森藩政下に移転 山上がりした真言宗の髙福寺
林田 清應山髙福寺のたたずまい 津山市街東部 野介代の丘陵山麓に清應山髙福寺が所在している。
津山東部では数少ない真言宗の寺院であり、津山市林田667に位置し、町内会は林田山根分に所属している。寺を象徴する大屋根の庫裡、客殿、大師堂や安永年間建立の本堂を始め、鐘楼堂、薬師堂、境内墓地、さらには裏山に四国八十八箇所巡りのミニ霊場を設けるなど、真言宗の必要な設備を全て備えた寺院らしい境内である。
林田 清應山髙福寺のたたずまい 津山市街東部 野介代の丘陵山麓に清應山髙福寺が所在している。
津山東部では数少ない真言宗の寺院であり、津山市林田667に位置し、町内会は林田山根分に所属している。寺を象徴する大屋根の庫裡、客殿、大師堂や安永年間建立の本堂を始め、鐘楼堂、薬師堂、境内墓地、さらには裏山に四国八十八箇所巡りのミニ霊場を設けるなど、真言宗の必要な設備を全て備えた寺院らしい境内である。
津山市玉琳 天下泰平 奉納 大乗妙典六十六部日本廻國 日月清明 文化十一申庚八月吉祥日 東新町 願主 みよ
日本全土66か国を回国し、国ごとに法華経一部ずつ納めることから、この名が起った。66所の霊場も、六十六部の流行にともなって成立したものである。(明治4年11月10日太政官から禁止の布令がでている)
天平年間に、行基菩薩が開創され、弘法大師も弘仁年間に巡錫されたと伝えられています。昔は五社明神の別当寺として、神社の近くにありましたが、天保5年現在地に移りました。
昭和28年、現在の本堂落成の際、高野山から、作東高野山摩尼院の称号を頂き、爾来檀信徒皆様の篤いご信心によって、山容が整いました。(文:高野山真言宗 美作八十八ヶ所霊場HPより)2014年6月24日取材
⑩北向地蔵菩薩
北向き地蔵菩薩は、勝南霊場八十番に指定されており、社は小さいが有名なお地蔵様で、北を向いている所から、今の呼び名となっています。
今は合格祈願等でお参りされていますが、以前は疣(いぼ)・できもの取りの祈願がされていたそうです。特に子供におかげがあるそうで、素朴な地蔵がまつられています。
北に向かってまつられていることが、とてもめづらしいそうです。
幻住寺(げんじゅうじ)曹洞宗美作観音霊場第三番
ここは「玄住寺郷土自然保護地域」に昭和50年5月20日岡山県から指定されている所で自然がいっぱいです。この地域は、幻住寺山(標高510m)にある幻住寺を中心とする地域で、全域にわたって急峻な地形を呈し、流紋岩を母岩とする土壌が分布しています。
幻住寺は、後醍醐天皇の命名といわれ、奈良時代に建立されたと伝えられる由緒ある禅宗寺で、作州南部の三大名刹の一つとされています。
寺の背後には、スダジイ、アカガシなどの巨樹が点在する常緑広葉樹を主体として、落葉広葉樹を混交する原植生に近い自然度の高い樹林が形成され、寺院と一帯となって、すぐれた自然環境をとどめています。(文:岡山県看板より)2014年6月8日・9日取材
院庄の清眼寺で恒例のぼたん祭り(2014年4月27日(日)~2014年5月6日(火)10:00~16:00)がありました。写真は2014年5月1日のボタンの花です。
清眼寺は、美作88ヶ所第56番札所・美作国七福神毘沙門天霊場として、多くの参拝者で賑わいます。別名ぼたん寺ともいわれ、毎年のぼたん祭りには、色とりどりの美しい大輪の花を咲かせ、参拝者を楽しませています。
▲後山の伴俊美宅の西側の三叉路に「右一ノ宮 左大たい寺道」、
野村から高倉に入った揚船の四辻に「左一の宮 大たい寺」、後山の伴俊美宅の西側の三叉路に「右一ノ宮 左大たい寺道」、と刻まれた道標があり、この道が一宮街道であつたことを示している。「一宮」は美作国の一宮である中山神社で津山市一宮にあり、遠くから牛馬農耕の守護神として参詣される。「大たい寺」は「美作西国三十三カ所霊場」の第八番雲光山大帯寺で津山市勝部にある。2013年12月11日取材
縁起、本尊の阿弥陀如来は遠く千四百余年の昔、佛教伝来の砌り、百済の聖明王献じた佛像を蘇我蝙蝠の臣に賜いしものと作陽誌等の古文書に記す。蝙蝠の臣蘇我を改 めて田口氏と為し、貞観年中美作の地上田邑に寺院を建立、阿弥陀寺と号す。正平十八年、田口薩摩守光政によって堂宇の修造が加えられ、光政亡き後、姓氏を 以って田口山とし、法名引乗寺殿を以って寺号改む。永禄年間、戦乱の災に本尊阿弥陀如来損傷を被る。故に像現本尊の肚腹内に蔵すと伝う。(美作八十八ヶ所霊場HPより)
堀井会館から西になだらかな坂道を行くと、家並みの途絶えた左手前方に、真新しい鳥居が見え、開けた所に樫風呂様の社がある。かつては大きな樫の木があったが、その下に広い風呂のようにくぼんだ所があり、堀井組合ではここでお籠りをしていた。その後方に白壁の阿弥陀堂が見える。ここは「本尊薬師如来 苫勝第七番霊場」となっており、堀井では昭和30年代まで、巡礼にくるお遍路さんの接待をしていた。阿弥陀堂が老朽化したため、堀井組合で浄財を出し合って、平成8年に改築し今もねんごろに祀っている。
東谷の香山太郎宅の前の坂道を東に越すと、近平井手のほとりに御影石の石碑が建っていて、正面中央に「奉日書寫般若心経一千巻供養塔」右に「天明七丁未歳十月十五日始」
左に「寛政二庚戌暦六月十七日迄」と刻まれている。裏面には「一天太平四海静謐風雨順時五穀豊登萬民快樂殊者信心之願主」と願意を記し、「上高倉村住人香山清志謹言」とある。また両側面には、四国八十八箇所霊場を回り、当国三十三所に書写した普門品(観音経)を納めたことが記されている。