さくら満開4月5日の津山城(鶴山公園)
2019年4月5日津山市は歩くだけで汗ばむ陽気となりました。今日、津山城(鶴山公園)のさくらが満開になりました。早速上がってみると、大勢の方が満開のさくらの下でお花見をされていましたよ。それに海外のお客様が多くいらっしゃいました。本丸では忍者部隊がお出迎えしてくれます。
2019年4月5日津山市は歩くだけで汗ばむ陽気となりました。今日、津山城(鶴山公園)のさくらが満開になりました。早速上がってみると、大勢の方が満開のさくらの下でお花見をされていましたよ。それに海外のお客様が多くいらっしゃいました。本丸では忍者部隊がお出迎えしてくれます。
2019年4月1日は「津山さくらまつり」のセレモニーが開催されている最中、元号が「令和」と発表され記念の日となりました。津山地方の昼間は、曇り時々晴れ後雨模様になり、夜はとても寒くなり、みぞれ模様でした。さくらの花も寒くて開花が当初考えていたより遅くなり、長い間咲いてくれそうです。今年も海外のお客様を多く見かけたセレモニーでした。
2019年3月28日の千光寺の枝垂桜です。(2018年3月28日の千光寺の枝垂桜の様子)
曇り空ではありますが津山地方は晴れて随分暖かな日になりました。城東地区の寺下通りにある千光寺の枝垂桜も一気に開花が進み、大勢の方が見学に来られていました。
2019年3月26日に津山城(鶴山公園)のさくらの開花状態を撮影してきました。
津山地方は晴れておりますが、少し風が吹いています。二の丸や本丸には既に咲いている早咲きの桜の木もありましたよ。あと数日で開花宣言もでることでしょう。もうすぐ「2019津山さくらまつり」が始まりわくわくしてきますね。鶴山公園内ではテントの設営など準備が着々と進んでいました。
2019年3月5日の津山城(鶴山公園)の石垣です。上記の写真の場所は本丸の東面の石垣です。
本丸にあるこちらの石垣は一番古い組み方です。この階段は武者走りの石段(全国でもまれ)で、丹後山からの攻撃を受けないように、わざわざ築かれた石垣ですが、現在は傷みが激しいです。津山城は、森忠政が慶長9年(1604)に築城にかかり、元和2年(1616)の完成まで13年の歳月を要しました。
第112回文化財めぐりの資料の中に「高野城跡」
旧鴨川中学校(高野本郷)の跡地である鴨川公園一帯にあったとされる居館の跡です。文献資料や地籍図などから、土塁に囲まれた方形居館であったとみられます。一説には中島氏、または牧佐介の居館であると東作誌には記されており、高野地域を掌握した土豪の居館と考えられています。現在では遺構は確認できませんが。『美作古城史』によると、鴨川中学校建設までは土塁が認められていたようです。
2019年3月5日に津山市神代梅の里公園にある「梅まつり」へ行って来ました。
梅の花は満開には少し早目だったようですが、満開に近い梅の木もあり楽しめました。車を降りるとぷ~んと梅の花の香りが漂ってきます。お天気も良くて沢山の方々が梅の花を見にお出でになっていました。(2013年の記事)
2019年3月5日津山城(鶴山公園)内にある鶴山館で華麗なおひな様を拝見してきました。
天神様や豪華な段飾りには五人ばやしや官女なども加わって勢ぞろいです。また、雛飾りの傍にはこれまた豪華なお花が活けてあり、とてもマッチしていて素敵でした。
ところで、京都国立博物館によると、3月3日の節句におひなさまをかざるようになったのは、江戸時代になってからのことなのだそうです。
2019年1月26日・27日と寒い日が続き、朝起きてみると雪が降り積もっていました。
それでも朝10時ごろには道路に積もった雪も溶けて、時折日差しも出てきたので雪景色を撮ってみようと津山城(鶴山公園)まで出向いて来ました。津山城(鶴山公園)では知り合いの方や、観光で来られている海外の方とすれ違いました。雪で化粧された石垣が美しく、また、木々に薄く積もった雪もとても綺麗でした。
寛永14年(1637)城西小田中村のうち本源寺から聖徳寺までの間に開いた侍の屋敷町で、大塚兵庫ら15人が住んだのが始めであるといわれています。元禄元年(1688)には戸数30戸ありましたが享保年間(1716頃)に屋敷を撤去して農地としました。現在150戸ほどありますが、城西通りの開通で風景も変わり住宅地帯の表情をみせています。西新座の一角に津山市立西小学校や城西保育園があります。大正15年(1926)ごろ建設され津山西尋常小学校として授業がおこなわれ、現在250人ほどで少子化の現状です。学校の裏側に昭和50年ごろ、スーパーニシナ・サンバレー店が開店され、食料品や生活雑貨など販売の店舗として繁盛していましたが、近くに近代的な大型スーパーなどの進出によって、しだいに客足がすくなくなり、平成13年の年末に閉店しました。