぐる県内一周ツアー「吉備之国漫遊ノスタルジー」のお出迎えがあり行って来ました。駅ホーム(2番のりば)で、関係者の皆さんが小旗を振って笑顔でお迎えしました。出口では津山市の職員さんによる、津山市の観光パンフレット・ノベルティの配布が行われました。また、津山桜太鼓の披露があり、続いて津山まなびの鉄道館(旧津山扇形機関車庫)へ移動し、特産品を買ったり、ご当地グルメの津山ホルモンうどんを食べながら、楽しいひと時を過ごしたのち、駅ホーム(3番のりば)で次の目的地へと移動されました。

「吉備之国漫遊ノスタルジー」のお出迎えがありました。の続きを読む

作楽神社とアヤメの花が爽やかでした。

sakurajin41.jpg

2016年5月5日(子どもの日)津山市神戸(じんご)の作楽神社のアヤメを見に行って来ました。この日は親子連れが花畑の中であそんでいてほほえましい。このアヤメも町内の方がお手入れなさっておられるそうです。

作楽神社とアヤメの花が爽やかでした。の続きを読む

津山城(鶴山公園)内のさくらと裏門で咲くさくら

ukon2.jpg

2016年4月20日の津山城(鶴山公園)内のさくらと裏門で咲くさくらを撮影してきました。
さくらまつりの期間が終わっても、様々な種類のサクラの花がまだまだ綺麗に咲いておりますよ!中でも綺麗だったのはウコンざくらです。その他、園内にはソメイヨシノ以外の遅咲きの桜の木が60本くらいあるそうです。4月いっぱいは津山城(鶴山公園)のさくらの花が楽しめそうです。

津山城(鶴山公園)内のさくらと裏門で咲くさくらの続きを読む

忠臣蔵四十七義士・神崎与五郎則安について

kanzakisan800.jpg

脱藩藩士を厳しく批判した「赤城盟伝」を著した赤穂藩随一の酒豪
神崎与五郎則休(1666~1703)
志深浅働次47士中37番目
・酒好きで、ついたあだ名が「燗酒よかろう」(講談)
・短歌を詠み、俳句を作り、江農舎竹平と号す。
・「赤城盟伝」を前原伊助と共に記した。
・吉良邸近くに、前原と共に米屋を開き、探索にあたる。
生年・生国 寛文6年(1666)・美作国
役   職 徒目付、郡目付
行   年 38歳(元禄16年2月4日、切腹)
もと津山森家の家来だった。文武両道に秀でていただけでなく、俳句が得意でいくつか残されている。扇子や小物を売り歩いて吉良邸を探索した。前原宗房とともに「赤城盟伝」を著した。

忠臣蔵四十七義士・神崎与五郎則安についての続きを読む