栃原公園 岸田吟香記念碑(栃原)

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岸田吟香翁胸像文
 岸田吟香翁は天保四年(一八三三)久米郡垪和村大字中垪和谷(現旭町栃原)に生まれ一九歳のとき江戸へ出て昌平黌、藤森天山塾などで漢学を修めたあと、アメリカの宣教医へボンに医学を学びながら「和英語林集成」の編集に協力、元治元年(一八六四)ジョセフ・ヒコらとわが国最初の新聞「新聞紙」を創刊、慶応四年(一八六八)「横浜新報・もしほ草」を発刊、明治六年(一八七三)「東京日日新聞」の主筆に迎えられわが国の近代的文章の確立に寄与、その間目薬「精錡水」の製造販売を家業にして石油採掘、製氷、定期航路の開拓などを始め盲唖学校「訓盲院」の創設など文明開化期の先頭に立って活躍した。(文:現地銘板より)(2019年8月18日撮影)

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我国新聞界の先駆者であり、和英語林集成の編纂にたづさわった旭町出身の偉人岸田吟香を顕彰して記念碑、胸像を建立し整備しています。

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急な階段を登りきると見えてきます。

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岸田吟香翁像                  記念碑

昭和26年12月7日、「岸田吟香顕彰会」と吟香の郷里「久米郡垪和村」とによって、旭川ダム湖畔に記念碑が建立されました。