曹洞宗 夢中山 幻住寺(久米郡美咲町北)
幻住寺(げんじゅうじ)曹洞宗美作観音霊場第三番
ここは「玄住寺郷土自然保護地域」に昭和50年5月20日岡山県から指定されている所で自然がいっぱいです。この地域は、幻住寺山(標高510m)にある幻住寺を中心とする地域で、全域にわたって急峻な地形を呈し、流紋岩を母岩とする土壌が分布しています。
幻住寺は、後醍醐天皇の命名といわれ、奈良時代に建立されたと伝えられる由緒ある禅宗寺で、作州南部の三大名刹の一つとされています。
寺の背後には、スダジイ、アカガシなどの巨樹が点在する常緑広葉樹を主体として、落葉広葉樹を混交する原植生に近い自然度の高い樹林が形成され、寺院と一帯となって、すぐれた自然環境をとどめています。(文:岡山県看板より)2014年6月8日・9日取材
山門の両脇には仁王様
階段の両脇に色とりどり咲いたサツキの花が満開でした。
ため息がでるほど綺麗いに咲いたサツキの花
種類もいろいろサツキの花
鐘楼の前にも沢山のサツキ
幻往寺は曹洞宗美作観音霊場第三番です。
幻住寺の手入れの行き届いたお庭に咲いたサツキ
幻住寺の手入れの行き届いたお庭に咲いたサツキ
庫裏もとても立派です。
幻住寺(げんじゅうじ)由緒
昔、後醍醐天皇が幕府により隠岐島に流された。その道中、津山の院庄に一週間程滞在された。ある夜、夢枕に老僧が立ち、「私は西の方角にある髻山の僧です」といい、「ご落胆なさいますな」と励まし、「きっと救われましょう」といって消えた。天皇は翌朝目を覚まされ、供の者にこのことを話され、さっそく供の者を西方にあたる髻山(もとどりやま)に行かせたところ、古寺があり、昨夜の夢に出た僧が住んでいたという。天皇は、その後、島を脱出する事に成功し、京にもどることができたが、夢の中に出た髻山の僧を厚くもてなされ、夢中山の号と山林田畑と伽藍を御下賜になり、寺に菊の紋の使用を許されたという。幻住 寺の創立は大同四年(809)、と聞くが戦火と失火により二回も焼失している。現在の建物は、文政年間(1818~29)のもので、最初の位置より少し下へ降ろして再建されている。髻山頂上付近には昔の寺屋敷跡が残っている。現在の本堂には、伝説を裏付けるかのように、菊の紋入りの棟瓦が使用されている。 (旭町誌より)
夢中山 幻住寺、岡山県久米郡美咲町北